第40話 詠唱の短い魔術師
ラステルの街を囲む森の木々が、不気味にざわめいていた。
騎馬部隊の夜襲を潰されたガルディア帝国は、次なる手として徒歩の魔術師部隊を街へと差し向けていた。
「……あれは、帝国軍の正規魔術師です。それも、かなりの精鋭」
森の入り口を見下ろす丘の上。
木陰から身を隠すようにして様子を窺っていたイリスが、冷や汗を流しながら呟いた。
彼女の視線の先、黒いローブを着た十数名の男たちが、隊列を組んで森を抜けてくる。
グレンは無言のまま、彼らの装備に目を細めた。
男たちの手には、禍々しい装飾が施された杖が握られている。そして何より目を引くのは、彼らの首元で銀色に光る特殊な首飾りだった。
「『詠唱短縮具』……。あれがある限り、彼らは通常の魔術師の半分以下の時間で、強力な魔法を発動させることができます」
イリスの言葉通り、帝国の魔術師は強大だ。
魔法という絶対的な暴力を、息を吐くように連発できる彼らが街に入り込めば、ラステルの木造家屋など一瞬で火の海になる。
「……下がっていろ」
グレンはイリスに短く告げると、音もなく斜面を滑り降り、魔術師部隊の進路上にある廃屋の陰へと身を潜めた。
やがて、部隊が廃屋の横を通り過ぎようとした、その時。
グレンは廃屋の陰から無造作に『分銅』を投げ放ち、最後尾を歩いていた魔術師の足元を狙った。
だが。
「――『雷よ』」
男の首元の銀飾りが光った瞬間、たった一言の極短い詠唱で、男の杖の先から青白い雷撃が放たれた。
バチィッ!!
「……!」
雷撃は分銅を正確に弾き飛ばし、そのままの勢いでグレンが身を隠していた廃屋の外壁に着弾した。
轟音と共に壁が真っ黒に焦げ、木片が飛び散る。
グレンは間一髪で身を躱したが、これまでの敵とは明らかに次元が違う。
通常の魔法使いであれば、視線を奪い、呼吸を崩すだけで発動を潰せた。だが、彼らは詠唱が短すぎるため、その隙がほとんど存在しない。
「……伏兵か。殺せ」
指揮を執る男の短い命令で、三人の魔術師がグレンのいる廃屋へと杖を向けた。
「『炎よ』」
「『土よ』」
短い詠唱の連鎖。
炎の球と石の飛礫が、怒涛の勢いで廃屋を吹き飛ばす。
グレンは崩れ落ちる瓦礫の中を、姿勢を低くして駆け抜けた。
(……通常の潰し方は通じないか)
グレンは木陰に身を隠し、呼吸を整えながら敵を観察した。
魔法は強い。だが、発動できなければただの人間だ。
どんなに強力な魔術師でも、必ず『条件』がある。
グレンの視線は、彼らが首から下げている『詠唱短縮具』に固定された。
(……魔力を増幅させ、言葉を省略する道具。だが、どうやって体に固定している?)
グレンは目を凝らした。
銀色の短縮具は、太い革紐で首の後ろにしっかりと結びつけられている。
だが、その革紐の締め方。そして、金具と革の接合部の規格。
雑貨屋として、毎日様々な革紐や金具を扱っているグレンの目には、明らかな『違和感』として映った。
(……革の厚みに対して、金具の遊びが大きすぎる。帝国製の量産品か。締め付けを維持しているのは、首の後ろの『結び目』ではなく、首元の『留め具』の圧力だ)
つまり、留め具の圧力を一瞬でも外せば、革紐は自重で緩み、短縮具は喉元からずれる。
喉の魔力経路と短縮具が離れれば、魔法の発動は失敗する。
グレンはエプロンのポケットから、自らの店で扱っている丈夫な『革紐』を取り出した。
「そこだッ!」
一人の魔術師がグレンの隠れている木を察知し、杖を突き出した。
「『風よ、切り裂け――』」
だが、男が『裂け』と発音するより一瞬早く。
シュッ!
グレンの放った革紐の先端が、鞭のようにしなって男の首元へと飛んだ。
狙いは喉ではなく、銀色の短縮具を固定している『留め具の金具』の隙間。
パチンッ!
グレンの革紐が金具の遊びの部分に正確に引っかかり、そのままグレンが手首をスナップさせて紐を引く。
テコの原理で留め具のロックが弾け飛び、男の首の革紐が一気に緩んだ。
「――げはっ!?」
喉元から短縮具がずれた瞬間。
男の体内で増幅されかけていた魔力が、行き場を失って暴走した。
発動に失敗した風の刃が男自身の胸元で暴発し、男は血を吐いてその場に吹き飛ばされた。
「なっ……! 短縮具を狙われたぞ!」
「なんだあの男は! 魔法使いではないのか!?」
帝国魔術師たちの顔に、初めて明確な動揺が走った。
ただの革紐一本で、帝国の最新魔導具の構造的弱点を見抜き、発動を完全に封殺したのだ。
グレンは倒れた男の杖を足で蹴り折り、無表情のまま残る魔術師たちを睨みつけた。
「……詠唱が短くても、道具の扱いが雑なら同じことだ」
グレンの低い声に、魔術師たちがジリッと後退する。
「チィッ……! ここは引け! 態勢を立て直す!」
指揮官の男が撤退の指示を出し、魔術師たちは魔法で煙幕を張りながら、森の奥へと一斉に逃げ去っていった。
グレンはそれを深追いしなかった。
彼らの詠唱速度を考えれば、全員を無傷で倒すことは不可能に近い。今は、彼らを街に入れなかっただけで十分だった。
*
森の奥深く。
銀狼機関の仮設キャンプ。
撤退してきた魔術師部隊の指揮官が、冷や汗を流しながら、軍用テントの中に座る男へと報告を行っていた。
「……申し訳ありません、カイゼル中佐。奇襲は失敗しました。敵はたった一人。魔法を使わない、ただの男です」
報告を聞く男――カイゼル・ロートは、書類から顔を上げることなく、ただ冷淡に頷いた。
「被害は?」
「重傷一名。……信じられません。あの男は、魔法を相殺するのではなく、我々の詠唱短縮具の『留め具』だけをピンポイントで狙い、魔力を暴発させました」
魔術師は震える声で言葉を絞り出す。
「あれは、魔法同士の戦いではありません。黒縄と呼ばれるあの男は、魔法そのものではなく……魔法使いの『生活』や『道具』を的確に殺してきます」
その報告を聞き、カイゼルのペンがピタリと止まった。
「……面白い」
カイゼルは初めて書類から顔を上げ、冷たい笑みを浮かべた。
都市を数字で壊す男と、魔法を発動前に潰す男。
二人の理性が、ついに正面から激突しようとしていた。




