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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第36話 銀狼機関

「……彼らの狙いは、街そのものです。グレンさん」


《からすの止まり木》のカウンター越しに、王都監察官のイリスが低い声で切り出した。

彼女の手元には、王都の連絡役ミレーユから早馬で届けられた暗号封書の束が広げられている。


「帝国の諜報部隊、銀狼機関。その指揮官であるカイゼル・ロートは、軍事的な正面衝突を極端に嫌う男です。彼は都市を人間ではなく『数字と機能』として見ている。水源、食糧、治安、薬、そして貨幣流通。これら5つのインフラの数字を削り、都市が自壊するのを待つのが彼の戦術です」


イリスの言葉に、グレンは半分閉じた目で静かに耳を傾けていた。

先日、街の大井戸に遅効性の毒が流された事件は、その第一段階に過ぎない。水質管理の強化とセラの解毒によって最悪の事態は免れたが、敵の攻撃はすでに次の段階へ移行しているはずだ。


「……食料、か」


グレンはエプロンのポケットに手を突っ込み、短く呟いた。


「ええ。水が狙われた以上、次は間違いなく食糧です」


イリスが強く頷く。


「……市場の様子を見てくる」


グレンはそれだけ言い残し、店を出た。



ラステルの中央市場は、一見するといつも通りの活気に満ちているように見えた。

だが、グレンが人混みに紛れ、無表情のまま露店の並びを歩き始めると、すぐに明確な『違和感』が視界に引っかかった。


(……小麦と塩の値段が、わずかに高い)


季節変動や天候不順によるものではない。

昨日までは銀貨一枚で買えていた量の小麦が、今日は銀貨一枚と銅貨三枚になっている。塩も同様だ。

ほんのわずかな値上げだが、その僅かな差が、日々の生活をギリギリで回している貧民街の住人たちには確実にダメージとして蓄積していく。


グレンは歩みを止めず、市場の奥にある卸売りの一角へと向かった。

そこでは、恰幅の良い商人が数人の男を使い、農家から運び込まれた小麦の袋を次々と荷馬車に積み込んでいる最中だった。


「ほらほら、どんどん積め! ここの小麦は全部うちが買い取るって約束だ!」


恰幅の良い商人は、不自然なほどの高値で周囲の小麦を根こそぎ買い占めていた。

周囲の小さな露天商たちが、「そんなに買い占められたら、うちらが売る分がなくなる」と抗議しているが、商人は鼻で笑って追い払っている。


(……不自然な買い占め。だが、ただの独占ではないな)


グレンは商人が使っている、農家との取引を計算するための『大型の天秤秤』に目を留めた。

商人は、農家が持ってきた小麦の袋を秤に乗せ、重さを量って買い取り価格を決めている。


グレンは足音を完全に殺し、商人の死角となる荷馬車の裏へ回り込んだ。

そして、積み上げられた小麦袋の隙間から、商人が使っている『秤の分銅』の動きをじっと観察する。


(……なるほど)


グレンの目が、わずかに鋭く細められた。

帝国は、直接食料に毒を入れたり、倉庫に火を放ったりして『腐らせる』ような分かりやすい手は使っていない。


「おい、この小麦は規定の重さに少し足りないぞ。買い取り価格は三割減だ」

「えっ、そんな……ちゃんと量って袋詰めしたはずなのに……」


農夫が困惑しているが、商人は「秤が嘘をつくはずがないだろう!」と高圧的に押し切っている。


グレンは、雑貨屋として毎日秤を使っている。

だからこそ、一目で分かった。

商人が使っている分銅。あれは標準的な規格のものではない。底の部分が巧妙に削り取られ、本来の重さよりも『軽く』偽装されているのだ。


軽く偽装された分銅を基準にすれば、農家が持ってきた小麦は「軽い(規定量に達していない)」と判定される。

商人は農家から不当に安く小麦を買い叩き、それを市場では高値で売り捌く。さらに、余った小麦は市場に流さず、別の場所に隠匿して人工的な食糧不足を引き起こしているのだ。


カイゼル・ロートの戦術。

それは、暴力を伴わない『数字の改竄』による都市破壊だった。


グレンは荷馬車の陰から、音もなく商人の背後へと歩み寄った。


「よし、これで今日の分は終わりだ。さっさと倉庫に運べ」

「……随分と、軽い分銅だな」


商人の背後から、静かな声が響いた。

商人がギョッとして振り返ると、無精髭にエプロン姿の男――グレンが、商人が手にしていた分銅の束を、いつの間にか横から掴み取っていた。


「な、なんだお前は! いきなり人の商売道具に触るんじゃねえ!」


商人が怒鳴り声を上げるが、グレンは分銅を手の中で軽く弄んだ。


「……底が削られている。これでは、正確な重さは量れない」

「い、言いがかりだ! 俺の秤は商人組合の検定を通っている! 誰か、この男をつまみ出せ!」


商人の合図で、護衛の男たちがグレンを取り囲む。

だが、グレンは慌てることもなく、エプロンのポケットから、自らの店で使っている『正規の分銅』を取り出した。


「……なら、量り比べてみるか」


グレンは商人の大型の天秤秤の右皿に、商人の偽造分銅を乗せた。

そして左皿に、自身の正規の分銅を乗せる。


同じ規格、同じ重さを示すはずの二つの分銅。

だが、天秤はゆっくりと、そして確実に、グレンの乗せた正規の分銅の方(左側)へと重く傾き、偽造分銅の方(右側)が空高く持ち上がった。


「あ……」


商人の顔から、一気に血の気が引いた。

周囲で見ていた他の商人や農夫たちから、どよめきと怒りの声が上がる。


「おい……あいつ、分銅を誤魔化して買い叩いてやがったのか!」

「ふざけんな! 俺の小麦を安く巻き上げやがって!」


誤魔化しが白日の下に晒された。

護衛の男たちも、市場の商人たちの圧倒的な怒りと敵意に取り囲まれ、剣を抜くことすらできずに後退りする。


「ま、待て! これは誤解だ! 俺はただ、指示された通りに……っ」

「……誰の指示だ」


グレンが冷たい声で問う。


「し、知らない! 本当に顔も知らない男から、この分銅を使えば大儲けできると持ちかけられて……!」


帝国工作員は、自らの手は汚さず、人間の強欲さを利用して市場の数字を操っていたのだ。


「……お前の商売は、今日で終わりだ」


グレンは偽造分銅を地面に叩き落とし、踵を返した。

背後では、怒り狂った農夫や商人たちによって、不正を行った業者が取り押さえられ、衛兵の元へと引きずられていく騒ぎが起きていた。

魔法も刃物も使わない、日用品の『秤』だけを用いた、痛快な社会的失脚。

市場に蔓延りかけた悪意は、グレンの正確な目によって摘み取られた。



その夜、《からすの止まり木》のカウンター。


「グレンさん、市場での買い占め業者が持っていた帳簿です。衛兵の詰所から写しをもらってきました」


イリスが、グレンの前に一冊の帳簿を広げた。

不正業者は小麦を買い占めていただけでなく、他の物資も大量に購入してどこかへ隠匿していたらしい。


グレンは半分閉じた目で、帳簿の記載項目をなぞっていく。

小麦、塩、保存肉。そこまでは理解できる。食糧不足を加速させるためのものだ。


だが、帳簿の最後の方に記載されていた『ある品目』に、グレンの視線がピタリと止まった。


「……まきか」

「はい。パン窯で使うための、火持ちの良い硬木の薪が、市場の流通量の半分以上買い占められています」


イリスの顔が険しくなる。


「小麦を買い占めるだけでなく、パンを焼くための燃料まで絶つつもりですね。……銀狼機関。なんて徹底した破壊工作……」


帝国は、街の人間からパンを奪うために、小麦粉そのものではなく、それを焼く『熱源』から断とうとしている。

これでは、いくら不正業者を一人捕まえたところで、根本的な解決にはならない。


都市を数字で見る冷徹な指揮官、カイゼル・ロート。

彼の張り巡らせた罠は、すでに街の日常の奥深くにまで根を張り、静かに、だが確実にラステルの息の根を止めようとしていた。

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