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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第27話 同じ手を使う男

月が雲に隠れ、南通りが深い暗闇に沈む頃。

さびれた雑貨屋《からすの止まり木》の店内は、完全な静寂に包まれていた。


だが、その静寂は『無』ではない。

暗闇の中、カウンターの奥で椅子に深く腰掛けたグレンは、半分閉じた目で入り口の扉をじっと見つめていた。


カチャリ。


極めて微かな、金属が擦れる音。

入り口の扉が、鈴の音を一切鳴らすことなく、ゆっくりと開かれた。

隙間から滑り込んできたのは、黒い外套に身を包んだ若い男だ。


男は店内に足を踏み入れると、一瞬だけ動きを止め、闇の中で店内を観察した。

そして、無造作に積まれた木箱と樽の間を縫うように歩き始める。


(……床板の軋みを知っているな)


グレンの目がわずかに細められる。

男は、侵入者の体重と歩幅を測るためにグレンが仕掛けていた床板の『鳴る場所』を、完全に記憶しているかのように正確に避けて歩いていた。


さらに男は、頭上を通過する際、梁と商品の間に張られていた極細の糸の前でピタリと立ち止まり、体を沈めてくぐり抜けた。

闇の中で見えないはずのトラップを、完全に『読んで』いる。


「……随分と、丁寧な下見をしたようだな」


グレンが低く静かな声をかけると、男は数歩手前で立ち止まり、外套のフードを後ろへ払った。

二十代半ばの、神経質そうな冷たい目をした青年だった。


「お初にお目にかかりますよ、大先輩」


男は皮肉げな笑みを浮かべ、恭しく一礼した。


「灰冠局が誇る若手のエース、シグと申します。……もっとも、局長に言わせれば、あなたの全盛期には遠く及ばないそうですが」

「……」

「伝説の『黒縄』。あなたが構築した暗殺術と環境制圧の教本は、我々後継世代にとってまさにバイブルでした。ですが……技術というものは、世代を重ねるごとにアップデートされるものです」


シグが外套の内側に手を入れた瞬間、その姿が闇にブレた。


速い。

常人の反射神経では捉えきれない踏み込み。

シグは手にした黒塗りの短刀を、グレンの喉元へと一直線に突き出した。


グレンは座っていた椅子を蹴って後方に下がり、カウンターの下に隠してあった短刃でそれを受け流す。

だが、シグの狙いは最初からそこにはなかった。


カィンッ!


刃が交錯した瞬間、シグは自ら刃を滑らせて後退し、グレンが『迎撃動線』として配置していた木箱の死角へと回り込んだ。

そして、木箱を蹴り飛ばし、裏口へと続く動線を意図的に塞ぐ。


「あなたの店の構造は、完璧すぎる」


シグの声が、店のあちこちから反響して聞こえる。


「完璧だからこそ、教本通りに読める。裏口への導線を塞がれれば、あなたは次にどう動くか。……すべて、計算通りです」


木箱の陰から、シグが低い姿勢で飛び出してきた。

手には、先ほどとは逆の手に持ち替えた短刀。


グレンが身を躱すより一瞬早く、シグの刃がグレンの頬を掠めた。

ツー、と。

一筋の赤い線が走り、グレンの頬から血が滴る。


長年、無傷で悪党を処理し続けてきたグレンが、初めて明確な傷を負った瞬間だった。


「……」

「どうしました? 雑貨屋のギミックが通じないと分かって、焦りましたか?」


シグは己の優位を確信し、冷たく笑った。

王都暗部の処刑人として、グレンの思考をトレースし、その裏をかく。

同じ技術、同じ手を使う同業者だからこそ、グレンの仕掛けた罠が逆にグレン自身の動きを制限する鎖となっていた。


シグは再び姿勢を低くし、止めを刺すための致命的な踏み込みの準備に入る。


グレンは無言のまま、カウンターの横へとじりじりと後退した。

その手元には、商品を量るために使っている『古い真鍮製の秤』と、分銅の束が置かれている。


「無駄ですよ。次に何を投げるか、どれくらいの質量で、どんな軌道を描くか。すべて見切っています」


シグが床を蹴り、弾丸のような速度でグレンの懐へと飛び込んできた。

致命の間合い。


グレンはカウンターの上に置かれていた『分銅の束』を掴み、シグの顔面に向けて無造作に投げ放った。


「遅いッ!」


シグは嘲笑いながら、飛来する分銅の束の速度と軌道を瞬時に計算した。

標準的な雑貨屋の分銅。その質量なら、首をわずかに右へ傾けるだけで完全に躱せる。

そして、そのまま踏み込んで短刀をグレンの心臓に突き立てる。

完璧な計算だった。


だが。


「……なっ!?」


シグの計算をあざ笑うかのように、飛来した分銅の束の軌道が、空中で不自然に『沈み込んだ』。


標準的な質量ではない。

束ねられた分銅の中に、一つだけ異常に重いものが混ざっていたのだ。

それは、長年この店で悪党を処理し続けてきたグレンが、独自に重さを調整していた『特注の分銅』だった。


質量の計算を誤ったシグは、沈み込んだ分銅の直撃を避けようと、咄嗟に踏み込む足の角度を変えてしまった。


「ぐっ……!」


完璧だったはずのシグの踏み込みが、わずかに崩れる。

ほんの数センチ、数ミリのズレ。

だが、その決定的な隙を、王都最恐の元処刑人が見逃すはずがなかった。


「……教科書通りだな」


グレンの低く冷たい声が、シグの耳元で響いた。


シグが体勢を立て直すより早く、グレンの右手がシグの腕を絡め取り、体重を利用して強烈に床へと引き倒した。


ドガンッ!!


「がはっ……!」


床板に背中から激しく叩きつけられ、シグの肺から空気が搾り出される。

抵抗しようとしたシグだが、グレンの膝が彼の胸元を完全に押さえつけており、身動き一つ取れなかった。


「あ、が……っ」


シグは苦痛に顔を歪めながら、グレンを見上げた。

同じ手を使う同業者。だからこそ、シグは基本に忠実すぎた。

日々の生活の中で独自に道具をカスタマイズし、生きるために環境を変化させ続けてきた『辺境の雑貨屋』のイレギュラーな重さを、王都のエリートは読み切れなかったのだ。


グレンは、シグの右腕に視線を落とした。

処刑人の命である、暗器を操る右手。これを砕けば、シグは二度と処刑人として生きることはできない。


グレンの手刀が、シグの腕に向けて静かに振り上げられた。


「……っ!」


シグが恐怖に目を固く閉じた。

だが、訪れるはずの激痛は、いつまで経ってもやってこなかった。


代わりに聞こえたのは、鈍い破壊音。

グレンの手刀は、シグの腕ではなく、彼が腰に提げていた『革鞄』を正確に打ち据えていた。


バキィッ!


中に入っていた予備の短刀、暗器、毒薬の瓶。

暗部としての処刑道具のすべてが、グレンの一撃によって完全に粉砕された。


「……」


シグが呆然と目を開けると、グレンはすでに彼から離れ、冷たい目で見下ろしていた。


「……なぜ、腕を折らない」


シグが掠れた声で問う。

グレンは半分閉じた目で、静かに答えた。


「俺の店で、子どもを泣かせていないからだ。……帰れ」


その言葉に、シグはギリッと奥歯を噛み締めた。

命を奪われず、腕も残された。だが、処刑人としてこれほどの屈辱はない。

彼は粉々になった鞄を引きずりながら、よろよろと立ち上がった。


敗北を突きつけられた若き刺客は、店の扉に手をかけ、振り返ることなく言った。


「……甘くなったな、黒縄」


シグの背中が、夜の闇に溶け込んでいく。

最後に、彼が残した言葉が、静寂の店内に重く響いた。


「俺は仕留め損なったが……局長は、あんたがこの街で守ろうとしているものを、もうすべて数え終えているぞ」


扉が閉まる。

感情を揺さぶるような、冷酷で決定的な危機を告げる言葉。


グレンは頬から流れる血を指で拭い、暗闇の中で、王都へと続く北の空を静かに睨みつけた。

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