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辺境雑貨屋のおっさん、実は王都最恐の元処刑人でした 〜店の子を泣かせた悪党は、魔法を唱える前に日用品で後始末します〜  作者: 他力本願寺


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第26話 灰冠局の手袋

辺境都市ラステルの南通りに、冷たい風が吹き込んでいた。


王都監察官のイリスが《からすの止まり木》を訪れた翌日。

街には、どこからか流れ込んできた不穏な空気が漂っていた。

市場を歩く商人や、日雇いの労働者に紛れて、不自然なほど気配を殺した者たちが数名、確実にこの街に入り込んでいる。


雑貨屋のカウンターで、グレンは半分閉じた眠そうな目のまま、客が置いていった小銭を数えていた。


「店主さん、これ、今朝来たお客さんが忘れていったみたいなんだけど……」


リナが、困ったような顔でカウンターに一つの革手袋を置いた。

安物の硬い革で作られた、どこにでもあるありふれた防寒用の手袋だ。


「……」


グレンは小銭を数える手を止め、その手袋を静かに見つめた。

見た目はただの安物だが、その『縫い方』には決定的な違和感があった。


手のひらや甲の部分は粗雑に縫われているにもかかわらず、人差し指と親指の腹の部分だけが、極めて細くしなやかな糸で、内側の縫い目が指に当たらないように精密な『平縫い』で処理されている。

それは、武器や暗器を扱う際に、指先の繊細な感覚を絶対に損なわないための、特殊な加工だった。


(……灰冠局か)


グレンの脳裏に、かつて自分が所属していた王都暗部の名が過ぎる。

彼らはグレンと同じように、気配を殺し、日常の風景に溶け込み、そして対象を確実に処理する技術を持っている。

男爵の事件で派手に動いた結果、ついに王都の処刑人たちが、自分たちと同じ匂いを辿ってこの辺境の街まで嗅ぎつけてきたのだ。


「店主さん? どうかしたの?」

「……いや。落とし物は、奥にしまっておけ」


グレンは手袋から視線を外し、再び小銭を数え始めた。


その日の午後。

ノアは、南通りを歩く一人の男の背中を、建物の陰からじっと見つめていた。


(……あいつ、さっきから店の周りをウロウロしてやがる)


スリとして生きてきたノアの目は、街に紛れ込んだ異物の気配に敏感だった。

男はただの行商人を装っているが、視線が常に《からすの止まり木》の建物の構造や、裏口の配置を探っている。


ノアは足音を完全に殺し、男の背後を尾行し始めた。

路地裏に入り、人目がなくなったところで、男の隙を突いて懐を探り、正体に繋がるものを盗み出してやろうと考えたのだ。


だが、男が細い路地の角を曲がった直後。

ノアが後を追って角を曲がると、そこには誰もいなかった。


「……え?」


行き止まりの路地。隠れる場所などない。

ノアが戸惑って立ち止まった、その瞬間。


「……坊主。足音は消せても、呼吸の音がうるさいぞ」


頭上から、冷たい声が降ってきた。

男は壁のわずかな突起を利用して、音もなく二階の高さまで登り、ノアの頭上で張り付くように待機していたのだ。


男が音もなく着地し、ノアの背後に立つ。

その手には、鈍く光る細いワイヤーが握られていた。


「っ……!」


ノアが咄嗟に逃げようとしたが、男の動きの方が圧倒的に早い。

ワイヤーがノアの首にかけられようとした、その時。


ガシャァッ!!


男の頭上、路地裏の建物の壁に取り付けられていた『街灯のガラス覆い』が、突如として粉々に砕け散った。

砕けたガラスの破片が、刃の雨となって男の頭上へと降り注ぐ。


「チィッ!」


男はノアの首を取るのを諦め、咄嗟に後方へと飛び退いてガラスの雨を回避した。


「……街灯の修理なら、組合を通せ」


ガラスの雨の向こう側。路地の入り口に、グレンが静かに立っていた。

彼の手には、さきほど男の頭上の街灯に正確に投げつけた、小さな『分銅』の紐が握られている。


「……黒縄か。こんな辺境で雑貨屋ごっこをしているとは、局長が知ればさぞお喜びになるだろうな」


男はワイヤーを構え直し、殺気を剥き出しにしてグレンを見据えた。

灰冠局の刺客。

彼らはグレンの古巣であり、彼と同じように環境を利用し、魔法や剣に頼らない処刑の技術を訓練されている。


男がワイヤーを素早く振り回し、グレンの首を狙って鋭く放った。


ヒュッ!


見えない刃のようなワイヤーが空気を切り裂く。

だが、グレンは避けない。

彼は手首のスナップを利かせ、持っていた分銅の紐を、飛んできたワイヤーの軌道に向かって正確に打ち据えた。


バチンッ!


紐とワイヤーが空中で激しく絡み合い、互いの動きを完全に停止させる。

武器が封じられた瞬間、男は懐から予備の短刀を抜き、グレンの懐へと飛び込んできた。


グレンは動じない。

彼は男が踏み込んでくる直前、すでに『仕掛け』を終わらせていた。


男が、先ほどグレンが粉砕した街灯の『ガラスの破片』が散らばる地面を強く踏み込んだ、その時。

彼自身の革靴の裏に、ただの破片ではなく、グレンがあらかじめ分銅と一緒に投げ込んでいた『裁縫用の太い針』が深く突き刺さった。


「ぐあっ!?」


足の裏を貫く激痛に、男の踏み込みが致命的に遅れる。

そのほんの一瞬の隙。


グレンは絡み合った紐を手放し、一歩踏み込んで男の顎を掌底で的確に打ち抜いた。

脳を揺らされた男の意識が飛び、石畳の上に崩れ落ちる。


「……足元が見えていないな」


グレンは倒れた男を見下ろし、淡々と呟いた。

灰冠局の刺客は確かに厄介だ。だが、この男はグレンの動線に自ら踏み込んできた時点で、すでに処刑台の上に立たされていたのだ。


「て、店主さん……」

「……怪我はないか、ノア」


腰を抜かしていたノアが、震える足で立ち上がる。

グレンはノアの頭を軽く撫でると、倒れた刺客の体を調べ始めた。


男の懐を探るが、身元を示すようなものは何もない。

暗部として当然の処置だ。

だが、グレンは男がはめていた『革手袋』に目を留めた。

朝、店に忘れられていたのと同じ、指先だけが平縫いされた特殊な手袋。


グレンはその手袋を乱暴に剥ぎ取り、内側を裏返した。


そこには、暗闇に紛れるための黒い糸で、小さな数字が縫い込まれていた。

『04』。


「……」


グレンの眠そうな目が、わずかに見開かれる。

それは、灰冠局において所属する処刑人に割り当てられる番号だ。

そして、その『04』という番号は、かつて王都で数え切れないほどの命を奪ってきた、若き日のグレン自身に与えられていた『古い処刑番号』だった。


なぜ、自分の古い番号が、この下っ端の刺客の手袋に縫い込まれているのか。


(……ただの調査じゃないな)


グレンは手袋を握りしめ、冷たい路地裏の空気を肺に吸い込んだ。

灰冠局の局長、オルド・ケイン。

彼のかつての上司である冷酷な男が、単なる男爵事件の調査ではなく、明確な『殺意』と『執着』を持って、自分を狩りに来ている。


王都のどす黒い影が、辺境の雑貨屋のすぐ足元まで迫っていた。

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