第11話 折れた剣士
辺境都市ラステルの広場に急造された簡易法廷。
その中心に立つ長身の男が放つ威圧感に、広場を囲む街人たちは息を呑み、後ずさった。
全身を特注の軽鎧で包み、腰に複雑な魔法陣が刻まれた長剣を帯びた男。
王都から招かれたという高名な魔法剣士、ラウス。
「ただの雑貨屋の親父だと聞いていたが……なるほど、素人には見えないな」
ラウスは鋭い鷹のような目で、手ぶらのまま立つグレンを値踏みするように見据えた。
彼はドランが雇っているような、街のチンピラ上がりの衛兵たちとは根本的に異なる。
かつて王都の正規騎士団に所属し、厳しい訓練と死線を潜り抜けてきた『本物』の戦士の空気を纏っていた。
「私の名はラウス。法の裁きに逆らうというなら、容赦はしない」
ラウスがゆっくりと腰を落とし、剣の柄に右手をかけた。
カチリ、と鍔鳴りがした直後。
剣はまだ鞘に収まったままにもかかわらず、柄から溢れ出した青白い魔力が鋭い刃となって虚空を走った。
ヒュンッ! ドスッ!!
グレンのすぐ横にあった、分厚い木製の証言台の端が、音もなく真っ二つに切断されて床に落ちた。
刃を交えることなく、魔力だけで斬撃を飛ばしたのだ。
「ひっ……!」
「な、なんだあれは……!」
目に見えない斬撃の威力に、街人たちから悲鳴が上がる。
「ははははっ! 見たか、これが王都の魔法剣士の力だ!」
一段高い席から、衛兵隊長ドランが勝ち誇ったように高笑いをした。
彼は木槌を振り上げ、広場全体に響き渡る声で死刑宣告を下す。
「やれ、ラウス殿! その男が少しでも抵抗の素振りを見せれば、即座に斬り捨てて構わん!」
「……承知した」
ラウスの目に殺気が宿る。
柄を握る手にさらに強い魔力が込められ、鞘の隙間から青白い光が漏れ出した。
次に放たれる一撃は、威嚇ではなく確実にグレンの首を撥ね飛ばすだろう。
だが、グレンは相変わらず半分閉じたような眠そうな目で、ラウスの剣ではなく、周囲の『環境』を静かに観察していた。
グレンのすぐ横には、ドランの部下である書記官たちが座るための机がある。
机の上には、偽造書類をでっち上げるために使われていた、束になった丈夫な『封蝋用の麻糸』。そして、公印を押すために火にかけられ、ドロドロに溶けている赤い『封蝋』の小鍋。
足元には、南通りの店から不当に押収された品々が入った重い『証拠箱』が転がっている。
「……終わりだ、雑貨屋」
ラウスが踏み込み、魔力を帯びた必殺の剣を抜こうとした、その瞬間。
ガンッ!
グレンは足元にあった重い木製の証拠箱を、容赦なくラウスのすねに向けて蹴り飛ばした。
「小細工を……!」
ラウスは冷笑し、抜刀の軌道をわずかに変えて、飛んできた木箱を鞘ごと叩き落とそうとする。
本物の騎士である彼にとって、その程度の目くらましは何の障害にもならない。
だが、それはただの囮だった。
木箱の死角から、グレンの手が放った『何か』が、蛇のように空を切って飛来した。
火にかけられていた小鍋の赤い封蝋と、それにたっぷりと浸された封蝋用の麻糸だ。
「なっ!?」
ベチャリ、という生々しい音と共に、熱くドロドロに溶けた封蝋と糸が、剣を抜こうとしていたラウスの右手の指と、剣の柄に絡みついた。
冬の辺境の冷たい空気に触れ、赤い蝋は一瞬にして硬化する。
ラウスの指は、剣の柄と鞘に強力に接着され、完全に固定されてしまった。
剣が、抜けない。
「ちぃっ!」
焦ったラウスが強引に指を引き剥がそうと、柄に膨大な魔力を流し込もうとする。
そのわずかな硬直。一秒にも満たない致命的な隙。
グレンはすでに、ラウスの懐――完全に防御の内側へと踏み込んでいた。
ラウスは剣が抜けないと悟るや否や、柄に込めた魔力をそのまま爆発させようとした。
もしこの瞬間、グレンがラウスの『手首』を極めたり砕いたりしていれば、行き場を失って暴走した魔力が剣ごと暴発し、周囲の街人たちを巻き込む大惨事になっていただろう。
だからこそ、グレンは手首を狙わない。
グレンの両手は、魔力の暴発地点から外れたラウスの右腕の『肘』の関節を、極めて正確に、冷徹に捉えていた。
そして、一切の躊躇いなく、己の体重を乗せて逆方向へとへし折る。
ゴキィッ!!!
硬い骨が砕け、関節が完全に破壊される鈍く絶望的な音が、静まり返った法廷に響き渡った。
「あ、がっ……あ、あああああああッ!?」
魔法剣士の口から、無様な絶叫が漏れる。
魔力の流れを完全に断ち切られ、ラウスは白目を剥いて、石畳の広場へとどうっと崩れ落ちた。
法廷に、再び重い沈黙が降り下りた。
グレンは、肘を異常な方向に曲げて痙攣する男を見下ろし、いつもと変わらない淡々とした声で告げた。
「剣を抜く前に折る。……基本だ」
圧倒的な暴力の化身であったはずの魔法剣士が、ほんの数秒で、剣を抜くことすらできずに敗北した。
ドランは信じられないものを見たように目を剥き、あんぐりと口を開けたまま固まっている。
絶対的な権力と暴力で支配されていた法廷の空気が、完全に逆転した瞬間だった。
「……あ、が……」
石畳に倒れ伏し、痛みで息も絶え絶えになりながら、ラウスが虚ろな目でグレンを見上げた。
王都の騎士であった彼は、この異常なまでの効率性と、一切の容赦がない戦闘の『手口』を知っていた。
「そ、その折り方……まさか……王都の、処刑術……」
ラウスの掠れた呟きは、近くにいた街人たちの耳にもはっきりと届いた。
「処刑術……?」
「あの雑貨屋の親父が……?」
マルタ婆さんも、リナも、ノアも、そして広場を囲むすべての街人たちが、息を呑んでグレンを見つめた。
ただのうだつの上がらない、辺境の雑貨屋の店主。
その認識が音を立てて崩れ去り、彼らの目に映るグレンの姿が、底知れぬ畏怖の対象へと変わっていくのだった。




