第10話 法廷では声が大きい者が勝つ
辺境都市ラステルの中心にある広場には、一夜にして木組みの『簡易法廷』が設営されていた。
本来、罪人を裁く権利を持つのは、王都から派遣された代官だけである。
だが、現在のラステルは長らく代官が不在のままであり、その権限は治安維持の責任者である衛兵隊長、ドラン・メイザーに委任されていた。
ドランはその法的な隙間を突き、自らが絶対の裁判官として君臨する舞台を作り上げたのだ。
広場は、様子を見守る街の住人たちで埋め尽くされていた。
しかし、誰一人として声を上げる者はいない。皆、青ざめた顔で沈黙し、広場の中央を見つめている。
そこには、手枷こそはめられていないものの、数人の武装した衛兵に囲まれて立つ男がいた。
古びたエプロン姿に無精髭の、うだつの上がらない雑貨屋の店主。
グレン・ガロウズだ。
「さて。これより、代官代理たる私の権限において、南通りの雑貨屋グレンの審問を行う」
一段高い席にふんぞり返ったドランが、よく響く声で宣言した。
彼は勝ち誇ったような冷酷な笑みを浮かべ、手元の書類を大仰に読み上げる。
「罪状は、赤鼠商会への襲撃、並びに商会主バルド・レックの殺害。この街の治安を根底から破壊した凶悪なテロ行為である!」
ドランの言葉に、広場がざわめいた。
赤鼠商会がどれほどの悪事を働いていたか、街の人間は皆知っている。だが、法廷という場においてドランが「テロ行為」と定義すれば、それがこの街の『法』になってしまうのだ。
「誰か、この男を弁護する者はいるか? いるなら前に出たまえ」
ドランが広場を見渡して嘲笑う。
街人たちは、互いに顔を見合わせながらも、誰も一歩を踏み出せなかった。
衛兵に逆らえば、商売の『営業許可』を取り消される。住む家の『住居登録』を抹消される。孤児たちを『保護』という名目で連れ去られる。
彼らの生活のすべてを、ドランの持つ書類の権限が握り潰してしまうからだ。
圧倒的な絶望の沈黙。
グレン自身も、半分閉じたような目でドランを見上げているだけで、一言も弁明しようとしなかった。
だが、その沈黙を破る声が上がった。
「ふざけるんじゃないよ!」
群衆を掻き分けて前に出たのは、パン屋のマルタ婆さんだった。
彼女は衛兵の槍を恐れず、ドランに向かって指を突きつけた。
「このうだつの上がらない雑貨屋が、あの恐ろしい商会を一人で潰せるわけないだろうが! 適当な罪をなすりつけるのもいい加減にしな!」
「そうだ! 店主さんは、そんなことしてない!」
マルタ婆さんに続いて、リナが震える足で前に出た。
彼女の隣には、ノアがしっかりと立ち、ドランを鋭く睨みつけている。
「俺はずっと店主さんと一緒にいた! あんたたちが裏金運んでた夜もな!」
ノアの叫びに、ドランの眉がピクリと動いた。
「私も証言します」
さらに、静かな声と共に薬師のセラが進み出た。
彼女は凛とした態度で、ドランを見据える。
「事件のあった夜、彼は私の薬屋に荷を運んでいました。到底、商会を襲撃する時間などなかったはずです。彼にはアリバイがあります」
四人の声が、重苦しい空気に小さな風穴を開けた。
誰もが恐れて口をつぐむ中、彼らだけはグレンを守るために、持てる限りの勇気を振り絞って証言を積み上げたのだ。
だが、ドランは痛くも痒くもないというように、鼻で笑った。
「身内や、付き合いのある身寄りのない未亡人の証言など、何の証拠能力もない。それに、小僧。嘘をつくならもう少し上手くやるんだな。貴様らのような底辺の屑の言葉より、法の守護者たる衛兵の言葉の方が、この法廷では重いのだ」
ドランが指を鳴らすと、彼の手下である一人の衛兵が進み出た。
以前、グレンの店で剣を落とし、市場で干し布を被って転んだあの男だ。
彼は憎々しげにグレンを睨みつけ、得意げに声を張り上げた。
「俺は見た! 事件のあった夜、こいつが赤鼠商会の倉庫から、血まみれになって出てくるのをな! 俺は恐ろしくて身を隠していたが、間違いなくこの雑貨屋の親父だったぜ!」
完全な偽証だった。
だが、衛兵の『目撃証言』は、この場において絶対的な証拠として機能してしまう。
「聞いたな。証拠は揃った。これより判決を――」
「……嘘が下手だな」
ドランが木槌を振り下ろそうとした瞬間、これまで沈黙を保っていたグレンが、初めて口を開いた。
「あ? なんだと?」
「……お前が倉庫に入ったのは、事件のあった夜じゃない。その翌日だ」
グレンは半分閉じた眠そうな目を、偽証をした衛兵へと向けた。
より正確には、彼の『足元』へ。
「なっ、何で俺が翌日に入ったなんて……」
「お前の革靴の底だ」
グレンの静かで通る声が、広場に響く。
「あの夜、俺は……犯人は、倉庫の床に大量の香辛料の粉と灰を撒いたはずだ」
「な……」
「お前の靴の裏の溝には、その黄色いウコンの粉と、白い灰が、今もべっとりとこびりついている。事件当夜、外から見ていただけなら絶対に踏むはずのないものだ」
衛兵の顔面から、さっと血の気が引いた。
「……翌朝になってから、商会の残党から裏金や帳簿を回収するために、倉庫の中を隅々まで歩き回ったんだろう。証拠隠滅のためにな」
グレンの指摘は、致命的だった。
彼らは街の権力者であっても、靴の汚れを丁寧に落とすような繊細な神経は持ち合わせていなかったのだ。
「ち、違う! これはその、市場でたまたま踏んだだけで……っ!」
しどろもどろになる衛兵の姿を見て、広場の街人たちがざわめき始める。
法廷という嘘の舞台に、グレンが『雑貨屋の観察眼』という揺るぎない事実を突きつけ、見事に亀裂を入れたのだ。
「……黙れ。見苦しいぞ」
ドランが冷たい声で部下を下がらせた。
彼の顔から余裕の笑みが消え、苛立ちが露わになっている。
このままでは、街人たちの前で法廷の正当性が崩れてしまう。
「小賢しい真似を。言葉遊びで罪から逃れられると思うなよ、雑貨屋」
ドランは立ち上がり、忌々しげにグレンを見下ろした。
書類と権限だけで押し切るつもりだったが、相手が想像以上に厄介だと判断したのだ。
「ならば、誰の目にも明らかな『確実な証人』を呼ぼうではないか」
ドランが合図を送ると、法廷の奥から重々しい金属音が響いてきた。
現れたのは、全身を特注の軽鎧で包んだ、長身の男だった。
腰には、辺境の衛兵が持つような粗悪な剣ではなく、柄に複雑な魔法陣が刻まれた見事な長剣を帯びている。
その男が歩み出るだけで、広場の空気がピリッと張り詰めるほどの圧倒的な威圧感があった。
「紹介しよう。王都より招いた、高名な魔法剣士ラウス殿だ」
ドランの言葉に、群衆が息を呑む。
魔法剣士。それは、剣術と魔法の両方を極めた、一騎当千の戦闘エリートだ。辺境の街でおいそれとお目にかかれる存在ではない。
「ラウス殿は、武器や戦い方を見ただけで、相手の正体を見破る専門家だ。彼に貴様の相手をさせれば、貴様がただの雑貨屋ではないことなど、すぐに証明されるだろう」
ドランは極めて邪悪な笑みを浮かべた。
「当然、抵抗すれば斬り捨てても構わん。……さあ、法の裁き(剣)を受け入れろ、雑貨屋」
証人という名目で呼び出された、圧倒的な暴力の化身。
法という檻に、逃げ場のない刃が追加された瞬間だった。




