探し中(その四)
探せ、必ずあるはずだ。
ただし、探す場所には気をつけろ。
これまでの定説は間違っている。『呉服町』は違うぞ。
あの場所からでは、『志賀島』を見ることはできない。『万葉集』によれば、『鴻臚館』があるのは、『志賀島』が見える場所だ。
そんな説を中山平次郎博士が唱えてから、月日が流れる。
年号が変わった。大正から、昭和になった。
そして、大きな戦争が終わり、昭和二十三年(一九四八)のこと。
かつて福岡城があった場所は、総合運動場になっていた。ここで第三回国体が開催された。
翌年、この総合運動場は野球場に改造される。
平和台球場だ。
春になると、お堀沿いの桜が咲く。桜観賞を楽しみながら、人々は野球場に向かった。
さらに八年後、野球場の大改造工事がある。この時、「大量の陶片」が発見された。
やはり、この場所には昔、何かがあったらしい。ひょっとしたら、『鴻臚館』かも。
この場所の歴史をふり返ってみると、江戸時代には藩主のお城があり、明治時代になってからは、帝国陸軍の基地があった。調査できない場所だった。
大正時代、中山博士は『どんたく隊』に混じって、基地内に入ることに成功した。その結果、古瓦の破片や古い陶磁器の破片を見つけた。
ただし、破片を拾ったのは、武器庫や火薬庫のすぐ近くだ。基地内の警備が特に厳しい場所。ちょこっとだけ掘らせて欲しい、そんなことを言い出せば、スパイ容疑でつかまりかねない場所だ。
それで博士は、将来の誰かに期待した。
今の時代は無理でも、あの場所から基地がなくなる、そんな時代が来るかもしれない。
その時に見つけて欲しい。博士は未来に託したのだ。自分の代わりに、『鴻臚館』を見つけて欲しい。
で、昭和三十二年(一九五七)だ。野球場の大改造工事で、「大量の陶片」が発見された。
しかし、この時も『鴻臚館』は未発見に終わる。
野球場のある場所に昔、歴史的に重要な何かがあったのは本当っぽいが、この時の発掘は見送られた。
というのも、平和台球場はすでに、戦後の復興、その象徴の一つになっていたのだ。
今すぐ壊してどうにかするのは、市民感情を考えると、非常に難しい。
また、財政的にも、こういう歴史調査を行うには、時期が早すぎた。まだまだ復興の途上。優先すべき事柄は、他にたくさんある。
それに、「大量の陶片」が見つかったとはいえ、さすがにもう、『鴻臚館』自体の痕跡は、完全に破壊されているに違いない。当時はそのように考えられたのだ。そんなことに、大事な予算は使えない。
そういうわけで、中山博士の夢は、さらに未来へと託された。いつの日か、未来の誰かに『鴻臚館』を見つけて欲しい。
探せ、必ずあるはずだ。
その重要な手がかりは、『万葉集』の中に存在する。




