探し中(その三)
九州帝国大学に戻って、中山博士の「戦利品」を確認する。
大きな机の上には、大正時代の「博多の地図」が広げられていた。
しかし、それをそのまま見る者はいない。
頭の中で置き換える。「あの基地の地図」に。
どの町名が、基地のどこにあたるのか。そういうことは前もって、大ざっぱにだが決めている。
さすがに、「あの基地の地図」の実物を広げて、ああだこうだと話し合うのは、誰かに見つかった時にまずいかも。やっていることはたぶん、スパイと同じだ。見つかる相手によっては、大事に発展するかもしれない。
それで、こういう偽装工作をしている。安全第一だ。
博士が地図の上に、石のかけらを置く。
「ここで拾った」
基地の敷地を半周したあたりだ。
その場にいる者たちの目が、石のかけらに注がれる。
「これは・・・・・・」
考古学に興味はあるものの、自分たちは博士ほどの目利きではない。
だから、正直なところ、よくわからなかった。ぱっと見には、ただの石ころに見えるような・・・・・・。
そこで、右や左に動いたり、背伸びや中腰になったりと、見る角度を変えてみる。
すると、何人かが気づいた。
「普通の石ころとは違うようですな」
そんな中、まだわからない者たちの一人が、
「博士、これは何です?」
「『古い瓦の破片』だろう」
さらに博士は地図を指して、
「これの他に、もっと大きいものも見た。ここに埋まっていた」
しかしながら、あの短時間でそっちを掘り出すのは、さすがに無理だった。
それで、この「瓦の破片」だけを拾ってきたという。
地中に埋まっていた方について、博士は口で描写すると、
「奈良時代とか、その頃の瓦だと考えているが」
地上に見えていたのは、ごく一部だ。大半は地中。
なので、「絶対に奈良時代の瓦が埋まっている!」とは、断言できない。
とはいえ、古い瓦だということには、かなり自信があるそうだ。
博士の説明を聞いて、その場にいる者たちは考えた。
たしかに、江戸時代のものとは違うようだ。福岡城の瓦については、この仲間でいくつも収集しているが、それとは別物らしい。
しかし、博士一人の「口頭による説明」だけでは、議論するにも限界がある。
やはり、実物を見てみないことには・・・・・・。
そういうわけで、地中に埋まっていたものについては、ひとまず保留にする。
ここにある石ころ、博士が言うには「瓦の破片」、そっちを観察した。
これが本当に「瓦の破片」だとすると、たしかに福岡城の瓦とは違う。
となると、お城があった江戸時代よりも、前のものになるが・・・・・・。
それ以前だと、どの時代でも、瓦は高級品だ。よほどの建物にしか使われないはず。
ましてや、これが本当に奈良時代のものなら・・・・・・。
「『鴻臚館』の前身、『筑紫館』の瓦かもしれませんね」
一人がつぶやく。そうとしか考えられない。奈良時代に瓦を使っている建物は、非常に限られるのだ。
たとえば、『鴻臚館』の前身、『筑紫館』とか。いわゆる迎賓館なので、海外からの使節団に対して、見栄を張る必要がある。
また、たとえ『筑紫館』でなかったとしても、江戸時代に福岡城があった場所には、何かがありそうだ。あの場所には、重要な歴史的遺構が眠っているに違いない。
歴史の探求をしている者として、これは大いなる興奮だ。長く閉ざされていた歴史の扉が、今にも開こうとしている。
だが、大発見になりそうだからこそ、慎重に行くべきだ。
まずは物証。
中山博士に尋ねる。
「博士、他に拾ってきた物はありませんか?」
たしか、基地の敷地内で、博士は何度かしゃがみ込んでいた。
博士が自信なさげに、いくつかの石ころを取り出す。
皆でじっくり観察してみた。
残念ながら、どれも「ただの石ころ」のようだ。あの短時間では、拾うすべてが「お宝」とはいかない。
他の者たちは博士を労う。
「あとは、この場所で『陶磁器らしき破片』を見た」
博士が地図の一点を指す。
これも、基地の敷地を半周したあたりだ。「瓦の破片」を回収した場所の近く。
どの時代のものかは、わからなかったという。
その「陶磁器らしき破片」は、そこまで大きなものではないので、
「もう一度同じ場所に行けば、拾うことができると思う」
「だったら、行くしかありませんね」
幸いなことに、『博多どんたく』は二日ある。
つまり、明日も挑戦できるのだ。来年まで待たなくてもいい。明日も『どんたく隊』にまぎれ込む。
それで、その「陶磁器らしき破片」を回収するのだ。




