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Σ(・口・)あった!

 大正たいしょう時代じだい中山なかやま博士はかせかんがえた。


 これまでの定説ていせつでは、『鴻臚館こうろかん』があったのは、『呉服町ごふくまち』(福岡ふくおか博多はかた)だ。そのまちにあるふる地名ちめいから、そうかんがえられてきた。


 しかし、本当ほんとうにそうだろうか。


 疑問ぎもんかんじた博士はかせは、個人的こじんてき調査ちょうさする。


 とはいえ、『鴻臚館こうろかん』が存在そんざいしたのは、はるかむかしだ。千年せんねん以上いじょうまえになる。


 最初さいしょは『筑紫つくしのむろつみ』とばれていたが、やがて『鴻臚館こうろかん』へと、名前なまええた。


 けれども、いまのこっていない。どこにあったのかも不明ふめいだ。当時とうじ地図ちずのこっていない。


 本当ほんとうにそうか?


 当時とうじのことをつたえる文献ぶんけんで、いまのこっているものがある。


 そのひとつが『万葉集まんようしゅう』だ。


 おさめられているうたは四千五百(しゅ)以上いじょうで、編纂へんさんされたのは奈良なら時代じだい


 これは『鴻臚館こうろかん』の前身ぜんしん、『筑紫つくしのむろつみ』があった時代じだいともかさなる(※『筑紫つくしのむろつみ』がてられたとされているのは、奈良なら時代じだいよりもまえなので、『万葉集まんようしゅう』の編纂へんさんよりも、さらにふるい)。


 また、うた作者さくしゃ天皇てんのうから庶民しょみんまで、多岐たきにわたっている。


 そのためか、生活せいかつ関連かんれんしたうたおおい。日本にほん各地かくち、さまざまな地方ちほうの、さまざまなひとたちのうたおさめられている。


 ということは、『筑紫つくしのむろつみ』にかんするうたざっているかも・・・・・・。


 そうおもって中山なかやま博士はかせは、大正たいしょう時代じだいに『万葉集まんようしゅう』を調しらはじめた。


 その結果けっかつける。これから新羅しらぎわたものが、『筑紫つくしのむろつみ』でうたんでいた。



  志賀しかの裏に いざりする海人あま家人いえびとの 待ち恋ふらむに 明かし釣るうお


  (※「いざり」はりょう意味いみ



 さらにうたはもうひとつ。



  今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松やままつかげに ひぐらし鳴きぬ



 また、このしゅとはべつうたに、「荒津崎」という地名ちめいがあった。そのうたも、『筑紫つくしのむろつみ』でんだものらしい。


 これらのうた重要じゅうようがかりだ。


 たとえば、博多はかたふる地名ちめいに、「荒津山」(現在れいわ福岡ふくおか中央ちゅうおう西公園にしこうえん)というのがある。「荒津山」と「荒津崎」。このふたつはちかいとかんがえるのが自然しぜんだ。


(じゃあ、『鴻臚館こうろかん』があった場所ばしょは・・・・・・)


 博士はかせ思考しこうつづける。


 あたまなかで、『万葉集まんようしゅう』のうたをくりかえした。



  志賀しかの裏に いざりする海人あま家人いえびとの 待ち恋ふらむに 明かし釣るうお



  今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松やままつかげに ひぐらし鳴きぬ



 まえうたてくる「志賀しかの裏」とは、「志賀島しかのしま」のことだろう。あそこには歴史れきしふる神社じんじゃがある。うたまれた当時とうじも、その周辺しゅうへんひとんでいたのはちがいない。


 で、このうたまれた場所ばしょは『筑紫つくしのむろつみ』。


 そこからは、志賀島しかのしまをはっきりることができたのではないか。はいったからこそ、このうたんだのではないか。


 そもそも『筑紫つくしのむろつみ』は、海外かいがい使節団しせつだんをもてなすための施設しせつだ。いわゆる迎賓館げいひんかん


 と同時どうじにその施設しせつは、けんずい使けんとう使けん新羅しらぎ使出発しゅっぱつまえ滞在たいざいする場所ばしょでもあった。


 つまり、うみちかくにあったのは確実かくじつ


 そして、志賀島しかのしまることができる場所ばしょ


 とはいえ、そのふたつだけだと、候補こうほとなる範囲はんいひろすぎる。


 そこで博士はかせは、ふたつめのうた注目ちゅうもくした。


 重要じゅうようそうな言葉ことばがある。「山松やままつかげ」と「ひぐらし」だ。


 このうたまれたのも『筑紫つくしのむろつみ』。


 だったら、そこは「ひぐらし(セミの一種いっしゅ)がいるようなやまちかく」では?


 博多はかたふる地名ちめいに、「荒津山」(現在れいわ福岡ふくおか中央ちゅうおう西公園にしこうえん)というのがある。


 もしかして、その「ひぐらしがいるようなやま」とは、「荒津山」のことかもしれない。


 もしも、「荒津山」のちかくに『筑紫つくしのむろつみ』があったとすると、候補こうほとなる範囲はんいをかなりしぼることができる。


 奈良なら時代じだいごろ海岸線かいがんせん予想図よそうずかさねてみると、「荒津山」のきたがわはほとんどうみだ。さがすべきは「荒津山」のひがしがわ西にしがわみなみがわになる。


 しかも、ひぐらしのこえこえる距離きょりだ。


 そこにほか調査ちょうさ結果けっかくわえると、


(『鴻臚館こうろかん』があった場所ばしょはおそらく・・・・・・)


 博士はかせあたまなかで、古代こだい地図ちずかびがってくる。


 この、『万葉集まんようしゅう』が地図ちずになった。『鴻臚館こうろかん』の場所ばしょしめ地図ちずだ。


 そして、ときぶ。


 大正たいしょう時代じだいから、昭和しょうわ六十二年(一九八七)へ。


 それは、中山なかやま平次郎へいじろう博士はかせ未来みらいたくしたおもいが、結実けつじつした


 その平和台へいわだい球場きゅうじょうでは、外野席がいやせき改修かいしゅう工事こうじともなう「地中ちちゅう調査ちょうさ」をしていた。


 そこで、ついにつかる。『鴻臚館こうろかん』の遺構いこうが。


 中山なかやま博士はかせ昭和しょうわ三十一年(一九五六)に他界たかいしていたが、その推理すいりただしかったのだ。


 大昔おおむかしまぼろし施設しせつ発見はっけんされる。そのニュースは日本中にほんじゅうめぐった。


 この大発見だいはっけんうらに、『万葉集まんようしゅう』がかかわっていたことは、あまりられていない。











【参考文献】


博学博多200貸

調 福男/著  西日本新聞社


博多に強くなろう 2

福岡シティ銀行「博多に強くなろう」編纂室/編集・企画  葦書房


福岡のトリセツ 地図で読み解く初耳秘話

昭文社


博多謎解き散歩

石瀧 豊美/編著  KADOKAWA


古代の博多 鴻臚館とその時代

古代の博多展実行委員会/編集  古代の博多展実行委員会


古代の博多

中山 平次郎/著  九州大学出版会


常用国語便覧

加藤 道理/[ほか]編著  浜島書店



ご愛読ありがとうございました。

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