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婚約破棄されたので代筆をやめます。殿下の恋文、全部私が書いていたんですけど  作者: はてなるあてな


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4/6

寒い国へようこそ

歓迎式典の日。


伯母様の領地へ発つ予定は、一日延ばした。


国中の貴族が出席を命じられた式典に、伯爵家の娘が顔を出さないわけにはいかない。それが表向きの理由だ。


本当の理由は、自分でもよく分からない。


王宮の正門で馬車を降りると、父が私の腕を取った。


「無理はするな。具合が悪いと言って、いつでも帰っていい」


「大丈夫です、お父様。見届けるだけですから」


自分が書かなかった言葉が、どうなるのかを。


控えの回廊を進んでいると、柱の陰から、ひょろりと背の高い少年が出てきた。


第二王子、エドガー殿下だった。


「クラリス嬢」


殿下は、周りを気にするように声をひそめた。


「兄の非礼を、僕からお詫びします。本当に、申し訳ありませんでした」


「エドガー殿下が謝られることでは」


「それと……ずっと、お礼が言いたかったんです」


エドガー殿下は、少し赤くなってうつむいた。


「去年の水害で、僕の乳母の村が流されました。兄の名前で届いた弔文を、乳母は今も枕元に置いています。『殿下が、こんなに私たちのことを思ってくださるなんて』って」


胸の奥が、きゅっと痛んだ。


あの弔文は、一晩で十七通書いた。村ごとに、亡くなった人の名前を一人ずつ確かめながら。


「乳母には、本当のことは言えません。でも、僕は知っています」


エドガー殿下は、ぺこりと頭を下げた。


「あの手紙を、ありがとうございました」


何か言おうとして、言葉が出てこなかった。


十年間、私の文にお礼を言った人は、ほとんどいなかった。言える人が、いなかったのだ。


エドガー殿下が走り去ったあと、父が黙ってハンカチを差し出してくれた。


大広間に入ると、あちこちから視線が刺さった。


「ほら、あの方よ」


「代筆なんて、婚約破棄された腹いせの作り話でしょう?」


「でも、侍従長様の顔色をご覧になった? 昨日から真っ青よ」


聞こえないふりをして、大広間の隅に立つ。


扇を広げると、少しだけ息がしやすくなった。


壇上の脇には、アルベルト殿下が立っていた。手には紙を一枚。何度も折り直したらしく、しわだらけだ。


少し離れた貴族席に、ミレイユ様の姿もあった。


いつもなら殿下の腕にぶら下がっているはずの人が、今日は一人で座っている。膝の上で、小さな手提げをぎゅっと握りしめて。


私と目が合うと、彼女はすぐに視線をそらした。


ファンファーレが鳴った。


帝国の使節団が入場してくる。黒と銀の礼装。その先頭に立つ青年を見て、周りの令嬢たちが息をのんだ。


ユリウス・ヴァルデン皇太子殿下。


背が高い。夜の湖みたいな、深い青の瞳。雪のような銀髪を、後ろで一つに結んでいる。


手紙の文字から想像していたより、ずっと若くて、ずっと静かな人だった。


――少し右上がりの、几帳面な字。


――「無理はなさらないように」と、毎回最後に一行添えてくる人。


あの人が、あの手紙を書いていたのか。


扇を持つ指に、力が入った。


「――それでは、アルベルト王太子殿下より、歓迎のお言葉を賜ります」


アルベルト殿下が、壇上に上がった。


紙を広げる手が、かすかに震えている。


嫌な予感がした。


「て、帝国の皆さん、ようこそ」


声が裏返った。


「我が国と帝国は、これから仲良くします。とても、仲良くします」


広間の空気が、凍りついた。


貴族たちの何人かが、顔を見合わせる。宰相閣下が、そっと目元を押さえた。


帝国の使節団の中で、年配の副使が眉をぴくりと動かした。


殿下は、気づいていない。


「帝国は寒いと聞きましたが、我が国はあたたかいので……ゆっくり、していってください。以上です」


拍手は、まばらだった。


私は扇を握りしめた。


――十年前と、同じ言葉。


帝国の人間に向かって「寒い」と言うのが、どういう意味か。殿下は、十年経っても知らないままだった。


使節団から、低いざわめきが起こる。


副使が、ユリウス殿下に何かを耳打ちした。険しい顔だった。


その時、ユリウス皇太子殿下が、一歩前に出た。


「ご丁寧なお言葉、感謝いたします」


穏やかな声だった。


広間中が、彼の次の言葉を待った。


「アルベルト殿下とは、この三年、書簡を交わしてまいりました。帝国の冬を『凍える季節』ではなく、『春を待つ力をたくわえる季節』と書いてくださったのは、殿下が初めてでした」


――それは、私が書いた文だ。


二年前の冬。帝国で大雪が続き、多くの村が孤立したと聞いた夜に書いた。


「帝国の民はあの一文を、今も語り草にしております。私自身、あの手紙を今も書斎の引き出しに入れています」


胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。


「ですから、今日のお言葉には少々驚きました」


ユリウス殿下は、微笑んだ。


ただし、目は少しも笑っていなかった。


「まるで、別の方のお言葉のようで」


アルベルト殿下の顔から、血の気が引いていく。


「い、いや、それは……今日は、その、喉の調子が」


「お大事になさってください」


ユリウス殿下は、それ以上何も言わずに一礼した。


それが、何よりも重い返事だった。


広間のあちこちで、ひそひそ声が戻ってくる。今度は、さっきとは違う種類の声だった。


――ねえ。やっぱり、代筆の話って。


――しっ。


私は、壇上から目をそらした。


これ以上は、見ていられなかった。


ざまあみろ、と思えればよかった。


けれど胸に浮かんだのは、十年かけて積み上げたものが、目の前で崩れていく音だった。帝国との条約。北の村への小麦の約束。手紙一通ずつ、言葉一つずつ、並べてきたもの。


扇で顔を隠し、壁際をそっと出口へ向かう。


その途中で、ふと視線を感じた。


振り返る。


壇上のユリウス殿下が、広間をゆっくりと見回していた。


何かを探すように。


一人ひとりの顔を、確かめるように。


その青い目が、扇の陰の私のところで、一瞬だけ止まった――気がした。


私は、急いで扉の外へ出た。


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