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一月目(ひとつきめ):2028年1月24日(月)

 暮れの再会の後、そのままクルマを北に走らせ実家に帰った。

そして本棚から小学校の卒業アルバムを見つけ、1ページ1ページ目を凝らすように彼女を探す。2クラスしかない集合写真と名前をひとつづつ、答え合わせをするように辿っていくが、彼女と思える姿は見当たらない。その代わり、何十年振りかに思い出した他のクラスメートの記憶は断片的に蘇る。しかし彼女のことは思い出せない。他のページのスナップ写真をくまなく探しても、小学生の彼女の姿を見つけられなかった。

正月が空けると、僕は居ても立ってもいられず、再会した病院を訪れ、4階入院病棟のナースステーションを尋ねる。しかし彼女の姓名を言えぬ僕は、守秘義務の壁に阻まれ病院を後にする。そんな感じでモヤモヤしながら過ごしていると、暮れの再会から3週間後に、1枚の葉書がアパートのポストに入っていた。自分への宛先は美しいペン字で縦書きされている。裏には、

「1月24日 12時正午 吾妻橋 キミより」 とだけ書かれていた。再び葉書の表を見直すと、消印が押されていない。

(これは彼女が出したのだろうか?果たして彼女は来るんだろうか?)僕は、タクシーを運転しながら何度も自問していた。


約束の当日、僕は気が急いてしまい、30分も早くそこに着いてしまう。

吾妻橋といっても、どこで待てば良いのだろう?そう考えながら、浅草寄りの水上バス乗り場の建物の前にある、花びらみたいな大きい街灯が目に入り、その下で待つことにした。橋の向こうには象徴的なビルとその横にスカイツリーが並んで見える。

(彼女はどちらから来るのだろうか?)ずーっとキョロキョロしている自分に恥ずかしさを覚えながらも、久しぶりにワクワクしてスマホの時計を何度も確認しながら、心躍っている自分がいた。

「トシくん?」 トントンと後ろから右肩を叩かれるのと同時に、彼女の声を聞く。 驚いて振り返ると、そこにはマスク姿の彼女がいた。

「キミちゃん…だよね?」 暮れに病院で会った時の弱々しい雰囲気はなく、本当に彼女なのか?と戸惑っていると、彼女はマスクをゆっくりと外す。 そこには紛れもなくあの『キミちゃん』がニッコリと微笑んでいる。

白い肌は相変わらずで、この前に会った時より顔色はとても良くなっている。髪は肩辺りで揃えられて、緩く内巻きのウェーブが掛かっており、グレーイッシュだった髪も染めたのだろうか、太陽の光で明るい栗色に見えた。ベージュのコートを羽織って裾からは、えんじ色のスカートが覗いていて、首にはマフラーが巻かれている。

「トシくん…会えたわ、会いたかった。待ったかしら?」 彼女にそう言われスマホを見ると、まだ12時5分だった。

「いえ、僕が早く着き過ぎただけなので大丈夫です。」僕はかしこまりながら答えると、

「ふふふ、その敬語止めません?全く知らない人同士でもない、同級生なのよ私たち…」と彼女は少したしなめる様に言う。

「えっ、ああーすみません、つい緊張してしまって…」僕はそう言いながら後ろ髪を触る。それを見た彼女はすかさず、

「ふふっ、その仕草…緊張すると後ろ髪を弄ってたのよね、変わってないわ…」と嬉しそうに話す。

「敵わないな~。あの頃の僕を一体どこまで知っているの?」

「沢山…今こうしてトシくんを目の前にすると、色々な事を思い出してきたわ…」

彼女の目は少しだけ潤んでいるのだろうか、冬の少し斜めな太陽の光が瞳に反射して、キラキラしていた。

「キミちゃん、会いたかったよ。それよりいつ退院したの?具合良くなったんだね。ココに来るまで疲れてない?」僕の労う言葉に、彼女は少しだけ困惑した表情を浮かべるも、明るく答える。

「ええ、お陰様でこの通り元気ですよ、ふふふ…」

「それは良かった…キミちゃん元気になって。同い年とは思えないくらい、とても素敵な女性に見えるよ。」

「あら、嬉しい。トシくんにそう言ってもらえると、お世辞でも嬉しいものね…」

「そんなー本心だよ、キミちゃん本当に美人さんだよ。なのに…何で思い出せないんだろう、君のこと…」

「まぁ、ゆっくりと思い出して下さいな。それより…どこか座ってお話の続きをしません?」彼女は僕を覗き込むようにして言う。

「そうだね。あっ、ねえ、あそこ…あのビルに行ってみたい。」僕はココに着いた時から何度も見ていた、象徴的なビルを指差す。

「わたし、行った事ないわ。ずっと前からあるのにねぇ。」

「僕もなんだ。あのビルを見る度、中はどうなっているんだろうーと思っても行った事はなかったんだ。いいかな、あそこで?」

「もちろん!さあ行きましょうよ。」

二人は吾妻橋を渡る。ビルの入口に着くと22階にレストランがあり、そこでランチをすることにした。月曜だからか、予約無しでも普通に窓側の席に案内される。そこからの眺めは良く、隅田川とその向こうに浅草寺が見える。

彼女はコートを脱ぎ、横に置いてあるバスケットに入れる。彼女のワンピースは、コートの裾から覗いていた通りえんじ色だった。

「いい眺めねー。こんな風にランチするのって久しぶりだわ。例のウイルスのお陰で長い間、ホント窮屈だった。それで久しぶりのランチが…トシくんとだなんて、とても嬉しいわ。」

彼女のしみじみするような言葉に僕は、(例のウイルス?あれは落ち着いてから大分経つけどな…)と思ったが、そこは深く受け留めずに答える。

「僕も、こんな風に食事するのは久しぶりだよ。しかもそれがキミちゃんとだなんて、僕も嬉しいな…」

「ホント?…わたしも嬉しいわ、ふふふ。」彼女はずっとニコニコしている。その時僕はハッと思い出して、

「あっ、そうそうキミちゃん。僕、あの後すぐに実家に行って卒業アルバムを見たんだけど、キミちゃんが見つからなかったんだ。どうしてなんだろう?ずーっと気になっていたんだけど…」少し身を乗り出すように彼女に尋ねる。

「あの後?卒業アルバム…東小の?あーそれには私は載っていない…と思うわ。わたし5年生の冬休みに転校したのよ。青谷町へ…」

「転校してたの?それなら写っている訳ないか…」 そんな話をしていると、ランチコースの前菜とスープが運ばれてきた。

「ふふふ、さぁ頂きましょうよ」

「そうだね、では、いただきまーす。」

「いただきます。」二人はそう言って、食事を始める。

「青谷町に引っ越してたんだ。それだと青谷小だったのかな?」僕はスープを口にした後、彼女に訊く。

「そうよ、青谷小。」彼女もスープを一口飲み、スプーンを口から離して答える。僕は、彼女の桜色の唇を僕は見つめてしまう。

「意外と近かったんだね…」

「そうね、大人になると全然遠くないって分かるのに、あの頃はとても遠くに来た気分だったわ。引っ越し直後はホントに寂しかった。クラスは違っていても、学校に行けばトシくんの姿を見ることが出来てたのに…父の仕事の都合で突然だったのよ。」

「そうだったんだね。僕、本当に何回もくまなく探したよ。あんなにアルバムを真剣に見たの、初めてだよ。」

「そんなに見たの?穴が開いたんじゃないかしら…アルバムに。」

「ホント、空いてるかもしれない、穴…」

そんな感じで二人は笑い合い、前菜を食べ終えた頃に丁度メインが運ばれてくる。僕はポークソテーで彼女は白身魚のムニエルだった。

「あら、どちらも美味しそうね…」彼女の呟きに僕はつい、

「僕のも少し味見してみる?」と訊いてしまう。

「えっ、いいわよ。ちょっと照れちゃう…」彼女はそう答える。

「あっゴメン、そうだよね。」僕は少しバツが悪い感じで返すと、すかさず彼女は言う。

「トシくんって優しいのね、その気持ちだけで十分よ…」


メインを食べながら、僕は彼女の今までの身上を質問攻めにする。同時に彼女が口に運ぶ食べ物のサイズが少しだけ小さめで(綺麗な食べ方だな…)と見惚れていた。

彼女の生い立ちは3年制の医療学校を卒業して上京、保健所で保健婦として働いている。就職3年目の24歳の冬に結婚、お相手は中学校の教師で3歳年上なそうだ。子供は1番目が娘さんで29歳。すでに結婚され子供もいるので、彼女はお婆ちゃんになっている。2番目は男で姉の3つ下、千葉で働いているとの事だった。

「そうかー、キミちゃんは、もうお婆ちゃんになってるんだ。全然そう見えないよ。お孫さんは可愛い?女の子だし…」

「そうね~目に入れても痛くないって本当よ。それに娘の小さい頃にそっくりなの…ホーントに。」

「それはもう三代揃って美人さんだね。」

「三代揃って?そうなのかしら?ふふふ…」

「あはは…」そう笑い合っていると突然、

「ねぇトシくん、奥様は…どんな方?」彼女は話題を僕に振る。

「ああ、高校の同級生だったんだ。」

コースを食べ終わった僕は、食後のコーヒーを飲みながら答える。

「えっ、高校の同級生?大学ではなくて?」今度は彼女が身を乗り出して僕に訊く。

「就職してから、ある夏に帰省した時の同窓会がきっかけでね…」僕は普通に答える。

「そうだったのね。いいな~わたしも小学校の同窓会があって、トシくんと再会してたら…なーんて、憧れちゃう。あっ、でもトシくんは気が付かないか、わたしのこと。じゃあ無理か…」彼女はテンションを上げて言い始めるも、最後は諦めるように呟く。

「いや、こんな美人さんが現れたら話しかけるでしょ、絶対に。」

僕は彼女の言葉を全力で否定する。

「美人さんだなんて、そんな…でも、トシくんはわたしが誰だか分からない…」

彼女は少しだけ目を伏せる。

「それを言わないでよキミちゃん。いったい君は誰なんだい、教えてくれないか?」

「ふふふ…内緒。だから思い出して下さいな。」彼女は紅茶を口にして僕に微笑む。

「あーん、もうっ!」僕はわざと少しむくれた表情をして、残りのコーヒーを飲み干しカップを置く。それを見て彼女は満足そうな表情をしながら、少し真剣な顔をして訊く。

「ねぇ、トシくんは4年前…どうなさっていたの?」

(何故4年前?)と思いながらも、僕は頭の中で回想する。

「4年前?あー早期退職で会社を辞めた年だ。その頃の家には妻と娘としか住んでなくて、長男は就職して一人暮らし。真ん中が娘で大学4年だから就活で忙しかった気がする。末っ子は男で大学2年の寮生活だったかな。」

「3人もお子さんがいたのね。何月に会社をお辞めになったの?」

「6月かな…誕生日が来て56歳になった頃、会社の経営が厳しくなり、退職金を上乗せするって。それで教育ローンや家の借金が清算出来る額だったから、もういいかなーって区切りを付けたんだ。それから家族と別居して、今はひとり暮らしをしているよ。」

「家まで出たの?」

「ああ、辞め方で少し妻と揉めてね。喧嘩とかではないけど、僕は何かを探すように新しい生活がしたくなって。それで都内のタクシー会社に再就職したんだ、アパート寮付きで。」

「そうだったのね、ごめんなさいね、変な事聞いちゃって。」

「いや、別にいいんだよ。」

「で、今はタクシーの運転手さん…どちらを回ってるのかしら?」

「主には東京駅周辺かな。そこから山手線の内側をぐるぐるーっと、ココら辺も走ることあるよ。」

「わぁー、わたし、トシくんのタクシーに乗ってみたい!」

「どうぞ、いつでも駆けつけますよ。コレ一応名刺。」そう言ってポケットから差し出すと彼女はそれをまじまじと見ながら、

「さくら交通…あー、あの桜のマークの。」

「そう、やっと都内の道なら迷わなくなって来たかな~。」

「わたし、都内をクルマで走ったことなんてないから、全然道が分からないわー。それに方向音痴なのよ、わたし。」

「僕も都内を走ってると時々方向音痴になるよ。ビルばかりで太陽の位置が分からくなって、最初は本当に苦労したなー。でもナビがあるから助かっているよ。」

「お仕事楽しい?新しい生活も?」

「そうだね…全く別の世界の仕事は、新しい発見の連続だったよ。」

「新しい発見?」

「何だろうな~都内を走っているとね、色んな人がそれぞれを生きている。で、その人のある一時(いっとき)の必要で、タクシー使ってそこに運んでくれってお願いされる。その繰り返しだけど、何か凄くない?その一時だけその人が僕を必要としている…って実感が湧くんだ。なんか変な事言ってるね、僕…」僕は語っていながら少し照れてくる。しかし彼女は同意するように話す。

「ううん、何となく分かるわー、コロナが私にはそうだった。沢山の人が保健所を訪れるの。罹っちゃってる人、罹ったかもしれないってオロオロしている人。待合室はいつもいっぱいで、電話もひっきりなしに掛かって来て、始めの頃はホント大変だったわ。でも、みんなココに来れば何とかしてくれるーっていう思いで訪れるの。あの時、わたしは必要とされてるんだ…って実感してた。」

「そうか…キミちゃんの方がとても必要とされて、大変な思いもしてきたんだね。本当にご苦労さま、凄いよキミちゃんの仕事って素晴らしいよ。」

「そんな事ないのよトシくん。全然手が回らなくて辛い思いをさせた患者さんも沢山いた。あの時を思い出すと本当に後悔だらけ…」

「キミちゃん、ひとりが出来る事って限界があるんだよ。あの時は、どうしようもなかった筈なんだ。だって誰もが未経験の事だったんだから…キミちゃん本当に頑張ったんだね。だから今日はご褒美…って感じで楽しもうよ。」

「トシくん…トシくんは、わたしが嬉しくなる事だけ言ってくれる。わたしが初めて好きになった人、あなたはやっぱり素敵な人だったんだーって、改めて今、実感してる。嬉しい。トシくんとこうやって逢えて、お話が出来て…とっても嬉しい…」

彼女は感極まって目が少し潤んできたのが分かったが、僕はそれをあえて否定するように語り始める。

「そんな事ないよ、僕はキミちゃんが思ってるようなイイ男じゃない。僕ね、この歳になってやっと気付かされてるんだ。とても思い上がってた奴だったんだって…」

「えっ、そうなの?そんなことないと思うけど…」彼女は突然の僕の切り返しに驚いた表情をする。僕は言葉を続ける。

「この前アルバム見ながら色々思い出したんだ。あの頃…特に小学生の僕は、価値観が違う子たち…勉強が不得意な子、いつも同じ服着て薄汚く見える子、あと…太っている子を言葉に出して軽蔑して、馬鹿にしていたんだ。」

「あー、あの頃は、そんな感じの子…少しいたわね…」

「僕はそういう子を本気で馬鹿にしていた。酷い言葉を平気で言って沢山傷つけてた筈。アルバム見返しながら、ホント自分が嫌になったよ。しかもそういう子に限って名前と顔は、はっきり思い出せるんだ。出来るならば謝りたいってすら思うけど、今更…ね。」

「その子たちだって同い年でしょ…もう覚えてないんじゃない?」 彼女は、何とか僕を慰める言葉を探して庇ってくれる。

「だから…そんな僕が君を…キミちゃんだけは思い出せないんだ。お願いだ教えて欲しい、君は誰なの?」僕の問い掛けに彼女は目を逸らして眼下の景色を見ている。そしてしばらく間を置いて僕を見つめて言う。

「いいじゃない、それで。トシくんは、これまでの自分を振り返れて後悔出来て反省している。この歳になっちゃったけど、それが出来たってことで十分じゃないかしら。そういう事を気付いて、わざわざ、わたしに話してくれたトシくんがやっぱり好きよ。」

「キミちゃん…」僕が言葉に詰まっていると、

「ホント、トシくんって面白い。わたしの勝手な初恋の淡い思い出を…良い事も悪いことも上書きしてくれる。ワザとなの?」 彼女はテーブルに両肘を着いて、両手を組んで見つめている。

「ゴメン、何か僕、変な事言ってばかりだね。」そう言いながら、僕は無意識に後ろ髪を指で掻く。それを見た彼女がすかさず言う。

「ほら出た、トシくんの癖…」

「あっ、ハハハ…」僕は慌てて手を戻し下を向く。

「ねえ、奥様にもその後悔と反省、お話しされた?」

彼女は少し真剣な眼差しで、しかし口調は重くそう尋ねる。

「いや、そういう事を思ったのは、この仕事を始めてから何となくで、そしてこの前アルバムを見て、はっきりと分かったから。」

「じゃあ、それは奥様にも言わなくちゃ…ねっ!」

その時の彼女は、窓から差し込む少し傾いた光に照らされ眩しいくらいの姿だった。

その瞬間、僕は何かを思い出しそうになる。

「そうだね、そのうち言おうかな。ねぇキミちゃん、君って…」


「少し外…歩いてみない?」彼女は僕の思いの奥底までを話し終えるのを逸らすような感じで、次の行動へと誘(いざな)う。僕もこれ以上その話を彼女にするのは止めた。

「そうだね、キミちゃんと一緒に外を歩きたいな。」

そう言って席を立ち会計を済ませて外に出る。時計はすでに15時を回っていた。

二人は言問橋に向かって隅田川沿いを歩く。彼女はすーっと自然な感じで後ろから僕の左腕を組み、ニコニコしている。彼女は155cmくらいだろうか。丁度僕の鼻当たりにある彼女の髪から漂ってくる香りで、僕は甘い気分に浸っていた。そして二人はスカイツリーを背にして言問橋を渡り始め、真ん中辺りで隅田川を見下ろす。

水上バスが吾妻橋に向かって行くのを見て彼女は尋ねる。

「トシくん、あのお船は何処へ行くのかしら?」

「あー、あれは吾妻橋の袂(たもと)に乗り場があって、そこから東京湾へ出て浜離宮か日の出桟橋や、お台場とかに行くんだよ。あと、こちら側に来るのはスカイツリーを見ながらの周遊だったかな?」そう答えると彼女は僕の顔を見つめて言う。

「ねぇ、あのお船に今から乗れるかしら?トシくんと…」

「えっ、どうだろう?まずは乗り場まで行ってみよう。」二人は橋を渡り川沿いを歩いて乗船場を目指す。日が陰ってくると、やはり頬を刺す冬の風は冷たい。

「キミちゃん寒くないかな?川沿いはやっぱり風が冷たいね。」

「大丈夫よ、トシくんが風よけになってくれているから。ふふふ…こうやって初恋の人と歩くのってホント夢みたい。」 彼女はそう言いながら、さらに強く腕を組み僕の肩に頭を寄せる。僕は少し緊張するが、そのままにして彼女の温もりを感じていた。

そして二人はそこに着いて時刻表を見ると、16時20分発お台場行きがあり、チケットを購入して船着き場へと進む。 船は既に待機しており、そのまま乗り込み窓に向かって並んで座る。月曜の夕方は乗船客も多くはなかった。

「キミちゃん良かったね。これが最終便だったよ。」

「そうだったのね、間に合って良かったわー。でもこのお船、宇宙船みたいよね。中の雰囲気もまるで未来の世界に来たみたい。」

そんな会話をしているうちに出航し、ガイドアナウンスが始まる。その障りも、アニメ的な未来感を演出していた。

「この船のデザイン、あの『宇宙戦艦』の作者なんだって。キミちゃんも見てた?あのアニメ?」

「あー覚えてる。わたしもテレビで観てたわよ!映画は2本立てだったかな?盛岡の『映画館通り』の劇場で…」

「その映画を僕も見たよ!キミちゃんもだったんだ。」

「だから好きよ、このお船。未来に来たな~って実感してるの…」

「未来に来た?…確かに未来の世界だと、こんな船が当たり前なんだろうね。隅田川だけは変わらなくて、船や周りの景色はどんどん新しくなっていくんだろうな…」僕は彼女の言葉の意味を汲み取れないまま語ってしまうが、それを彼女は否定しない。

「そうねー。だから、このお船でわたし…良かったわ。」

そんな話で盛り上がっていると、船は橋を5つ位くぐって進んでいた。辺りは段々暗くなり、ビルの窓明かりが目立ってきて、それぞれの橋もライトアップが始まっている。

「船はいいね。タクシーとは違って渋滞は無いしスイスイだ。」

「何かとても不思議な気分。わたしトシくんと、こんなお船に乗るなんて想像してなかったわ…」

「僕もだよ。キミちゃんと一緒に食事する事までは、何となく考えてたけど、水上バスに乗るなんて思ってもみなかった。」

「嬉しいわ~トシくんとの思い出が作れて。あっトシくんはそうじゃないのか?全部わたしが勝手に付き合わせちゃってるのよね…」

彼女は少し上目づかいで僕を見る。僕は慌てて、

「そんな事ないよ。僕だって嬉しい、しかもドキドキしている。こんな歳になったのにキミちゃんといると、ずーっと前に置いてきた筈の、あの気持ちが…」 僕は、久しぶりに芽生えた恋心を上手く表現出来ずにいると、

「わたしもよ…」

彼女はそれだけ言って、そっと僕の肩に頭をもたれかけてきた。しばらく二人は言葉を交わさず、お互いに思いに耽っていると、船は東京湾に出てレインボーブリッジに差し掛かり、独特な橋のライトアップが目に入ってくる。

「あの橋を遠目で見た後に下をくぐるのって、なんかいいね。絶対にクルマでは出来ない見方だよ。ほら上を見てごらん。トラス構造が見えるでしょ、橋の背骨…」僕が興奮気味に語っていると、

「トシくん…例えが面白いわよね。詩人みたいな時があるわ…」

「詩人?そんな事ないよー」

「ちょっとだけ…よ。」

「あーキミちゃんにやられた。自意識過剰な自分が出ちゃった。」

「嫌いじゃないわよ。それにトシくん、ちょっと可愛い。」

「えっ、可愛い?何で?」

「ほら、また慌ててる。ふふふ…」

「もう、これ以上、揶揄わないでよ。キミちゃん…」

「トシくん…」

二人はしばらく見つめ合い、僕はそのまま唇を重ねたくなる。彼女も阿吽の呼吸でゆっくりと瞼を閉じる。僕は彼女の肩を抱き顔を寄せた、その時…

「間もなく、お台場海浜公園に到着いたします。お客様は~」と船内アナウンスが流れる。僕はハッと我に返り、身体を窓側に向き直して彼女に言う。

「キミちゃん、そろそろ到着だって。意外に短かったね…」

「そうね、トシくん。トシくんって思っていたより…なのね。」

「えっ何、思っていたよりって?」

「内~緒。ふふふ…」彼女は口に手を当てながら、ニコニコ微笑んでいる。浅草からの55分の船旅はそこで終わる。


船を降りると日は暮れていて1月の17時過ぎの辺りの景色は、すっかり夜の雰囲気になってきている。

「ココからどうやって戻ろうか…キミちゃんは埼玉に引っ越したんだよね?それなら浅草ではなく東京駅か上野の方がいいかな?」

僕がそう訊くと、彼女は少し困った顔をする。

「うーん、トシくんは今、どこに住んでいるの?」

「あれっ、この前言わなかった?向島だよ。駅は東向島だから浅草からすぐだよ。キミちゃんも引っ越す前は墨田区だったんでしょ?」彼女の目は少し泳ぎ、何かを考えながら僕に答える。

「あっ、そうそう。わたしは曳舟…私鉄の。」

「曳舟?隣だったんだ。そう、すれ違いって言ってたね。」

「トシくんは4年前のいつから住み始めたの、向島?」

「タクシーの2種免許取って働き始めた頃だから、12月かな…」

「ホントにすれ違いなのね。トシくん、わたし今日は浅草がいい。駅まで一緒に戻りたいわ。」彼女は色々考えた後、そう言った。僕は帰路を思い浮かべながら先導する。

「よし、それなら、ゆりかもめに乗ってまず新橋に行こう。」

二人は駅に向かう途中、タクシー乗り場の横を通り過ぎようとしていた。その時、突然大きな声を掛けられる。

「おーい藤崎ぃ~、ココ、ココ~!」その声の主は、タクシー待機場の少し奥まった場所から手を振っている男だった。

「田中さん?」僕は彼の近くまで、彼女の手を引いて進む。

「藤崎がこんな所を歩いてるなんてびっくりだな。あれっ、デート…?もしかして奥さんか、別居中の…」彼のいきなりの突っ込みに、僕は慌てて否定する。

「い、いや、小学校時代の同級生。超久しぶりに会ってね…キミちゃんっていうんだ。」

「だから、それをデートって言うんだろ!ねえ?」

田中は彼女に向かって片目を瞑る。それを見て彼女は少し前に歩んで彼に挨拶する。

「キミと申します、初めまして。職場のお仲間さんーですか?」

「仲間っていうより、先輩だよ。ココで働き出してからずーっと世話になっている田中さん。」僕はすかさず彼女に田中を紹介すると、田中は胸を張って自己紹介を始める。

「はい、田中です!藤崎を大変お世話してます。それはそうと藤崎、何処に行こうとしてるんだ?」

「浅草から船に乗って来たんだけど、また浅草に戻りたくてー」

「なんだよ、そんなら俺が送るよ。もちろん料金は藤崎持ちでな。」田中がそう言った瞬間、僕はある事を閃く。

「あっそうか、タクシーか! 田中さん、いや田中大先輩!一生のお願いがあります。」僕は田中に詰め寄り懇願し始める。

「なんだよ、いきなり真剣な顔して。」

「田中さんのタクシー貸して下さい。1時間…いや2時間か。必ず戻って来るんでお願いします!クルマ貸してください!」

「ええー?これから2時間空けるのかよ?」

「すみません。でも、どうしても彼女をタクシーで…自分の運転で浅草まで送りたいんです。お願いします、この通り!」

「分かったよ。俺が一緒に乗ってたら台無しだもんな…」

「ハイ!」

「ハイ、じゃねーよ!あっ、でもココで待つのはシンドイから、俺も電車で浅草に行くわ。それで良いんだろう?」

「あっハイ、それだと僕も凄く助かります。」

「だから~ハイ、じゃねーよ!キミちゃん、どうします?こいつ…」それを受けて彼女が応える。

「ありがとうございます。田中さん、とても優しいお方なのね。あなたの心遣いが~」

「あっ、いえいえ、そんな者じゃないっすよ。あなたがとても美人さんだから…サービスですよ。」田中は照れて下を向く。

「じゃあ田中さん、借りますね。あっ、上着も貸してくれますか?僕のと交換しましょう。これなら電車も普通に乗れますよね!」

「お前、こういう時だけは機転が効くよな…ほらよ。あっ、手袋もか?」田中は制服の上着を脱いで僕に渡しながら聞く。

「いえ、手袋は何故かいつも持ち歩いているんです。」僕は自分のジャンパーを田中に渡して、バッグから白手袋を出して見せる。

「ホント、そういうトコはぬかりないんだな。じゃあ、気をつけてな。雷門の近くに着いたら携帯鳴らしてくれ。」

「ありがとう。本当にありがとうございます、田中さん。じゃあ、お借りします!」僕は彼に礼を言い、今度は彼女に尋ねる。

「キミちゃん普通に後ろに乗る?それとも助手席?」

「えっ…あっ、わたしトシくんの隣に座りたい!」

僕は助手席に周り、ドアを開け彼女をエスコートする。

「キミちゃん、どうぞお乗り下さい。」

「トシくんの制服姿、格好いい!白い手袋も似合っているわ。」

彼女はそう言いながら助手席に乗り込む。そしてゆっくりとドアを閉め、僕も運転席に潜り込みエンジンを掛ける。 僕はシートやミラーの位置合わせをして、窓を開け、

「じゃあ田中さん、雷門でー」と言い残しクルマを発進させる。ルームミラーを見ると、田中が手を振って見送っていた。

「いやー本当にラッキーだよ。田中さんに言われるまで気が付かなかった。キミちゃんをタクシーで観光案内するのは次かな~って思ってたんだ。でも今日…今夜、どうしてもキミちゃんにレインボーブリッジから都内の夜景を見せたくなってさ。」

「ホントに大丈夫なの?怒られないかしら。」

「大丈夫だよ、田中先輩はいい人だから。それより首都高に乗ったら直ぐにレインボーブリッジだからね。さっきは船で下から見上げたよね。」

「ワクワクするわー。ホント楽しみ…」

クルマは幹線道路から首都高「台場インター」を入り、都心環状方面に向かう。急こう配を上る為、アクセルを多めに踏み込み、唸るエンジン音と共に本線に合流する。そしてレインボーブリッジに差し掛かると、周りは一気に都心の夜景が広がってくる。

「ほら、キミちゃん、右手をご覧ください、タワーマンション群です。沢山の人が住んでいるんでしょうねー。そして正面の少し右には東京タワー、見えるかな?」

「うわー、トシくん凄い!とっても綺麗だよ。ビルやマンションの窓の光が瞬いてるよ、トシくん!」彼女は興奮気味に話す。

「ねっ、様々な光に包まれた世界を見ると何だろうー、心臓近くの大動脈の中を走ってるーって感じ、何度走ってもワクワクする。」僕は嬉しくなってつい語ってしまう。

「トシくん、またちょっと詩人になってるわー。でも、分かる気がする。この無数の光の数だけ沢山のヒトが生きているって。」

「キミちゃん。僕、嬉しいよ。良かった…一緒にこの景色を見ることが出来て。ほらココから下りカーブになるこの景色。さっきまで、ちょっと輝きが遠かったのに、いきなり眩しいくらいキラキラして目に飛び込んでくるでしょ?」 クルマはレインボーブリッジを渡り切り、右カーブしながら急こう配を下って行く。

「トシくん凄い!イルミネーションの中を進むジェットコースターみたい!うわー」 彼女は少し身を乗り出し、フロントウインドウから上を見上げたり、ドアの窓に顔を着けて景色を眺めていた。その仕草がまるで少女のようで、僕はとっても愛おしくなる。

「良かった…キミちゃんにこの景色を見せられて良かった。」

「トシくんありがとう、とっても嬉しいわ。わたし、こんな夜景を見たの初めてで、歳がいもなく燥(はしゃ)いじゃって…恥ずかしい…」

「恥ずかしくなんかないよ、キミちゃんが喜んでくれて良かった。」

クルマは浜崎橋ジャンクションを右レーンで進み、C1都心環状箱崎方面に入ると、少し渋滞していてノロノロ運転になる。二人で話すにはちょうどいいスピードでもあった。そこで彼女はゆっくりと語り出す。

「わたし…もし転校前に思い切ってトシくんに告白して、それで振られていたら、今の今まで思っていなかったはず。」

「えっ、僕がキミちゃんを振るの?振る訳ないよ。」

「ホントに断らない…?でも、もしトシくんがOKしたとしても、いずれは別れちゃって思い出の一つにしかなってなかった筈。だからコレで良かったのよ。お陰で今日、初めて二人でこんな素敵な思い出を作れたことが、わたし、とても嬉しい。」

「そうだね、僕もキミちゃんとこの歳になってから、一緒に思い出を作れたことが、とっても嬉しいよ。」

「トシくん…」彼女はそう言って、目を潤ませ僕を見つめているようだが、運転中なので僕は彼女を見つめる事は出来なかった。

それからもぽつぽつと会話をしているうちに、クルマは『駒形出口』で首都高を降りると、程なく正面に雷門が見えて来る。その一つ手前の交差点近くにクルマを寄せて停めると、田中は既にそこで待っていた。僕は運転席を降りて制服の上着を脱ぎながら礼を言う。

「田中さん、ありがとう。本当に助かったよ。」

「やっぱりココを通ると思ってた。渋滞してたんだな、俺もさっき着いた。で、東京の夜景はしっかり見せられたかな?藤崎くん!」彼は少し得意気な顔で言う。

「田中さん、本当にありがとうございました。おかげで、とっても素敵な夜景を見られましたわ。」彼女はそう言って、ニッコリと微笑み頭を下げる。僕も続けて礼を言う。

「田中さん本当に感謝だよ。このお礼は~」

「ああ、たっぷりと居酒屋で奢ってもらうからな。彼女を酒の肴にしてー」田中はそう言いながら僕にジャンパーを返し、クルマに乗り込む。

「じゃあな藤崎。キミちゃんも、また俺のタクシー使ってね。」そう言って田中は、雷門に向かって走り去って行く。それを見届け、二人も雷門に向かって歩き始める。

「はーぁ…トシくんのお陰で、ホント素敵な思い出を作ってもらえたわ。トシくんありがとうね、田中さんも、いい方ね。」彼女は満足気な表情の後、ほっとした顔をする。

「あそこで田中さんに会ったのは奇跡だよ。人の縁って凄いな~って改めて感じた。」

「人の縁…そうね、奇跡かもしれないし実は必然だったかもしれない。わたしがこうしてトシくんに会えたのも、わたしは必然なんだって思いたいわ。」

「そうだよ。キミちゃんと暮れに再会できたのは奇跡だけど…今日は、キミちゃんがくれた葉書で、僕は吾妻橋で待っていた。そしてキミちゃんは会いに来てくれた。これは必然だよ!」僕は彼女の言葉を全肯定するように語る。

「わたしからの葉書、トシくんに会いに来た、わたしの必然…」

彼女は噛み締めるように呟く。僕はその真意が分かっていない。


二人は雷門を目の前にする。辺りは観光客で大勢の人だかりが絶えない。

「キミちゃん、仲見世通り見ながら、浅草寺に行ってみようか?」 僕の心は躍ったままで、もう少しだけ彼女と一緒にいたくなる。

「そうね、そうしたいけど、わたし、もう帰らないと…」 彼女は少し浮かない顔をする。僕はスマホを取り出し時計を見ると、もうすぐ19時になろうとしていた。

「そうだね、キミちゃん今日は沢山歩いたし。身体、大丈夫?」

「ええ、全然平気よーって言いたいんだけど、ちょっとフワフワして何か不安定な感じ。でも大丈夫よ、電車で帰れるから。」彼女の表情や言葉が、僕を心配にさせる。

「本当に浅草駅でいいの?」

「ええ、そこで大丈夫よ。」そう言って二人は吾妻橋方面に進み、駅地下街に通じる1番出入り口の階段を下りる。それから地下道を駅に向かって進み少し人通りが少なくなったところで、彼女は突然立ち止まり僕を見つめる。

「トシくん、今日は本当にありがとう。とっても楽しかったわ。」

「僕もとっても楽しかった。今度は僕のタクシーで都内観光をしようね。次に会えるのは、いつ頃かな?」

「次に会えるのはー、あっ葉書…手紙を書くわ。」

「うん分かった。届くのを楽しみにしてるよ、キミちゃん。」僕はニッコリ笑って彼女を見つめると、彼女の目は少しづつ潤んでくる。

「わたし、トシくんにまた会いたい、本当に会いたい。」

「僕もキミちゃんにまた会いたい。明日にでも君に会いたいよ。」そう言って僕は彼女を見つめる。

「トシくん、ちょっとだけ目を瞑って…」

突然、彼女がそう言ったので、僕はワザとらしくギュッという感じで目を瞑る。彼女は僕の両肩に震えた両手を置き身体を寄せる。それと同時に僕は彼女の仄かな香りに包まれる。

「ありがとう、トシくん。わたしは今日…」

そう言い残して、彼女の唇が軽く触れた感触がする。しかしその瞬間に彼女の気配がスーッと無くなり、僕は慌てて目を開ける。すると目の前にいた筈の彼女の姿が忽然と消えている。

「キミちゃん、どこに隠れたの?キミちゃん、どこに行ったの?」

オロオロ歩きながらそう呼びかけている僕の姿を、通行人は訝し気な顔をしながら通り過ぎる。それから僕は辺りを30分以上探したが、彼女を見つける事は出来なかった。

とうとう僕は諦め、失意の中で家路に向かった。

 

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