プロローグ ~ 再会:2027年12月27日(月)
「それじゃあ、お大事にな。復帰を待ってるよ…」
そう言い終えるとエレベーターのドアは閉じられ、ゆっくりと下降し始める。僕は乗り合わせていた周りの人にもそれを聞かれていた事に、何故か少しだけ恥ずかしくなり、つい後ろ髪を触ってしまう。その時…
「トシくん…」
背後からそう呼びかけられるのと同時に、上着の袖口を掴まれる。
2027年も終わろうとしている12月末、埼玉県のとある総合病院で、タクシー乗務員仲間の見舞いを終えた直後の出来事だった。
驚いて掴まれたその手を見ると、白くてか細い指が自分の袖口を懸命に握っている。そのまま振り返ると、車椅子に乗った初老の女性が和かに微笑んでいる。若い頃は美人だったであろう整った顔立ち。グレーイッシュの長い髪は後ろで束ねられ、病院着の上に薄ベージュのカーディガンを羽織っていた。
「失礼ですが、どなたかと間違えていませんか?」
エレベーターが1階に着き、降りながらその女性に問い掛ける。
「いいえ、間違えていないわ。藤崎トシヒロさん…よね?」
久しぶりに女性からフルネームで呼ばれた自分の名前に、どこか懐かしいような不思議な感覚を覚える。
「少しだけ…あちらでお話し出来るかしら。」
彼女はそう言って、総合受付のあるロビーの方へ向かって、懸命に車椅子を進めようとする。それを見かねて僕は彼女に尋ねる。
「僕が車椅子を押して良いでしょうか?」
「ありがとう…ではお言葉に甘えようかしら、トシくん…」
彼女はそう言って、車椅子の背もたれにゆっくりと寄り掛かる。その様子は、まるでこの僕に身を委ねているように感じた。
日中の外来患者が忙しなく往来する時間は終わり、照明も半減された午後4時のロビーは、薄暗く静寂に包まれていた。会計窓口だけは明りが点いており、PCのキーボードを叩く音と、時折り動き出すプリンターの無機質な音だけが、その広い空間に響いている。ロビー中央にある待合ソファの横に車椅子を着け、向かい合うように腰掛けた僕は、彼女の顔を見ながら改めて尋ねる。
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「うーん、内緒。トシく…あっ、トシヒロさんとお話しするのなんて50年振りくらいなのよ。トシくんって呼んでは失礼かしら?」彼女は僕の顔を見つめてそう言った。
「いえ、構いませんよ。小学校時代の同級生ですか?」
「ええ、東小でしょ?同じクラスになった事はなかったけど。」
そう言われ、彼女の顔をまじまじと見つめる。遠い記憶の中からあの頃の同級生たちの顔を思い出しては、彼女の面影に重ね合わせようとするが、一致する女の子の顔が思い浮かばない。
「あんまり見つめられると、恥ずかしいわね…」
彼女は少し照れながらそう言い、僕は慌てて彼女から目を逸らして言う。
「すみません、やっぱり思い出せないです。」
「いいのよ、謝らなくて。そう、覚えているかしら?熊野さん…熊野神社の秋祭り…」
「熊野神社…」
盛岡の田園地帯にひっそりと佇む、何の変哲もない田舎の神社。本殿は大きくもなく、境内も缶蹴り遊び位しか出来ない広さ。
しかし年に一度、秋に行われるお祭りの日だけは、全く別の様相になる。
境内の片隅に張られたテントの下では、地域の長老達が集って酒盛りをし、スピーカーからは民謡や演歌が流れている。そして広くない境内にひしめき合う夜店には、お小遣いを握りしめた同じ小学校の子供達が、目を輝かせながら群がっていた。
その中でも僕が好きだった『型抜き屋』は、鳥居をくぐる前の横に毎年いつものように構えていた。 ビールケースを台にして、その上に置かれたコンパネがテーブルとなり、それを囲むように裸電球の下で子供達は、発電機のエンジン音をBGMにして、一心不乱にカリカリと絵柄の溝をなぞっている。その光景だけは、セピア調の映像で脳裏に浮かんだ。
「はい、あの頃は毎年楽しみにしてました。『型抜き』にハマって、ずーっとやってたな。」僕が懐かしみながら言うと、彼女は目を輝かせて話に乗り出す。
「そう、ソレ!わたし、トシくんの横でカリカリやっていたのよ。4年生の頃かな?曲がってる待ち針使って…」
「そう、真直ぐな待ち針なんか置いてないし、しかも全然尖ってなくて。みんな針の先を舌で舐めながらねー。」
「そうそう、溝を湿らせたら割れないで抜けるからって、みんなペロペロ舐めてたわね、針の先を。ふふふ…」彼女は微笑む。
「あ~でも、だめだ…型抜きをしていたのは思い浮かんだけど、周りに誰が居たかまでは思い出せない。そもそも男友達ですら、誰と一緒に行ったのかも曖昧だ。」
「そんなものよ。でもね、わたしはちょっとだけドキドキしながら横でカリカリしてたのよ。それでねトシくん、あなた時々わたしの『型』も覗いてたのよ。どれくらい進んでるの?って目をして、ふふふ…」彼女は懐かしみながら、少し遠い目をして語った。
「ドキドキしてた?」僕は改めて訊き返す。
「そうよ、いいなーって思ってる男子が隣にいるのよ、トシくん。」
「4年の時ですか?えー、やっぱり思い出せない。」
「うふふ、そんなものよ、わたしだけの思い出…」
彼女はそう言って柔らかい笑みを浮かべる。そして、
「そうそう、5年生の冬の子供会リーダーの集まりで、凧を作ったのを覚えてる?」
「5年生、冬、子供会リーダーの集まり、凧作り…」
そう呟やいていると、あの頃の映像がぼんやりと頭に浮かんできた。確か冬休みの数週間前、どこかの大きな農家の屋敷に、学校の各地区子供会のリーダーが十数人集まり、そこのとても広い座敷で手作り凧の講習会があった。
「あー、覚えてる。凧にドクタースカンクの絵を描いたな…」
「そう、主人公のあまねちゃんのイラスト。トシくんの凧見て、うわー上手だねーって、思わず話しかけたのよ。」
「あっ、誰かにチヤホヤされたのは覚えている…気がする。」
「そう、チヤホヤしてたのよ。どちらもわたしだけの思い出…」
彼女はニコニコしながら、僕の顔を見つめている。
「ねえ、やっぱり名前…教えてくれないかな?」僕は改まって彼女に尋ねる。
「だから…内緒。あー、適当に名前付けて呼んでいいわよ。」
「そんな~」僕は少し困った顔をする。それを見て彼女は少しだけ上を向いた後に言う。
「うーん…じゃあ、『キミ』って呼んで下さいな。」
「キミ…さん?そんな名前の子はー、多分いなかったと思うな。」
「いない?ふふふ…だってチアキちゃんや、リコちゃん、それからミホちゃんって呼んで欲しくないもの。」
「あー、そういう名前の子はいた筈、それは覚えている。」
僕はそれらの名前を聞いて、その子たちの顔はうっすらと思い浮かべられた。しかし目の前の彼女の事は、やはり思い出せないでいる。
「だから、いつか思い出してくださいな。ねっ、トシくん…」
彼女にそう言われて途方に暮れ、少しの沈黙が漂い、僕はそれを埋めたくなる。
「そういえばキミさんは、何で入院されているのですか?」何気なく出た言葉だった。
「あー、んー、あはは…」 彼女は言いづらそうに、何か別の言葉を探している表情をしている。僕はハッとして、
「すみません、そういうのは聞いてはいけなかったですね。ごめんなさい。」と慌てて謝る。すると彼女は、
「いいのよトシくん。よくある女性の病気だから気にしないで…大したことないのよ。」
「あー本当にすまない。それはそうと住まいはお近くなのですか?」
僕は話題を変えたくて、今度はそんなことを尋ねる。
「ええ、この市内ですよ。3年前にこちらに越してきたの。主人の地元なのよココ。」
「ご主人の地元なんですか、ふーん…」彼女が旦那さんのことを話題にしたのが、僕は少しだけつまらない気分になってしまう。
「主人が定年退職して、再就職は地元に戻りたいって。それまでは東京の墨田区に住んでたのよ。」
「えっ?僕、今、向島に住んでます。3年前からですけど…」僕はまた少し嬉しくなる。
「じゃあ入れ違いか。あー、やっぱりわたし達は、すれ違ってばかりね、ふふふ…」
「そうなんですかね~」
僕は彼女の言う『すれ違ってばかり』の意味が理解できず曖昧な返答をする。
「あーそれにしても今日は楽しかった。トシくんに会えて、こんなにお話し出来て、とっても嬉しいわ…」 彼女はとても満足気な表情をしている。
「僕は、今とっても不思議な感じで…複雑な気持ちです。キミさんがどんな人なのか、まだ分からない…」
「ねえ、また会って頂けるかしら?」
彼女からの思いもかけない言葉に、僕は心が揺さぶられる。
「もちろんです。ココに来ればまた会えますよね?」僕は少し前のめりになってそう言うも、彼女は少しだけ間を置いて返す。
「あー、ううん。ひと月後…来年になったら東京で会いたいわ。ねえ、住所を教えてくださらない?手紙を書くので。」
「手紙ですか?携帯…スマホの番号でも良いですよ、『レイン』もやってますけど…」 僕は直ぐにでも彼女と話の続きをしたく、そう言うが、彼女は少しだけ考えながら答える。
「あー、わたし持ってないから手紙にするわ。待ってて下さいな。」
そう言われ、僕はバッグからメモ帳を取り住所を書いて彼女に渡す。
「はい、これ僕の住所です。また会えるのを楽しみにしています、キミさん…」
彼女はそのメモをまじまじと見ながら僕に言う。
「さん付けではなくて『キミちゃん』って呼んで欲しいわ。あー、この字よ!久しぶりにトシくんの字を見たわ。」
「見た事あったんですか?僕の字…」
「だって小学校の頃、廊下に習字とか作文を貼ってたじゃない。あの頃、トシくんの字は綺麗だなーって思ってたのよ。」
「あー、習字か何かで賞を獲った記憶はあるけど、今の字はそんなでもないですよ。」
「ううん、あの頃の字と変わってないわよ、おんなじ…。わたし手紙、必ず書くわね。」
「はい分かりました。キミちゃん、お手紙待ってます。」
「ホント嬉しいわー。わたしだけの秘密を言えて、トシくんとの思い出が増えた…とっても嬉しい。」
「僕はキミちゃんのこと、もっと知りたい。」
「知りたい?わたしのこと…?わたしもトシくんがどういう風に過ごして来たのか知りたいわ。じゃあ、また来年ね、約束よ。」
「はい、約束します。あっ、エレベーターまで押しますよ。」 彼女がエレベーターに向かおうとしたので慌ててそう言った。
「トシくん、ありがとう。お言葉に甘えるわ。」
僕はエレベーターまで車椅子を押し、扉が開いて一緒に乗り込み向きを変える。
「何階?」と訊くと、
「あー、ボタンはわたしが押すからトシくんはココで大丈夫よ。本当にありがとうね。じゃあまた…ね。」
彼女にそう言われて、僕はエレベータから降りて彼女を見る。彼女は右手をゆっくりと振って、にっこりと微笑んでいるうちにエレベーターの扉は閉じられ昇って行く。 僕はエレベーターのフロア表示ランプを目で追ったが、2階と3階、そして4階と各階に止まっていったので、そこで見るのを止め病院の出口へと向かう。
外に出ると、木枯らしが吹きつけ、冷たい風が顔を切りつける。僕は小走りで駐車場に向かい、クルマに乗り込みエンジンを掛ける。
2027年の終わり、彼女との偶然で不思議な再会だった。




