第109話 優しすぎた嘘
紅紫色の着流に、肩にかけた銀鼠色の羽織が粋である。それに、総髪を後ろに撫でつけた額の両脇から垂れる後れ毛が、少しばかりキザだった。
祝にとっては、初めて見る死神だ。けれど、沈痛極まりない表情で膝をつき、死に絶えた瀬城を抱き寄せる姿で、おおよその事情と心情の察しはついた。
祝の目の先を辿った煉兎が、ああ、とため息混じりの声をあげた。
「あいつは、日照雨煌侍郎っていってな、俺たちのあいだじゃあ、そりゃあ親馬鹿で有名な奴だったんだ」
その子供が誰かだなんて、わかきっていることは、もちろん言わない。
祝は炎袰と煉兎のそばから離れ、引かれるようにして、その日照雨煌侍郎という名の死神のもとへと歩み寄った。ちらりと見えたのは、見開いたままだった瀬城の瞳で、それを彼が優しく閉じてやっている最中だった。
どう話しかけるべきかとあぐねいていると、顔を上げた煌侍郎が、目頭で軽い会釈をくれて、祝もそれに応えるように目を伏せた。
それから、しばし重い沈黙を置いて、
「こいつが……瀬城夏冊がまだ十歳か十一歳の時分、俺ぁずいぶんおまえの親父に心配をかけてたってのに、いっつも袖にしちまうばかりでな」
と、沈みきった声で煌侍郎は言った。
「隠し子ができちまったのは、しょうがないにしても、人間の親子みたいに馴れ合って、そのうえ神通術まで教えてやったり、カグツチの話までしちまうなんてーーどれほど馬鹿な真似してるのかわかってんのかって、しょっちゅう説教くらってた」
祝は、黙ってうなずいた。
「けど俺ぁ、あいつの忠告をいつも鼻で嘲うか、邪険にしてた。夏冊みたいな素直で優しいガキが、いずれ天瑞鏡欲しさに死神殺しに手を染めるなんて、そんなの天地がひっくり返ったってあり得ねえって」
でも、全て現実になっちまったーーと、煌侍郎は項垂れた。
「本当に、申し訳なかった。全ては、俺の責任だ」
祝は、何と答えるべきか言葉に迷った。正直、だよな、と思ったし、はっきりと口に出して言ってやりたい気持ちも大いにあった。けれど、
「母親を救いたいって気持ちは、やっぱり俺にもわかるからーー」
だから、心底瀬城とその親である煌侍郎を恨みきることはできそうにない。先程ちらりと見えた瀬城の瞳は、寄る辺のない孤独な少年のーーかつての祝のそれだった。だからこそ今となっては、助けてやりたかったなーーと、悔やまれる感情すら芽生えてくる。
そんな想いが伝わったのか、煌侍郎が深々と頭を下げた。そのまま頭を上げることなく、
「こいつが、母親の生命に異様に執着しはじめたのは、中学生になったばかりのころだった……」
と、かすれた声で切り出した。
「俺は、こいつをもちろん我が子のように想っていたし、こいつも、俺のことを本当の父親だと想ってくれているとばかり思ってた。けど、やっぱり血を分けた父親への憧れを捨てきれずにいたのか、ある日、母親に内緒でこっそりとその男のところへ会いに行ったことがあったんだ」
昔から密かにしたためていた母の日記を偶然みつけて、その居所を知ったのだ。
「あのころは、純粋で疑うことを知らない子供だったんだ。だから、自分が会いたいって思ってるってことは、きっと相手も同じように思ってくれているはずだって信じてたんだ。父親ならみんなそういうもんだって、夢見てたんだ」
しかし、そんな夢は一瞬にして踏み躙られた。
「医者だった。けど、とんでもねえクズ野郎だった……開口一番、おまえの母親は、まだ生きてやがるのかって吐き捨てやがった。そのうえ、実の息子を虫ケラを見るような目で見て、じゃあ、おまえがパシリになって、金をせびりに来たわけかーーなんて言い腐りやがった」
それから、瀬城の母親である早苗をさんざん口汚く蔑んで、
「終いには、おまえのことを息子だなんて、これっぽっちも思っちゃいない。わかったらとっとと消え失せろってとことん悪しざまに言って、あのグスはこいつを蹴り飛ばして去って行きやがった。そうして尻餅をついたまま絶望に暮れるこいつの姿を、俺はかける言葉も見つからず、ただ遠くで見ているだけだった」
そうして、瀬城は医者になると決意した。
煌侍郎に命を引き延ばしてもらい、自分が必ず医者になって、母親の病気を治してみせると心に誓った。
あの男を見返すために。
「けど、しょせん俺は死神だ。できるのは命を引き延ばしてやれるだけで、病気を治してやれるわけじゃない。こいつだってまだ中学生で、医者になれる日なんてまだまだ先のことだった。そのあいだにも、こいつの母親は着実に病魔に蝕まれ、鎮痛剤も効かないほどの苦しみを味わいながら死ぬこともできず、拷問のような日々を送らせる破目になってしまった」
最初のうちは、母親も息子のためになんとか生き抜こうと耐えていた。けれど、瀬城が中学卒業を間近に控えたころになると、発狂するほどの苦しみは限界をこえて、
「結局、母親は俺に殺してくれと懇願して、俺も望み通りにしてやることにした」
けど俺は……本当のことを夏冊に伝えることができなかったーーと、煌侍郎は唇を噛んだ。
「母親に頼まれて魂を回収したなんて言ってしまったら、夏冊はまた絶望する。実の父親にさんざん蔑まれたこいつのことだ、母親にまで見捨てられたのかと思い込んで、今度こそ立ち直れなくたっちまう。だからーー」
煌侍郎は、自ら悪役を買って出た。
「おまえたちに愛想が尽きたから、母親の魂を回収してやったんだと嘘をついた。もうままごとはうんざりだって、少しも思っちゃいない言葉でこいつの心を傷つけた。しょせん俺は、父親になれなかった死神だ。夏冊にとっては、母親に見捨てられた思うよりも、俺に見捨てられたと思う方が、まだ希望は残ると思ったんだ。けどーー」
その傷つけられた心の隙間に、魂喰夜叉が忍び込み、天瑞鏡の破片の光を注がれて、
「俺が、こいつを妄執の化物にしちまった。何もかも、俺が間違ったせいなんだ」
煌侍郎の目から、とめどなく涙が溢れて頬を伝う。こんなことになるならーーと、瀬城を強く抱きしめて、
「本当のことを、ちゃんと言ってやりゃあよかったんだ。おまえがどう思おうが、おまえの本当の父親は、この俺だって、母親にだって負けねえくらい、おまえのことを愛してるって、ちゃんと伝えてやりゃあよかったんだ……」
そう言って項垂れる煌侍郎の襟の合わせのあいだから、ひどい火傷の跡が見えた。ちらりとしか見えなかったが、間違いなくそれは身体全体にまで及んでいるはずだ。
それを想像すると、祝の胸は息苦しいほどに締めつけられて、目を伏せた。
煌侍郎の咽び泣く声が、夜風に渡る。
月明かりの下、淋しげな瞳はもう閉ざされて、瀬城は静かに眠っているようだった。




