第105話 カグツチに挑む
「なあ、もしかして炎袰や煉兎の火傷って、水凝霊法を使わずに神通術を使ってるせいなのか?」
死神は、この世の命ある者すべての嫌われ者だ。だから、
「誰からも水を注いでもらえなくて、それでも神通術を使うもんだから、あいつらはあんな火傷を負ったのか」
狛犬姉弟が、ほう、と感心したふうに目を見張った。
日暈が、言う。
「祝ーーおぬし、なかなかよいところに気がついたですの。確かに死神に水を注いでくれる人間なんぞは、そうそういない。だから水凝霊法を使えない彼らの身体は、火凝霊法を使うたんびに中からそうとう厳しい熱で炙られていると聞いたことがあるですの」
月暈が、言う。
「けれど、死神のなかでも黄泉津大神の鋭爪と呼ばれる彼らの肉体は、人間とは比べものにならぬほどに頑強なんですぞ。ゆえに、どれほど神通術を振るおうが、それしきのことでは、火傷を負ったりはしないですぞ」
祝の頭に、疑問符が上った。
「だったら、何であいつらは、あんなひどい火傷を負ったんだ?」
二匹が、「「それはーー」」と言って、少し言葉を選んでいるかのような間を置いた。
そこへ、カグツチ の天を引ッ裂くかのような咆哮が轟いて、あとに続く声を断ち切った。
さらに大地の揺れも激しくなり、立っているだけでも足がもつれるような事態に、狛犬姉弟は、
「その話は、またあとでですの」
と、打ち切った。それから、ひたと真っ直ぐな視線を祝に据えると、
「とにかく、今はカグツチの首を切り落とすことが先決。祝、頼んだですぞ!」
と告げて、その場をスタコラサッサとあとにした。
祝はその背中を見送ると、夜空を仰いでカグツチの首を睨み据えた。
膝立ちで猛り狂うカグツチの首は、地上からおよそ三十メートル。いま立っている場所から狙い撃つのは、やはり無茶な話である。
そこへ八尋が、
「これに乗って!」と、最初はこれで逃げようと言っていた長槍を投げ渡してきた。
「わたしが、カグツチの首のそばまで連れて行く。だから祝は、必ずカグツチの首を斬り落として!」
清らかで、それでいて力強い眼差しだった。それが祝の心へと注がれると、気力と勇気となって波紋のように全身へと広がっていった。
本当に万能な秘儀なんだなと、祝はひとりで感嘆して、
「ありがとう、八尋」
と、どうしても声に出して伝えたくなった。
呆気に取られて、八尋は二、三度ぱちくりとまばたきした。けれどすぐに笑みを広げると、「行くわよっ」と凛然とした声で言った。
煌々と輝く月光に吸い上げられるようにして、祝と八尋が長槍に乗って舞い上がる。
すぐ近くでカグツチ を見ると、おそらくは富士山がある方向をひたと見据え、おまえも吼えよと呼びかけているかのようだった。
烈火の勢いと削られるような熱さは、首許へと昇れば昇るほどに苛烈さが増した。伸びては引っこむ無数の赤い舌先にチラチラと撫でられると、服や髪にじりじりと焦げた匂いが漂いはじめた。
祝は目を開けているのもやっとのなか、それでも、背中から伸びる白骨の巨腕を振り上げた。
しかし、目敏い魂喰夜叉が祝たちを見つけて、
「そこだ、カグツチ! あいつらがおまえの首を狙ってやがるぞ! とっとと焼き殺して灰にしちまえ!」
と、カグツチを嗾けた。
果てしなく冥い瞳で祝を見据え、カグツチが猛然と腕を伸ばす。
その掴みかからんとする灼熱の手から祝を逃すべく、八尋が巧みに長槍を操る。
しかし、そうやって長槍に振り回されると、しがみついてるだけで必死になった。首に照準を合わせるどころか、巨腕を振り上げる余裕すらない。
そうして、極熱の炎にじりじりと焼かれながら揺さぶられていると、次第に恐怖が頭をもたげて膨れはじめた。
自分如きが神の首を斬り落とそうなんて、おこがましいにもほどがある。せっかく生き返ることができた命なら、言われた通りこの場から逃げるべきだったーーそう思うと手足が震え、熱いはずなのに背筋は凍えた。
(やっぱり無茶だ。俺なんかに、できっこない……)
ところが、直後ーー暴れ回るカグツチ の腕が、突如ぴたりと止まって動かなくなった。
祝は、何事かと眉間を狭める。
見るや、カグツチ が頭を抱えだし、その顔が苦悶に歪みはじめた。
ーー教えてくれ、煉兎。炎袰にいったい何があったんだ?
どこからともなく、声がした。カグツチの声では、おそらくない。まったく身に憶えのない、大人の男性の声だった。
次の刹那、カグツチの冥かった左の瞳が、突如として像を結び、ある一人の男性の姿が浮かびあがった。




