第101話 最後の破片
息絶えた祝を抱き寄せながら、炎袰は自身も死人であるかのような顔で地面にへたり込んでいた。
すぐそばでは、祝の魂を呑み込み完全復活を遂げたカグツチが、十階建てのビル相当の大きさにまで巨大化し、顔もバランスのいい大きさにまで膨張していた。暴れ、火を吹き、咆哮をあげる荒神に、生き残っていた魂喰夜叉は狂喜に沸き、日暈に寄生していた魂喰夜叉にいたっては、もはやうっとりと陶酔に浸りきっているようだった。
火の手は木々から木々へと燃え移り、山全体を呑み込もうとその勢いは加速する。
しかし炎袰は、辛うじて繋がっている祝の身体を抱きしめたまま、立ち上がろうともしなかった。
「護れなかった……約束したのに……命に代えても護ってみせるって、誓ったのに……」
花のような唇から譫言のような声が零れ、紫水晶の瞳が陰々と煙る。そこからとめどなく涙が伝い落ちて、祝の頬に水溜りができた。
「さあカグツチよ、その力でもって富士山を大噴火させるんだ! そしてこの国の人間どもに、死と絶望を与えてやれえ!」
魂喰夜叉が絶叫し、カグツチが一層大きな咆哮をあげた。
直後、唸りをたてて、地面が大きく波打った。というよりも、大地の底に生きる何か大きな生き物が、暴れまわり、地上を波立てているかのようだった。
富士山付近では、きっと大波のように大地は揺さぶられているはずだ。そしてその富士山本体の真下では、マグマがいっそう上昇し、噴火口を押し広げているころだろう。
さすがの炎袰でも、完全復活を遂げたカグツチには、なすすべがない。
だから、ここで自らの命を絶つと決めた。今まで触れることもできなかった我が子とともに炎に包まれるなら、それもいいと心を決めた。
ところがそこへーー
「ほぉりぃぃッ!」
聞き覚えのある声が、突然空から降ってきて、炎袰ははっと顔を仰いだ。
上空にいたのは、長槍に乗った六連星燎牙の隠し子•八尋であった。彼女は地上に降り立つと、炎袰の膝の上で眠る祝を見て、がくりと膝から崩れ落ちた。
「お嬢さん、あんた無事だったんだね」
炎袰に声をかけられて、八尋は震える顎をうなずかせた。
「瀬城先生に襲われたところを、燎牙がーー六連星燎牙が庇ってくれたんです」
それに燎牙は襲われる直前、八尋にすべてを告げていた。
「わたしは燎牙の隠し子で、死神たちは人間を憎んでなんかいないことや、魂喰夜叉と瀬城先生の企みも、全部話してくれました」
そうかい、と炎袰はうなずいた。
「あいつも愛娘と初めて話すことができて、さぞかし嬉しかったことだろうね」
八尋が、顔をくしゃくしゃにしてうなだれた。
「ごめんなさい……罪のない死神たちを殺してしまって。そのせいで、この国を未曾有の危機に晒すことになってしまって。本当に、本当にごめんなさい……」
炎袰は、静かに首を振った。目の前の少女が祝に抱いている想いは、とうの昔から知っていたし、〈死神殺し〉に加わったのも、祝のためだったことくらいわかっている。
そこで、はたと思い至った。この娘になら託せるーーと。
「お嬢さん、祝が持っていた天瑞鏡の破片は、今どこにあるんだい?」
問われた八尋は、戸惑いながらも今にも崩れ落ちそうな本殿の社を指差した。
「あそこに隠してあるはずです。だけど、あの炎の中じゃあ……」
途端に、炎袰の瞳に光が戻った。祝を八尋に預けると、颯爽と立ち上がり本殿へと駆けて、ためらいなくその中へと飛び込んでいった。
その背中を、八尋は止めるいとまもなく、ただ唖然と見つめていた。
しばらくすると、炎袰は、煤まみれになりつつも何かを抱えて本殿の中から飛び出してきた。
七枚の天瑞鏡の破片である。
接着剤を使ったわけでもないのに、ピッタリ嵌って継ぎ目すらも見えなくなったそれは、すでに一枚の破片となっていた。
炎袰は、さらに二枚の天瑞鏡の破片を懐の中から取り出した。先ほど瀬城から奪還した、日照雨煌侍郎と楪煉兎の神核だった破片である。その二枚の破片を七枚だった破片に嵌め込むと、やはりぴたりと嵌って継ぎ目すら消え、残る破片はあと一枚と想像し得る、銅の鏡の体を成した。
けれど、人の姿はまだ映さない。完成させた者のみが、その姿を映すことを許され、どんな願いも一つだけ叶えてくれるのだ。
それを確認すると、炎袰は、お嬢さんーーと、八尋の前にしゃがみ込んだ。
「この鏡を、あんたに託すよ。最後の破片が手に入ったら、すぐに完成させて祝を生き返らせてほしいんだ」
八尋は、え? とちょっと間の抜けた声をあげた。それから、半ばむりやり手渡された破片と炎袰を何度も見比べた。
「最後の破片って、それは、あなたが……」
炎袰が、そうサ、と決然とした笑みを浮かべた。「あたしの遺灰の中から、取り出しておくれ。そうすりゃあ、天瑞鏡は完成する」
「ま、待ってください。それって、まさか……」
八尋が、声を震わせた。
「いいかい?」と炎袰が、八尋の手を強く握った。「祝が生き返ったら、直ぐにこの場から逃げるんだ。カグツチは、もう誰にも止められやしない。だけど、富士山が噴火しきっちまえば、その力は必ず弱まる。だからそれまでは、ここからも、富士山からも遠く離れて耐え忍ぶんだ。そのあともつらい日々は続くだろうけど、どうか二人で生き抜いとくれ」
「待って! 待ってください!」八尋がぶんぶんとかぶりを振って、涙の雫がきらきらと散った。
「駄目! 駄目です、そんなこと! たとえ祝が生き返ったとしても悲しみます!」
「悪いね、もう決めたことなのサ」
言うと、炎袰はそっと白骨の巨腕を後ろ手に回して、右の巨手で左の巨腕の肘をへし折った。
不穏な音に気がついて、「ちょ、ちょっと!」と八尋が腕を差し伸ばす。
が、炎袰は颯然と立ち上がって、それを躱した。とみるや、二、三歩退き、右の巨手に握られた左の巨手の指先を自身に向けた。
そして、いっさいのためらいなく、着物ごと自らの腹を貫いてみせた。
絶世の美貌が痛苦に歪み、血の気がみるまにあせてゆく。
赤黒いシミが着物に広がり、腹を抉る白骨の指からぽたぽたと鮮血が滴り落ちる。
炎袰は、どさりと横様に倒れた。それでも最期の最後まで木漏れ日のような光を瞳に湛え、死力を絞って祝の頬にそっと触れた。
五歳のころのいたいげだった少年は、今や息絶えてもなお、逞しいと思える成長を遂げていた。
「大きくなったね」
細い声が地を這うと、炎袰は満面にいっそう幸せなそうな笑みを咲かせた。
それから静かに瞼を閉じると、そのまま眠るように事切れた。




