第26節:むしろラッキー。
「アイリ……だな?」
「うん」
アイリの腕に嵌った拘束具を解きながら問いかける花立に、アイリは返事をしながら目を伏せた。
「マサトは?」
「分からない。……呼び掛けても答えないから」
アイリはまともに花立の顔が見れず、足元を見つめていた。
「ゴメン、室長。僕は……」
「無事だったんだから、それで良い。とりあえず、戻るぞ」
花立の声は優しかった。
しかし、アイリは躊躇う。
「でも……」
「でも、じゃねーよ」
ジンが言い、花立がアイリの背中に手を添えた。
「皆心配していたんだ。鯉幟さんも来ている」
「おやっさんが?」
アイリは、驚いて顔を上げた。
「し、仕事は?」
「有給が溜まっていたそうだ。ちなみにお前は全く残っていなかったから休職扱いにしてある。日頃の行いだな。その間の給料はないぞ」
「やっぱり? ……室長は?」
アイリの問いかけに、花立が軽く口元に笑みを浮かべた。
「正戸アイリ捜査官の誘拐事件を追う為に、特別出向中だ」
「……ズルい」
恨みがましく上目遣いになったアイリに、ふん、と鼻を鳴らしてから、花立はアイリの背中を押した。
「詳しい話は向こうでするぞ。多分、お前の知る状況と現状はだいぶ変わっているからな。戻る間に説明してやる」
アイリはそれ以上抵抗せず、花立に背中を押されるままに歩き出した。
※※※
「よう、もう一人の〝俺〟……いや、今はもう一人のコウか」
フラスコル・シティを出てから起こったことを説明されていたアイリは、コウの顔をまじまじと見た。
「何だよ?」
「……なんか、同じ顔のはずなのに全然別人だね」
「はん。コウの野郎はいっつも覇気のねぇ陰気臭ぇツラしてやがったからな。滲み出る俺様の高貴さが与える印象まで変えてる訳だ」
コウが顔を隠すように垂らしていた前髪を、今、ゴウキはゴムで結んでアホ毛のようにぴょこんと逆立てている。
ちょっと間抜けに見える。
「うん、高貴さは感じないかな」
「何だとぉ!?」
「どっちかっていうと、軽さを感じる。なんかジンみたい」
「……一緒にすんな」
「おいコラジン。どういう意味だ!」
「そのまんまの意味だろーが! アイリ。この野生児は口が悪い上に腹黒いからホント気をつけろ」
「上等だコラ、オモテ出ろや!」
「残念でしたぁ〜。もうオモテに居ますぅ〜」
「マジで殴り倒すぞこの野郎!」
ぎゃんぎゃん吼える二人に、花立がため息を吐いた。
その顔を見上げて、マサトは言う。
「……やっぱり、同じじゃない?」
「黙秘する」
いつもの受け答えをして、花立は所在なさげに立っているタカヤに目を向けた。
「君は、医務班のところへ行ってくれ。ケイカが待っている。大丈夫だとは思うが、一応検査は受けた方が良い」
「ああ。最後は何だかよく分かんなかったけど、役に立てたかな、俺」
「君は、十分に役に立ってくれた」
花立の珍しい褒め言葉に、タカヤは安堵したような顔をして、大人しく中に入った。
「アイリもだ」
「うん……」
「あ、おい」
ジンと戯れていたゴウキが、アイリと花立が中に入ろうとする気配を察して、声を掛けた。
足元には、無様に叩き伏せられたジンの姿。
「お前の装殻化がマサト制限されてんのは、お前の状態を考えりゃ当然だ。無理に装殻化するなよ」
アイリは、驚いて目をまたたいた。
「何か、理由を知ってるの?」
「ハジメちゃんから説明があるよ。局長室で待ってるとさ。こんな雑用で俺を顎で使うのは、アイツくれぇなモンだぜ、たくよー」
「……要件があったなら、遊んでないで最初から伝えて下さい」
苦い口調の花立に、ゴウキは肩を竦めた。
「いーじゃねぇか。遊ぶくれー」
「あなたはいつも遊んでいるでしょう」
「お、そういやそうだな。じゃー何も問題ねーじゃん」
笑顔でサムズアップするゴウキに、処置無しとばかりに額に手を当てて頭を横に振った花立は、それ以上相手にせすに局長室へ向かった。
「アイリ。無事だったか」
「黒の一号………」
アイリが、こうしてハジメにマトモに対面するのは二度目だ。
あの病室で、花立の事を聞かせてくれた時以来。
他は、彼女とハジメの邂逅はいつも鉄火場だった。
「まさか君がニヒルだとはな。縁というのは、奇妙なものだ」
どこか不思議そうなハジメに、アイリは内心で同意した。
初めて黒の一号に出会ったのは、アイリが人体実験を受けた研究所だった。
彼に救い出されて、花立やおやっさんに出会い。
フラスコル・シティでは、アイリは逆に、司法局の捜査員でありながら黒の一号を助けるために動いた。
大阪隕石の時には、共に戦い。
そして、今。
「マサトが、迷惑を掛けてごめんなさい」
頭を下げるアイリに、ハジメは気にするな、というジェスチャーを返した。
「君に謝られるのは、逆に申し訳ないな。……俺は君を、本当の意味で助ける事は出来なかったんだからな」
「……どういう事?」
そして装殻者の真実をアイリは知る。
その間、花立はずっと、アイリの隣に立っていた。
※※※
「よう、坊」
「おやっさん!」
ハジメと話がある、という花立を残して局長室を出ると、待っていたおやっさんが晴れやかな笑顔で手を上げる。
アイリは、おやっさんの胸元に飛び込んだ。
「おっと。……見つかって良かったよ。お前さん、もうちっと待ってりゃもっと会うのが早かったっつーのに、ちっともジッとしてねぇ」
「そうなの?」
「おう。マサトの奴が、手かがりを残してたからな」
アイリも仕込まれた、仲間内だけが分かる手がかりの残し方。
それは、司法局の一般課員の間だけでおやっさんが広めたものだ。
マサトが手がかりを残した相手が、おやっさんだった事にアイリは何故か嬉しくなった。
花立にすら、分からないやり方。
アイリを託す相手として、マサトがおやっさんを選んだ事実が、アイリには掛け替えのないものに感じられる。
―――マサト。
アイリにとって、おやっさんは親代わりだった。
捜査員としての手腕を仕込んでくれて、何くれとなく世話を焼いてくれ、仕事でも日常でも、一番共に過ごす時間が長かったのは、おやっさん。
その時間は、アイリの事しか考えていないように見えるマサトの心にも、何かを残していたのだろう。
「疲れてねぇかい?」
「んー、ちょっとだけ」
「なら、コーヒーでも飲むか。景色は大した事ねーが、ここの屋上庭園は中々落ち着くからな」
おやっさんに言われて、アイリは笑顔でうなずいた。
屋上で、二人並んでベンチに腰掛ける。
「あのさ、ユナちゃんっていう、僕のコアを持ってたっていう子の居る所、知ってる?」
「ああ。それがどうした?」
「一言、謝りたくて」
アイリの言葉に、おやっさんは何故か妙な顔をした。
「どうしたの?」
「お前さん、ハジメから聞いたんだろ? その……自分の事をよ」
どこか言いづらそうなおやっさんに、アイリは、ああ、と気がつく。
おやっさんは、アイリがヘコんでいるんじゃないかと思って、待っていてくれたのだ。
「おやっさん、優しいよね。大丈夫だよ。……正直さ、今までとそんなに変わんないし」
アイリは、実験の影響で体が蝕まれていると、ずっと思っていた。
事実は違ったが、状況そのものはあまり変わっていない。
別にマサトを恨む気持ちもなければ、自分の境遇を嘆いていたのは、本当に最初の頃だけだ。
その頃、死ぬのが怖い、とマサトの前でだけ泣いていたアイリを、彼はずっと気にしていたのだろう。
「皆、気にしすぎだよ。今までいつ死ぬか分からないと思ってたのが、襲来体の事が終わるまで死なないって分かったんだから、むしろラッキー?」
アイリは、本当にそんな風に思っている。
それを察したのか、おやっさんは口元に笑みを浮かべながらも悲しそうな目をした。
「デウスって奴は、最悪の存在だな。何でわざわざ、自分を助けた相手やお前みたいな奴を殺す必要があんのか、俺にゃさっぱり分からねぇ」
アイリにも分からない。
しかし、運命というのはそういうものなのだろう。
「人間、生きてたっていつ交通事故で死ぬかも分からないし、それと一緒だよ、きっと」
「いや、絶対違うと思うが……」
「それより、ちょっと休んだらユナちゃんに会いに行こう。怖い思いをさせちゃったみたいだしさ」
おやっさんは、しょうがねぇ、と言わんばかりに苦笑した。
「お前は、本当にお人好しだな、坊。自分が死ぬかどうかより、ユナちゃんの気持ちが気になるか」
お人好し。
そうなのだろうか?
アイリは、自分ではよく分からなかった。
その後、花立に見つかったアイリは医務室に強制連行され、結局ユナと会えたのはその三日後だった。




