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8話 世話焼きミスト


 「じゃあ、明日また来るから」

 

 ガチャリ、と冷たく重たい鉄格子が閉まる音が響く。

 ミストにそう告げられ、本日二度目となる檻の中に閉じ込められた二人は、ただぼーっと石壁に背を預けていた。

 薄暗い牢内に差し込んでくるのは、小さな鉄格子の窓からこぼれる自然の光――月明かり。

 そして、ふと窓の外を見上げたリオは、ある異常な光景に気づいた。


 「……あー、まじか。おい、ヒミコ」

 「あぁ? なんじゃ。ワレは今、食後の余韻に浸っておるんじゃ。邪魔をするな」

 「いいからあれ見ろ、あれ。空」

 「ん?」

 

 促されるまま、ヒミコがリオの指し示す小さな窓を見上げる。

 その瞬間、彼女の口からポカンと間抜けな声が漏れた。


 「……まじか」

 

 夜空にぽっかりと浮かんでいたのは、見慣れた月。

 ――しかも、くっきりと『二個』並んで輝いていたのだ。


 「これで、本当に『違う世界』に来たってのは確定したようだな……」

 

 リオの呟きが、静かな牢屋の中に虚しく吸い込まれていった。


 「百歩譲って、摩訶不思議な現象で地球のどこか違う国に飛ばされただけかとも思ったのじゃが……これはいよいよ信じるしかなくなったようじゃのー」

 

 ぽかーんと二つの月を見上げながら、ヒミコがしみじみと呟いた。

 そんな彼女の横顔を見つめながら、リオはずっと気になっていた疑問を口にする。


 「でもさ、完全に違う世界に来たって言うなら、なんで言葉が普通に通じるんだ? 文字だって読めたし」

 「おいリオよ。お主、一応ワレに問いかけておるのだろうが、ワレにそんな答えなど知る由もない。つまりそれは不毛な質問というやつじゃ。――だが、一つだけ確実に分かったことがある」

 

 ヒミコはふっと目を閉じ、腕を組んで自信満々に頷いた。


 「おっ? なんか今のヒミコ、王者の風格…ちょっと女王っぽいぞ。で、何が分かったんだ?」

 

 まさか、この世界の法則のヒントか、あるいは元の世界に帰る手がかりか。

 少しだけ期待して身構えたリオに向かって、ヒミコはアホ毛をピン!ッと立てニカッと歯を見せて笑った。


 「この世界は――飯がすこぶる美味い!」

 「…………」


 リオは無言で鉄格子の冷たい床に寝転がり、そっと目を閉じ――


 「冗談じゃって。じゃがまぁ、そうじゃの……真面目な話をするとじゃな」

 

 現実逃避しかけたリオを引き戻すように、ヒミコがふっとトーンを落として声をかけた。

 薄暗い牢屋の中で、今度は本当に真剣な表情をリオに向けている。


 「まず、あの料理人は『この世界には、他の世界から迷い込んでくる奴がたまにいる』と言っておったな?」

 「あぁ。あの嘘発見器の兄ちゃんが言うんだから、本当なんだろうな」

 「んでじゃ。ワレらもあの空の二つの月を見て、どうやら本当に別の世界に来てしまったと認めざるを得なくなった。ここまではいいな?」

 「うんうん」

 

 珍しく理路整然と状況を整理するヒミコに、リオは寝転がったまま静かに相槌を打つ。

 

 一体、何を言い出すのか。


 「じゃからな。明日、あの料理人にこの世界のことを一切合切聞けばいいのじゃ。ワレには分かるぞ。あやつは『いやいや言いながらも面倒見が良く、結局は最後まで付き合って面倒を見てくれる苦労人タイプ』じゃ!」

 

 ビシッ! と謎の確信を持って言い放つと、ヒミコは壁際に背を預け、あっという間にすぅすぅと睡眠態勢に入ってしまった。


 「…………」

 (こいつ、完全にミストを『自分を甘やかしてくれる新たなカモ』としてロックオンしてやがる……!)

 

 長年、その『苦労人タイプ』として彼女の傍若無人な振る舞いに付き合わされてきた被害者代表のリオは、同じ匂いを感じるあの金髪イケメン尋問官へ向け、心の中で深く、深い同情の祈りを捧げるのだった。


 ◇


 「……なぜ会話が通じるか、って?」

 

 翌朝。牢屋の鍵を開け、二人を釈放しにやってきたミストに、リオは真っ先にその疑問をぶつけていた。

 その後ろでは、ヒミコが立派な鼻提灯をぷきゅーっと膨らませ、立ったまま器用に居眠り歩きでついてきている。


 「ああ。だって、普通は違う国に行けば言葉が違うのは当たり前だろ? なのに俺たちは、昨日から普通に会話ができてる」

 

 それに、ギルドの書類だってそうだった。完全に未知の記号の羅列だったのに、なぜかスラスラと意味を読み取ることができてしまったのだ。


 「あぁ、それね。……じゃあ、ちょっとよく見てて」

 

 ミストは立ち止まり、自分の口元を指差した。


 「今、ボクが話している言葉の響きと、口の動き。どう?」

 「え……? あ!?」

 

 言われて初めて、リオはまじまじとミストの口元を観察し――ゾワッと腕に鳥肌を立てた。

 耳から聞こえてくる言葉の響きと、ミストの唇の動きが、決定的に『合っていない』のだ。


 「理由はボクにも分からないよ。でも、君たちみたいに違う世界から来た『転移者』は、みんな例外なくそうなるんだ。言葉や文字が、頭の中に直接翻訳されて響いてる……って言ってたかな」

 「……うわ、なんかめちゃくちゃ気持ち悪いなそれ」

 

 まるで、声と映像がズレた下手な劇を見せられているような感覚だ。

 リオが身震いして腕をさすっていると、後ろでフラフラと歩いていたヒミコの鼻提灯が、パチン!と弾けた。


 「ふはっ!?」


 鼻提灯が弾けた衝撃でパチリと目を覚ましたヒミコは、寝ぼけまなこでキョロキョロと辺りを見回し、やがて立ち止まっている二人に視線を向けた。


 「おはよう、お姫様。よく眠れたかな?」

 

 ミストが、すっかり手のかかる子供に向けるような生暖かい視線を送る。


 「……寝れるわけねえのだ、あんなカビ臭くて冷たい床の上で、次期女王たるワレが安眠など……ふぁあぁ〜あ」

 「そうか、それはよかったよ」

 

 大あくびをしながら強がるヒミコを華麗にスルーして、ミストは会話を打ち切った。完全に会話のキャッチボールが成立していない。


 「――で、話はギルドの方にも通しておいたから。またあそこへ行ってみると良いよ」

 「ギルドに?」

 「うん。君たちが何も知らない転移者だって伝えてある。この世界の事とか、魔法の基礎なんかも教えてくれる手はずになってるはずだよ。それと――」

 

 そう言うと、ミストは自分のズボンのポケットから、布でできた小さな袋を取り出してリオに差し出した。

 「これは……?」

 「うん。いるだろ?」

 

 受け取って中を覗き込んだリオは、思わず息を呑んだ。

 袋の中には、ジャラジャラと鈍く光る大量の硬貨が入っていたのだ。


 「えっ!? ちょっと、良いんですかこんなの!?」

 「うん。まず、君たちのその見渡す限り目立ちすぎる格好、なんとかした方が良いからね。それに、依頼を受けるなら最低限の武器なんかも調達しなきゃいけないだろ?」

 

 あまりにも手厚すぎる保護だ。

 確かに昨日、ヒミコは「こいつは世話焼きの苦労人だから、面倒を見てくれる」と豪語していたが、まさか本当にお金まで恵んでくれるとは思わなかった。


 「でも……何故ここまでしてくれるんですか? 俺たち、ただの不審者だったのに」


 申し訳なさと戸惑いが入り混じるリオの問いかけに、ミストは少しだけ遠い目をした。

 だが、やがていつもの気怠げな表情に戻ると、ふっと自嘲気味に笑う。


 「なに、ただの気まぐれだよ。さぁ、行きな。もうここに戻ってくるような面倒ごとは起こさないようにね」

 「……はい。本当に、恩に着ます」

 「言っておくけど、次何かやらかしたら、その時は過酷な強制労働が待っているからね」

 「うっ……肝に銘じます」

 

 背筋を伸ばして深く頭を下げるリオに対し、ミストは「しっしっ」と犬でも追い払うような仕草をした。

 冷たい態度に見えるが、それでも彼は、衛兵所の出口――明るい朝の陽射しが差し込むファストールの街の大通りまで、しっかりと二人を見送ってくれた。


 「ふはは! さらばじゃ料理人よ! そのうち気が向いたら、またカッチュ丼を食いに来てやるからな!」

 「だからもう来るなって言ってるだろ……」

 

 去り際まで上から目線のヒミコに、ミストは深いため息をつきながらひらひらと手を振った。

 こうして、異世界生活の二日目。

 思いがけない軍資金を手に入れた二人は、まずは自分たちの「見た目」をまともにするため、ギルドではなくウキウキと右側の大通りへと足を踏み出そうとし――


 「君たち。そっちじゃない、寄り道しないで先にギルドに行きなさい」

 

 くいっ、くいっ。

 

 背後から響いたミストの呆れたような声。振り返ると、彼は「そっちじゃなくてあっち」とでも言うように、無表情のまま左の方角を指さしていた。


 「「あっ、はい」」


 有無を言わせぬ保護者の進路指導に、二人は見事なまでにハモった声で即答し、すごすごと左方向へと向き直った。

 世話焼きな尋問官の的確な判断に従い、二人は今度こそ大人しく、昨日訪れた『冒険者ギルド』へと向かうのだった。



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