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28話 変態の料理人


 「ほら」

 

 そう言ってリーゼから手渡されたのは、小さな瓶だった。中には『ウェーク草』と呼ばれる青みがかった葉をすり潰し、水分と混ぜ合わせた特製の液体が詰まっている。


 「これを首から下、鎖骨の辺りに塗りな」

 

 鼻腔を突き抜けるような、強烈なメンソールの匂い。この刺激臭には強力な覚醒作用があり、ドリームラビットの幻覚を強制的に打ち消す効果があるという。


 「おおっ、スースーするのじゃ!」

 

 ヒミコは躊躇することなく自身の服の胸元をぐわりと引っ張り、開いた隙間からジャブジャブと豪快に液体を塗りたくった。

 

 「……そんな大量に塗るもんじゃないんだが。まあいいや」

 「あの、リーゼさん」

 

 呆れ顔でため息をつくリーゼに対し、リオはふと、極めて全うな疑問を投げかけた。


 「そんな便利な対策アイテムがあるなら、なんであの……バイトのガンゾさんは使わなかったんですか? 途中で効果が切れたとか?」

 「…………」

 

 言われてみれば確かにそうだ。

 リーゼの眉がピクリと跳ねる。彼女は無言のまま、いまだ完璧な直立敬礼をキープしながらヨダレを垂らしている大男の元へ歩み寄った。


 「おい、ガンゾ。――いい加減に目覚めやがれ」

 

 ズガァァァンッ!!

 一切の慈悲もない、岩をも砕きそうな無慈悲な蹴りがガンゾの脇腹にめり込む。


 「ああああああああああッッ!!!! ざすッ! ご馳走様ですぅはぁぁぁいいッ!!!! ――――ん? ここは?」

 

 絶大なる物理ダメージ(とご褒美)をトリガーに、ガンゾはビクンと身をよじって強制覚醒し、不思議そうに周囲を見回した。


 「「「…………」」」

 

 あまりに業の深い目覚め方に、リオ、ヒミコ、ミランダの三人はドン引きして沈黙するしかない。


 「ガンゾ。お前、あらかじめウェーク草の小瓶を持たせておいただろう? なんで使わずに幻覚にかかってんだい?」

 

 地を這うようなリーゼの冷たい声色に、ガンゾは照れくさそうに頭を掻き、恍惚の表情でこう宣った。


 「いやぁ、姉御。ウサギの幻覚だってのは途中から気づいてたんですがね。なにせ『姉御に一生蔑んだ目で罵倒され続ける』っていう極上のご褒美だったもんで、つい抗うのをやめちまいまして……」


 「死ね(ドゴォッ!)」

 「あぶばぁッ!?(ありがとうございます!)」

 

 美しい弧を描いたリーゼの二発目の回し蹴りが、大男を遥か彼方の茂みへと吹き飛ばす。

 ドリームラビットの幻覚よりも、人間の果てしない性癖のほうがよっぽど恐ろしい。リオは遠い目をしながら、心の中で深く頷くのだった。

 そんな惨状を横目に、ミランダの元へススッと近づいたヒミコが、何やらひそひそと耳打ちを始めた。


 「(おい、ミランダ。あやつ、ああは見えてもゴリゴリのマッチョマンじゃぞ? 万が一襲われたりしたら、お主などひとたまりもないのではないか? 多くは言わん、身のためにもあんな奴とは縁を切った方が……)」

 

 ヒミコなりの真剣な気遣いだったのだろう。だが、その話を聞いたミランダはケラケラと笑い飛ばした。


 「はっはっはっ! 心配してくれてありがとな。だけど大丈夫だ」

 「ん?」

 

 不思議そうに首を傾げるヒミコに対し、ミランダは茂みに突き刺さっている大男を指差し、残酷な真実を口にする。


 「こいつ、その無駄な筋肉のくせして、アタシより『クソ雑魚』だから」

 「クソ雑魚いただきましたァァァァーーーッス!!」

 

 ――ビシィィッ!!

 

 茂みから弾き出されるように飛び出したガンゾが、三度見事な直立敬礼を決める。


 「こいつは筋肉の鎧を着てるだけで、戦いのセンスは完全に皆無なんだよ」

 

 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら、リーゼが呆れ顔で補足した。

 

 「じゃあ、なんでわざわざ連れて来たんですか?」

 「ははっ、そうだよな。疑問に思うわな。……まあ、丁度いい時間だし、ここで飯にするか。おいガンゾ、準備しな」

 「了解いたしました、姉御ォ!!」

 

 リーゼの命令に、ガンゾは顔つきを(無駄に)引き締め、両手を天高く掲げて何やら仰々しい呪文を詠唱し始めた。


 「我が深淵に潜む、もう一つの世界よ!! 今こそその扉を開け!! いでよ、収納空間!!!!葉ッハッハッハハァァァァァァァァイッ!!」

 

 バァァンッ!と謎の効果音を伴って、ガンゾの目の前の空間に真っ白い光の穴がぽっかりと広がる。


 「おおっ!?」

 

 目を輝かせるヒミコの前で、ガンゾはその光の空間にズボッと両腕を突っ込み、何やら次々と中身を取り出し始めた。


 「こいつは【収納魔法】の使い手なんだ。重い鉱石をごっそり運べるから、こうして荷物持ちとして雇ってるって訳さ」

 

 リーゼが解説している間にも、ガンゾの作業は止まらない。

 まずは人数分の豪華な弁当。それから厚手のレジャーシート。

 

 ――ここまでは分かる。

 

 だが、続いて出てきたのは、立派な木製のテーブル。背もたれ付きの優雅なアンティーク調の椅子。極めつけには、強い日差しを遮るための巨大なパラソルまで飛び出してきた。


 (……いや、ピクニックどころか完全に貴族のバカンスじゃないか)

 

 大自然の裏山のど真ん中に突如として出現した、あまりにも違和感しかない快適なオープンカフェ空間。

 次々と優雅な家具を並べていく屈強な変態大男を眺めながら、リオは本日何度目かもわからないツッコミを、心の中にそっとしまい込んだ。


 「そりゃ便利じゃのー。なんとも不思議な世界よ」

 

 ヒミコが感心したようにうんうんと頷く。


 「そりゃどういう事だい?」

 

 リーゼが首を傾げ、「何を当たり前のことを言ってるんだ?」というような訝し気な表情を浮かべた。

 そこに、ようやく無実の罪のショックから回復し、涙目を拭ったミランダが口を挟む。


 「あぁ、言ってなかったか。こいつら、『転移者』なんだよ」

 「……あー。なるほど、そうだったのかい」

 

 その一言で、リーゼはポンと手を打って深く納得したような顔を浮かべた。


 「昨日うちの店で初めて会った時、随分と変な格好をしてるから、どこの辺鄙な田舎から出てきた世間知らずかと思ってたんだけど。あんたら、異世界からの転移者だったのかい」

 「変な格好とはなんじゃ、変な格好とは!」

 

 自分たちの服を田舎者扱いされ、ヒミコがプンスカと頬を膨らませて抗議の声を上げる。


 「ああ、すまないね。でも、街の中じゃ相当浮いてたからさ」

 「むむむっ……!」

 

 リーゼが苦笑交じりに謝罪するが、ヒミコはまだ納得いかない様子で唸っている。

 そんな時だった。


 「姉御! お待たせいたしましたァッ!」

 

 野太い声と共に、配膳を終えたガンゾがビシッと敬礼した。

 促されてリオたちがテーブルに視線を移すと、人数分の立派な椅子の前には、香ばしい匂いと湯気を立てる厚切りの肉焼き、ふっくらと盛られたご飯、その他にも色鮮やかな料理の数々が所狭しと並べられていたのだ。


 「おおおおおおっ!!」

 

 先ほどまでのプンスカ怒っていた顔は秒で消え去り、ヒミコの顔がだらしなくパァァッと綻ぶ。


 「さて、飯にしようか!」

 

 リーゼの号令とともに皆が席に着き、意気揚々と食事を始めた。


 「うまい! 美味いのじゃ!」

 「本当だ。まさかこんな裏山のど真ん中で、出来立てみたいにあったかいご飯が食べられるなんて……!」

 

 ヒミコは肉にかぶりつき、リオも湯気の立つふっくらとした白米を頬張りながら目を輝かせる。


 「収納空間の中は時間が止まるんだ。だから、作ってそのまま入れておけば、いつでもあったかいって訳さ」

 

 リーゼが自慢げに解説する横で、リオとヒミコは夢中になって料理を口に運んだ。

 

 ――だが、ふとリオは気がついた。


 「…………」

 

 向かいの席に座るミランダの手が、完全に止まっているのだ。

 それどころか、彼女はフォークを持ったままどこか遠い目をし、目の前の肉を微動だにせず見つめている。一ミリたりとも食欲を感じていない、死んだような目をしていた。


 (あれ……? ミランダさん、どうかしたのかな?)

 

 リオが不思議に思って首を傾げた、その時だった。

 背後に直立不動で控えていた屈強な変態大男が、なぜか腕を組み、一流の料理人のような満足げな笑みを浮かべて口を開いた。


 「ふっ……そこの嬢ちゃんが美味い美味いと言って食ってくれると、俺も作り甲斐があったってもんだぜ」

 ドヤァッ、と。

 先ほどまでヨダレを垂らして地面を転げ回っていた男が、胸を張ってそう言い放った。


 「「――――え?」」

 

 リオとヒミコの咀嚼が、ピタッと止まる。

 口の中に広がる極上の旨味と、目の前に立つ筋肉ダルマの変態。その二つの情報が脳内でリンクした瞬間、裏山のオープンカフェに、なんとも言えない絶望の静寂が舞い降りた。


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