14話 現象
「よし! リオ」
「……はい、何でしょうか」
三匹のゴブリンがこちらを威嚇している緊迫した状況の中。
前衛として立つミランダからふいに名前を呼ばれ、リオは嫌な予感を覚えながらも返事をした。
「やれ」
「いきなり!?」
アゴでゴブリンをしゃくりながら放たれた、あまりにも短く、そして理不尽な指示。
背中に弓を背負ったままのリオが、思わず素頓狂な声を上げる。
「普通、こういうのって手本とかあるでしょ!?」
「手本だぁ? お前、ギルドでの適性が『弓術士』だったんだろ? 適性があるってことは、ある程度弓の心得があるってことだ。それに――その身のこなし、お前『狩り』くらいはしたことあるんだろ?」
「えっ」
ミランダの的確な指摘と鋭い観察眼に、リオは言葉に詰まる。
確かに、ただの素人というわけではない。元の世界では彼自身も弓を握って山を駆けていた経験があった。
「……はい。まあ、猪とかは狩ったことありますけど……」
「なら要領は同じだ。相手が猪から、緑色の『食えないゴミ』に変わっただけだと思え。サクッとやれ」
ミランダは腕を組んだまま、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべてアゴで前方を指した。
初心者相手とはいえ、過保護に守ってやるつもりはないらしい。実戦のヒリヒリとした空気の中でしか育たないものがあると、ベテランの彼女は知っているのだ。
「ほれリオ、モタモタしておると小鬼どもが来るぞ! ワレの優秀な家来として、華麗に射抜いてみせよ!」
「うるせー!」
背後から能天気に発破をかけてくるヒミコにツッコミを返しつつ、リオは慌てて背中の弓を手に取った。
腰の矢筒から真新しい矢を一本引き抜き、弦につがえる。
(やるしかない……!)
大きく息を吸い込み、元の世界で猪を仕留めた時の感覚を思い出す。
相手は人間を襲う、食えないゴミのような魔物。躊躇している暇はない。リオは覚悟を決め、震えそうになる手を必死に抑え込みながら、ゴブリンに向けてギリギリと弓の弦を引き絞った。
「いけぇっ!」
射出。
指先から勢いよく解き放たれた一矢は、鋭い風切り音を鳴らし、猛スピードで先頭のゴブリンの眉間を目掛けて飛んでいく。
「おーうまいな、いいぞー」
その完璧な軌道に、ミランダから称賛の声が漏れる。
だが――。
ガンッ!!
直撃するほんの数センチ手前。矢はまるで目に見えない壁に弾かれたかのように不自然に軌道を捻じ曲げられ、標的を逸れて傍らの木に深く突き刺さった。
「なんでぇ!?」
リオは呆然と声を上げた。
彼には、自分の腕に少なからず自信があったのだ。元の世界で行われていた『十八歳以下の部』の弓術大会において、リオはまだ十五歳という若さでありながら、年上の手練れたちを次々と退け、見事準優勝まで漕ぎ着けた確かな実績がある。動く的を射抜くことにも慣れている自分が、こんな至近距離で的を外すはずがない。
「なっ? 言っただろ。やっぱり後ろの丸腰の奴が魔法使いだったんだよ、そしてあのゴミが使ったのが魔法って奴だ」
呆然とするリオの横で、ミランダは外れた矢を見て悔しがるどころか、自分の予測が的中したことに満足げな笑みを浮かべた。
「魔法って奴はな、いわば大気中に漂う『燃料』だ」
「……燃料?」
「ああ、そうだ。見えないその燃料をかき集めて、己の適性をもって放出する、不思議パワーって奴だな」
突然始まった魔法の解説に、リオは呆気にとられながらも尋ねる。
「なんでそういう現象が起きるんですか?」
「のじゃ?」
ヒミコもアホ毛を揺らしながら首を傾げた。
二人の純粋な疑問に対し、ミランダはやれやれと肩をすくめる。
「……さあ? 知らねえ」
「えっ」
「お前ら、空から雨が降ってくる『理由』を知ってるか?」
「さあ?」
「降ってくる理由なんか、普通の奴は知らねえだろ? それとおんなじだよ。そこにあるから使う。ただの自然現象だ」
「……なんとなく分かるが、ひどくパッとしない例えじゃな」
「うっ、うるさいっ!」
ド正論のダメ出しを食らい、ベテラン冒険者が誤魔化すように少しだけ声を荒らげた。
しかし、そんな暢気なやり取りの最中、リオはハッと一つの事実に気がつき、隣のミランダへジト目を向けた。
「……ミランダさん。あんた、まさか最初から魔法で防がれるって分かってて、俺に撃たせたんですか?」
「当たり前だろ。ああやって実際に攻撃を仕掛けてみねえと、後ろの奴が本当に魔法を使うかどうかの『確認』ができねえからな」
見れば、最後尾にいた手ぶらのゴブリンが、不気味に細い手をこちらに向けてかざしていた。奴が濁った声で何やら呪文のようなものを唱えると、その周囲に不自然な風が渦を巻く。
リオの渾身の一矢は、魔法で操られた風の壁によって軌道を捻じ曲げられたのだ。
「いいか、リオ。ヒミコも聞け。敵の群れに魔法使いがいると分かったら、最初に狙って潰すべきなのは厄介な『後衛』だ。それが集団戦の基本中の基本だぞ」
「なるほど……って、それなら撃つ前にそう教えてくれれば、最初から後ろの奴を狙ったのに!」
「馬鹿野郎。初心者が最初から見え透いた狙いで魔法使いを狙ってみろ。前衛の二匹が警戒して盾になるか、あるいは一気に距離を詰められてお前が死んでたぞ。だから、あえて前衛を本気で狙わせて油断させたんだよ」
「うっ……」
ぐうの音も出ないほど理にかなったベテランの戦術指導に、リオは完全に言葉を詰まらせた。
そんな彼の肩を、ミランダがポンと軽く叩く。
「それに、いくらアタシが口で『魔法は厄介だ、気をつけろ』って教えたところで、こうして実戦でその理不尽さを味わわねえと、本当の恐ろしさはピンとこねえだろ?」
「……なるほど」
「何事も、自分で痛い目見て経験しないと分からないこともあるんだよ。いい勉強になったな?」
ミランダはニヤリと笑い、リオへウインクを飛ばした。
無茶振りの中に隠されていた、ベテラン冒険者なりの『実戦主義の教え』。理不尽ではあるが、確かにこの一撃で、リオは異世界の魔法の厄介さを骨の髄まで理解することができた。
「さて。敵の手札も分かったことだし、ここからはアタシの出番だな」
「ワレは!? ワレには何かないのか! リオだけずっちーぞ!」
後ろで黙って見ていたヒミコが、買ったばかりの木の杖(鈍器)をブンブンと振り回して抗議の声を上げた。
「待て待て。お前にも教えるからお前は一旦そこで待機してろ」
「むー!」
不満げに頬を膨らませるヒミコを片手で制し、ミランダはゴブリンの群れに向かって地を蹴った。
――ヒュンッ!
「ギャッ!?」
風を置き去りにするような凄まじい踏み込み。前衛のゴブリンたちが剣を構え直すよりも早く、ミランダはノーガードのまま奴らの懐へと潜り込んでいた。
「まずは一匹!」
武器を抜くことすらない。先頭のゴブリンの鳩尾に、無慈悲な前蹴りが突き刺さる。
くの字に折れ曲がって白目を剥いた一匹目を踏み台にして跳躍し、二匹目の脳天に強烈な踵落としを叩き込む。
「ギベッ……!」
「んで、厄介な後ろの術師!」
瞬きする間に最後尾へと肉薄したミランダは、再び風の魔法を唱えようとした三匹目の顔面を鷲掴みにし、そのまま地面へと容赦なく叩きつけた。
ズドォォォンッ!!
「…………は?」
リオの口から、間抜けな声が漏れた。
ほんの数秒。本当に、瞬きを数回する間だけの出来事だった。
茂みの前には、ピクピクと痙攣して完全に身動きが取れなくなった三匹の緑色の小鬼が、無残な姿で転がっている。ベテラン冒険者は、武器すら使わず素手でゴブリンを「ボコボコ」にしたのだ。
「ふぅ」
ミランダはポンポンと手の汚れを払い、振り返ってニカッと悪びれずに笑った。
そして、足元で呻くゴブリンたちをアゴでしゃくり、とんでもないことを言い放つ。
「一丁上がりだ。さァ、お前ら」
「……え?」
「トドメを刺せ」
「「――あ?」」
木漏れ日の落ちるのどかな森に、平和な世界で生きてきた二人の、間抜けで、ひどく引きつった声が重なった。




