第19話:作者より先に
翌日の放課後、照明卓の前に椅子が一つ置かれていた。
俺が普段座っている椅子ではない。部長が客席から運んできたものだった。
「稽古を始める前に、昨日の続きをします」
部員たちは舞台と客席に分かれて座っている。日向は舞台の端に腰を下ろし、相手役は昨日五行を削った台本を持っていた。静は客席の一列目にいる。
俺は照明卓の前に置かれた椅子へ座った。
照明を操作するためではない。部員たちから質問を受けるための椅子だった。
「全部を今日中に終わらせる必要はありません」
部長が言った。
「今後の稽古に関係することから確認します」
最初に手を挙げたのは衣装係だった。
「橘以外の役にも、誰かを見て書いたところはある?」
「本人の動作を記録して、そのまま移したところはありません」
「絶対に?」
「はい」
そこで言葉を切った。
「ただ、部員の声や動きから受けた影響まで、全部分けることはできません」
衣装係はすぐには頷かなかった。
「橘のときみたいな記録は?」
「ありません」
「分かった」
返事は短かった。納得したのではなく、質問への答えを一つ受け取っただけだった。
音響係が手を挙げる。
「今まで、作者として稽古に指示を出したことは?」
「匿名で、演技についての返事を送ったことがあります」
「部長を通して?」
「はい」
「それ以外は?」
「照明として意見を言いました」
「でも、その中に作者の考えが混ざっていなかったとは言えないんだよね」
「言えません」
自分の中では分けていたつもりだった。けれど、照明を考えるときも、俺はその台詞を書いたときのことを知っていた。知らなかった部員たちと、同じ位置から舞台を見ていたわけではない。
相手役が台本を膝へ置いた。
「俺が聞きたいのは、なんで黙ってたか」
全員の視線が俺へ集まった。
「脚本だけで選ばれたかったからです」
「名前を出したら、選ばれないと思った?」
「それもありました」
「それも?」
「作者だと知られた状態で、稽古を見るのが怖かったです」
「何が?」
「書いた意図を聞かれることが」
相手役が眉を寄せた。
「作者なのに?」
「はい」
「聞かれたくないのに、演じてほしかった?」
「はい」
自分で答えてから、その二つが並んだ。
読んでほしかった。演じてほしかった。けれど、書いた人間としては見られたくなかった。
「都合いいな」
相手役が言った。
「はい」
部長は止めなかった。日向も俺を見ていた。俺の代わりに説明する言葉は出さなかった。
次に、小道具係が静を見た。
「冬木は、いつから知ってたの?」
静は座ったまま答えた。
「如月くんのところへ確認に行ったとき」
「かなり前から?」
「そう」
「どうして黙ってたの?」
「私が言うことではないと思ったから」
「でも、冬木だけは知ってる側だったんだよね」
「そう」
静は否定しなかった。
「作者が稽古場にいると分かっていたから、私は如月くんの反応も見ていた」
「作者の正解を探してたってこと?」
音響係が尋ねた。
「違う。どこで作者として口を出すのか見ていた」
静が俺を見る。
「だから、何も知らなかった人たちと同じ場所にいたとは言わない」
小道具係は続けた。
「知ってて黙ってたことは、どうするの?」
「黙っていたのは、私の選択」
静は膝の上の台本を閉じた。
「聞かれたことには答える。正しかったことにはしない」
部長が部員たちを見る。
「今日はここまでにします」
誰も異議を出さなかった。
「質問は残しておいてください。稽古のあとでも、別の日でも構いません」
部長が、俺の座っている椅子を指した。
「如月は照明へ戻って」
「はい」
立ち上がる。照明卓へ戻るまでの数歩を、全員に見られていた。
席に座り、変更表を開く。作者だと知られる前と同じ照明卓だった。けれど、そこへ戻った俺を、もう誰も以前と同じようには見ていなかった。
「昨日短くした第二幕から確認します」
部長の声で、部員たちが位置についた。
机と椅子は、最初から舞台上に置かれている。
日向が椅子へ座る。相手役が舞台へ入る。
短くした会話を交わしたあと、相手役は椅子の背を持った。昨日決めたとおり、机の中へ戻す。日向が、その手を見る。相手役は椅子から離れ、舞台袖へ向かった。
「止めます」
部長が言った。相手役が振り返る。
「何かありました?」
「まだ分からない。もう一度お願いします」
同じ場面を繰り返す。相手役は椅子を戻した。日向が待つ。相手役が去る。
「止めます」
今度は静が声を上げた。部長が静を見る。
「何?」
「椅子をきちんと戻すと、戻ってくるつもりがあるように見えすぎる」
相手役が椅子へ手を置いたまま止まった。
「昨日は、戻る理由を動きで残すって話だった」
「残しすぎていると言ってるの」
静は客席から舞台を見たまま言った。
「椅子を元の位置まで戻したら、最後に戻ってくることが、ここでほとんど決まってしまう」
相手役が俺を見る。
「作者としては?」
全員の視線が照明卓へ向いた。
答えようとして、止める。昨日、日向が自分の考えを先に置いた。今日は、相手役が自分で考えた動きについて聞かれている。
「先に、どうしたかったか聞かせてください」
相手役が少しだけ目を細めた。
「俺に?」
「はい」
相手役は椅子を見る。
「戻るつもりはない。でも、このままにしていくのも嫌だった」
「どうして?」
「アキが座ってたから」
椅子の背を握り直す。
「元に戻したかったんじゃなくて、このまま置いていくのを迷った」
静が言った。
「でも、今の動きだと、迷ったようには見えない」
相手役は椅子を机から引き出した。一度、元の位置へ押し戻しかける。途中で手を止めた。
「じゃあ、戻そうとして、やめる」
手を離す。椅子は机の中へ入り切らず、途中の位置に残った。
相手役が日向を見る。
「これなら?」
日向は椅子と相手役の手を順に見た。
「その手が離れてから、次の台詞を言いたい」
「分かった」
部長が俺を見る。
「脚本としては?」
「五行を削ったままで伝わります」
「作者の答え?」
「台詞に必要な情報が残っているかどうかの確認です」
部長がストップウォッチを持った。
「時間も見ます。もう一度」
相手役が最初の位置へ戻る。日向が椅子へ座る。
「始めます」
短くなった会話を交わす。相手役が立ち上がった。椅子の背へ手を置く。机の中へ戻しかけ、途中で止める。指が離れる。
日向は、その手が離れてから次の台詞を言った。相手役が舞台袖へ去る。
「止めます」
部長が時間を見る。
「昨日とほぼ同じ」
音響係が手元の表を確認した。
「なら、前奏は昨日の長さで入れます」
「お願いします」
相手役が台本へ書き込む。俺の答えを先に聞いたあとではなく、自分が言ったことと、自分で選んだ動きを。
その日の稽古では、ほかにも何度か視線が俺へ向いた。台詞の意味を確認するとき。立ち位置を変えるとき。照明を調整するとき。
俺は、そのたびに先に答えなかった。演者がどうしたいのか。担当が何を変えたいのか。それを聞いてから、脚本に必要な情報か、照明としての判断かを分けて答えた。
稽古が終わるころにも、視線はなくならなかった。ただ、誰も最初から俺の答えだけを待つことはなくなっていた。
部長が明日の予定を黒板へ書いた。
『本番』
その下に、集合時刻と開場時刻が並んだ。
部員たちが片づけを始める。机が運ばれ、途中の位置に残っていた椅子も舞台袖へ戻された。
最後に、照明卓の前に置かれていた椅子を部長が持ち上げた。
「質問は、明日で終わりではありません」
「はい」
「本番が終わってからも聞きます」
「はい」
部長は椅子を客席へ戻した。
照明卓の前には、もう椅子はなかった。それでも、聞かれることは残っていた。




