第17話:同じ順番では
翌日の放課後、部長は舞台の前に全員を集めた。
「修正版の内容と、作者から提出された説明を確認しました」
手元の台本を閉じる。
「観察記録については、引き続き橘が確認します。ただし、橘本人から上演を続ける意思が示され、必要な修正も行われています」
部長は日向を見る。日向が頷いた。
「本公演では、この修正版を使います」
衣装係が息を吐いた。小道具係が、舞台脇に置いていた机へ手を伸ばす。
止まっていた準備が、正式に動き始めた。
「今日は第二幕を通します。昨日確認したところから始めます」
俺は照明卓に座り、台本を開いた。
日向は舞台中央へ立った。正体を知られる前と同じ場所だった。けれど日向はもう、この台詞を書いたのが誰かを知っている。
「始めます」
相手役が舞台へ入る。
アキは、一度背を向けた相手を呼び止める。日向が息を吸った。
「もう一度、最初から聞かせて」
相手役は立ち止まった。振り返らない。
日向の視線が、その背中から外れた。一瞬だけ、照明卓へ向く。
俺は動かなかった。表情も変えなかった。
日向は舞台へ視線を戻す。相手役が次の台詞を続けた。
「一度止めます」
部長が言った。
「橘、もう一回。今度は少し間を取ってみて」
「はい」
同じ位置へ戻る。相手役が背を向ける。日向が呼び止めた。
「もう一度、最初から聞かせて」
一度目より、声が弱かった。引き止めるほど強くなく、送り出すほど静かでもない。どちらにも決めないような声だった。
日向はまた、照明卓を見た。
俺は台本へ視線を落とした。
「続けて」
部長の声で、相手役が台詞を返す。場面は最後まで進んだ。
けれど、日向の声は、そのあとも定まらなかった。
三度目の途中で、日向が自分から手を上げた。
「ごめんなさい。一度止めてもらっていいですか」
部長が頷く。
「どうした?」
日向は台本を閉じた。
「今、アキを見てませんでした」
「何を見てた?」
日向が照明卓を見る。
「如月くんの顔です」
舞台脇にいた部員たちも、こちらを見た。照明の変化を確認していたと思ったのかもしれない。
部長は何も尋ねなかった。
静だけが、日向から俺へ視線を移した。
「十分休憩にします」
部長の声で、部員たちが舞台を離れる。相手役は衣装係のところへ向かった。静は台本を持ったまま舞台袖へ下がった。
日向が照明卓へ来た。
「少し、廊下で話していい?」
「うん」
俺たちは客席脇の扉から廊下へ出た。扉が閉まると、稽古場の話し声が遠くなった。
日向は閉じた台本を胸の前で持っていた。
「ごめん」
「何が?」
「何度も見た」
「うん」
「前は、如月くんの答えを聞いても、自分の答えと並べられた」
終幕の立ち方を考えたとき、俺と日向は違う理由を出した。俺は、見られなかったことを、なかったことにしないためだと答えた。日向は、次に誰かを見るためだと答えた。
どちらかを消さず、二つを並べた。
「でも今は、如月くんが何か言ったら、作者の答えに聞こえる」
「作者として決めた答えがあるわけじゃない」
「分かってる」
日向はすぐに答えた。
「如月くんが、演じ方を一つに決めないことも分かってる」
「うん」
「分かってても、そう聞こえるの」
日向は台本の表紙を見る。そこに書かれているのは「とおる」の名前だけだった。
けれど、日向には、その後ろにある名前も見えている。
「さっきも、如月くんが何も言わなかったから、真ん中に寄せた」
「真ん中?」
「引き止めるのか、送り出すのか、どっちにも聞こえない言い方」
日向は少しだけ唇を結んだ。
「間違ってないところを探した」
「俺の顔を見て?」
「うん」
正体を明かす前、日向は俺の意見を聞いた。その答えを借りても、自分の答えを隣へ置けた。
今は、俺が何も言わなくても、日向は作者の正解を探してしまう。黙っていることさえ、答えとして読まれる。
「じゃあ、解釈については、もう何も言わない」
日向が顔を上げた。
「それも違うよ」
「でも、俺が言うと、作者の答えに聞こえるんだろ」
「聞こえる」
「なら、言わない方がいい」
「如月くんの答えを消してほしいわけじゃない」
日向は台本を開いた。
「この台詞をどう書いたのかも、聞きたい」
「でも、それを先に聞いたら」
「たぶん、そこから離れられなくなる」
「うん」
「だから、私が先に言う」
「何を?」
「どう演じたいか」
日向は問題の台詞へ指を置く。
「私が先に考えて、先に言う。そのあとで、如月くんの答えを聞く」
「同じだったら?」
「同じでもいい」
「違ったら?」
「違ったままでもいい」
日向は台詞を見た。
「先に借りた形にはしたくないから」
「分かった」
俺は言った。
「橘さんが先に言う」
日向はすぐには話し始めなかった。台本を読み、閉じた扉の向こうにある舞台へ顔を向ける。
「アキは、戻ってきてほしいから言うんじゃないと思う」
「うん」
「相手が帰ることは、止められないと思ってる」
日向は台詞を指でなぞった。
「でも、聞けなかったことまで消したくないから、もう一度聞く」
「最初から?」
「うん。今度は途中で決めつけないで、最後まで聞くために」
日向が俺を見る。
「如月くんは?」
自分の答えを先に置いたまま、俺の答えを待っていた。
「俺は、まだ帰るかどうかを決めてほしくなくて言うんだと思ってた」
「引き止める?」
「帰るなとは言えない。でも、話し終わるまでは決めないでほしい」
「じゃあ、違うね」
「うん」
日向は少し考えた。俺の答えへ寄せる言葉は続かなかった。
「今は、別々だね」
「はい」
日向は台本を閉じた。
「やってみる」
俺たちは稽古場へ戻った。
休憩が終わると、日向は舞台中央へ立った。相手役が位置につく。
部長が二人を見る。
「さっきのところから。橘、準備はいい?」
「はい」
「始めます」
相手役が背を向ける。一歩、舞台袖へ向かう。
日向は照明卓を見なかった。
「もう一度、最初から聞かせて」
声は強くなかった。相手をその場へ縫い止めようともしていない。
それでも、言葉を途中で終わらせることだけは拒んでいた。
相手役が立ち止まる。すぐには振り返らない。
日向は待った。俺も照明を変えなかった。
相手役がゆっくり振り返る。
そこで初めて、日向の顔へ光が入るように明るさを上げた。
場面が最後まで進む。
「はい、止めます」
部長が台本へ何かを書き込んだ。
「今の流れで、もう一度確認します」
日向が舞台袖へ戻る途中、照明卓の前で止まった。
「如月くん」
「何」
「照明は、どうしたい?」
「相手が振り返るまでは、明るさを変えない」
「どうして?」
「戻るかどうかを、照明で先に決めたくないから」
日向が頷いた。
「それは、如月くんの答え?」
「照明としての答え」
「うん。分かった」
部長が二人を呼ぶ。
「もう一度始めます」
日向が舞台へ戻る。相手役が背を向ける。
「もう一度、最初から聞かせて」
日向は待った。俺も待った。
相手役が振り返るまで、光は変えなかった。
場面が終わり、日向が舞台袖へ戻ってくる。
「次も、私から言っていい?」
「うん」
今度は、日向の答えが先に舞台へ置かれた。




