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未来AIの戦術が理解できない俺、室町で名将と呼ばれる  作者: 堀吉 蔵人


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南の林の十一人

南へ向かうころには、さっきまで橋の上で暴れていた息が、今度は胸の奥で重く沈んでいた。


 勝ったと思ったところへ、まだ敵がいる。しかも林の中。見えない。数もわからない。誰がどこにいるかも、走って確かめるしかない。


 室町の戦は、景の知っている何より不便だった。


 スマホなら地図が出る。メッセージも飛ぶ。位置情報だってある。だが今ここにあるのは、泥のついた草履と、息を切らした伝令と、誰かが見たかもしれない影の話だけだ。早馬もいなければ、無線もない。あるのは人の足と口だけで、そのどちらもすぐ乱れる。


「南の縁まで二町弱です」


 前を行く兵が振り向きざまに告げた。


 景には距離の実感がまるでない。だが二町弱と言われても、近いのか遠いのかより先に、足がぬかるみに取られて進みにくいことだけはよくわかった。


 紗那は先を急ぎながらも、後ろの兵の並びを何度も目で直している。勝ち鬨の熱を残したまま走れば、足は速くても音が大きい。林際の敵に、こちらの焦りをそのまま渡すことになる。だからか、紗那は大声を嫌った。指示は短く、近い者へ。受けた者が次へ渡す。その繰り返しで列が動く。


 景はそのやり方に感心しかけて、すぐ思い直した。


 感心している場合じゃない。自分はまだ、この時代で一時間もまともに生きていない。


《南林縁、敵後続十一。接敵予測まで九分》


 胸元の中で、KM-07 が平然と言った。


「さらっと言うなよ……」


《推奨行動を提示します》


「やめろ。どうせ無茶だろ」


《南縁第三畦道を主導線に設定。左右二班を四十二メートル離隔で配置。先頭三名が侵入した時点で射線を交差させ、後列指揮個体を優先排除》


「言ってる意味の八割がこの時代に存在しないんだよ」


《理解力の不足を環境要因のみに帰する姿勢は改善の余地があります》


「うるさい」


 思わず口に出すと、すぐ横の紗那が視線だけ寄越した。


「また独り言か」


「独り言じゃない。いや、独り言だ」


「どちらだ」


「自分でもわからない」


 正直に言うと、紗那はなぜか少しだけ納得した顔をした。


「そういう顔をしている」


「どういう顔だよ」


「見えているものを、そのまま口にしていない顔だ」


 言い当てられた気がして、景は返事に詰まる。


 林が近づくにつれ、空気が変わった。橋のあたりにはまだ泥と焦げの匂いが残っていたのに、こちらは湿った土と若い葉の青臭さが強い。夜になり切る前の薄暗さが、木立の下だけ早く濃くなっている。


 南の端には、田を区切る細い畦が何本も走っていた。刈り入れ前ではないせいか、田そのものは浅く水をたたえ、風が吹くたび鈍く光る。ところどころに用水の溝があり、渡るには踏み石か板がいる。


 紗那が手を上げると、一行が止まった。


 兵たちは盾代わりの竹束を下ろし、槍を立て、息を殺す。誰もが林の黒みを見ていた。黒いだけで、何も見えない。そのくせ、何かがいそうだとわかる色だった。


「戻った者は」


 紗那が問う。


「まだ一手のみ」


 年嵩の武士が低く答える。


「南の裏手を回ったとのことですが、敵影は掴めず。踏み跡だけ」


「戻らぬ三手は」


「不明」


 不明。


 便利すぎるくらい便利な言葉だと景は思った。不明と言えば、いないのか、死んだのか、隠れているのか、全部まとめて闇へ落とせる。


 スマホがもう一度、短く震えた。


《敵、待ち伏せ姿勢から前進へ移行》


「早いな……」


「何がだ」


 紗那の問いが、すぐ耳元に落ちた。


 近い。さっきからこの人、距離の詰め方が静かすぎる。


 景は胸元を押さえたまま、林と田を交互に見た。言えない。スマホのことはもちろん、未来AIのことなど説明のしようがない。なら、目の前にあるもので答えるしかなかった。


「……あっち、歩きやすい道ってどれ」


「歩きやすい?」


「一番ましなとこ。ぬかるまないとこ」


 紗那はすぐ田の筋を見やり、一本の畦を顎で示した。


「あれだ。第三の畦。林からまっすぐ来るなら、まずあれを使う。ほかは溝が多い」


 ちょうど KM-07 が言っていた第三畦道だった。


 景はぞっとした。偶然なのか、本当に見えているのか。


《認識一致を確認》


「だから怖いんだって」


「景殿」


 紗那の声が少し低くなる。


「どうする」


 その一言に、周囲の空気が寄った。足軽も小者も、皆こちらを見ている。さっき橋の上で半分叫んだだけの男に、この場の次を聞くな。そう思うのに、誰も疑わない。疑う暇がないからか、紗那が聞いたからか、その両方か。


 景は田を見た。細い畦。用水の溝。外された橋板が兵の肩にまだ一本残っている。半ば閉じた水門から、さっきより少し強く水が落ちていた。


 工事現場だ、と不意に思った。


 片側交互通行。通れるところだけ妙にきれいで、そこへみんな吸い寄せられる。人は通れる場所があると、そこへ集まる。まして急いでいればなおさらだ。


「……道、作れる?」


「作る?」


「いや、ちゃんとじゃなくていい。ここだけ通れそう、って見えるやつ」


 紗那の目が細くなる。理解しているのか、していないのか、その境目が読めない顔だった。


「敵に道を見せるのか」


「見せるっていうか、ほかをもっと嫌にする」


 景は自分の言葉のひどさに顔をしかめた。説明が雑すぎる。


 だが紗那はそこで、なぜか笑いそうな気配を一瞬だけ見せた。


「なるほど」


「え、今ので?」


「よい。兵を散らすな、ということだな」


「たぶん」


「たぶんで十分だ」


 十分じゃないだろ、と景は心の中で叫んだが、もう遅い。


 紗那は振り向くと、ためらいなく命を飛ばした。


「橋板を一本、第三畦の溝へ渡せ。ただし固定するな。置くだけでよい。左右の畦は切れ。水を入れて踏ませるな。竹束は両脇へ伏せ、姿を低くせよ。弓は二人だけ見せろ、ほかは伏せる」


 兵たちが動く。


 その速さに景は目を丸くした。自分は今、「通れそうに見せよう」としか言っていない。なのに紗那の口を通ると、まるで前からあった作戦みたいに筋が通る。


 これだ。この人がいるから話が壊れる。


「固定しなくていいのか」


 年嵩の武士が問う。


「よい」


 紗那は即答した。


「軍師殿は、飛びつかせる気だ」


「いや、そこまでは――」


「声を抑えよ」


 景の反論は、その一言で切られた。


 兵たちが畦を踏み崩し、鍬で小さく土を切る。水がじわりと流れ出し、さっきまで似たような顔をしていた田の一角が、急に底なしめいて見えはじめた。橋板は溝の上へ渡されたが、縄で縛られないまま、ただ泥の縁にかかっているだけだ。人が一人渡るぶんには持つかもしれない。二人、三人と重なればどうなるかわからない。


 景はそれを見て、逆に不安になった。


「これ、味方も危なくない?」


「だから味方には踏ませぬ」


「さらっと言うなよ」


「案を出したのは景殿だ」


「もっとふわっとした案だったんだよ!」


 紗那は答えず、林を見る。


 風が止まった。


 そのとたん、景にもわかった。気配だ。葉擦れと違う、湿った土をそろりと踏む重み。息を殺しているくせに、人数がいると隠し切れない圧がある。


《敵前進。先頭二。後続密集》


「来る」


 景が漏らすより早く、紗那が手をわずかに下げた。


 誰も声を出さない。


 林の縁から、影がひとつ出た。次にもうひとつ。槍を低く構え、様子をうかがっている。橋のほうで負けた兵ではない。鎧の汚れ方が違う。まだ息が整っている。後詰めだ。


 先頭の男が、細い畦を見た。左右は水が増している。中央には板がある。迷う時間は短かった。振り返って何か言い、板のほうへ足を向ける。


 景は息を止めた。


 一人目が渡る。


 持った。


 二人目が続く。


 ぎし、と板が鳴った。


 三人目が踏み込んだ瞬間、板の端が泥から外れた。


 跳ねるように傾いた板と一緒に、先頭の二人が前へ崩れる。三人目は踏ん張れず、後ろの男の槍に背を打たれて折り重なった。浅い溝のはずなのに、水と泥が飛び、足が抜けず、起き上がれない。


「今だ!」


 紗那の声が、そこで初めて鋭く走った。


 伏せていた兵が両脇から立つ。竹束の陰にいた槍が突き出され、畦に詰まった敵の肩と腕を払う。見せていた二人の弓が近間から矢を放つと、後ろの列が止まった。止まったところへ、さらに後ろが押した。


 狭い場所では、勇ましさは人数の邪魔になる。


 敵の列が、自分で自分を詰まらせる。前は泥、横は水、後ろは味方。振り返る余地がない。


 景はその光景に、喉が乾くのを感じた。


 勝っている。たぶん勝っている。けれど目の前で人が泥に顔を打ちつけ、叫びながら踏み合っている。ゲームでも動画でもない。重さがある。臭いがある。痛みが、その場の空気ごとこちらへ飛んでくる。


《敵陣形崩壊。追撃は限定的に》


「限定的って誰に言ってんだ……」


 膝が少し笑った。逃げたい。吐きそうだ。なのに隣の紗那は、ひどく静かだった。


「追うな!」


 紗那が声を張る。


「深追いはするな。畦を離れるな。逃げる背だけ射よ!」


 その一声で、前へ出かけた足軽の足が止まる。橋のときと同じだった。興奮を切るのがうまい。この人がいなければ、たぶん今ごろ何人かは林へ吸い込まれて返らなかった。


 敵は崩れたまま引いた。最初の勢いを板一枚で折られたせいか、立て直しが遅い。後ろから怒鳴る声も聞こえたが、前の者たちが泥を恐れて足を止めれば、命令はそこで詰まる。


 やがて林の奥へ、気配が遠ざかっていく。


 残ったのは、荒れた水面と、息の荒い味方と、溝に落ちたままうめく敵兵ひとりだった。


 誰かが、ほう、と長く息を吐く。


「……十一」


 景がつぶやくと、紗那が振り返った。


「何だ」


「いや。ほんとに、十一くらいだったのかなって」


 林縁に残った足跡や倒れた影を数えれば、おおよそそのくらいには見えた。景にとっては当たったことより、当たってしまったことのほうが怖い。


 だが周囲の兵には、別のふうに聞こえたらしい。


「やはり見えておられたか」


「林の中の数まで……」


「最初から板を外れさせるおつもりで」


「いや違――」


 否定しかけたところで、紗那がひとつ手を上げた。ざわめきがぴたりと止まる。


 それから紗那は、泥のついた橋板を見下ろし、景へ向き直った。


「景殿」


「はい」


「おぬし、本当に嫌な手を使うな」


「褒められてる感じがしない」


「褒めていない。感心している」


「もっと嫌だ」


 紗那の口元が、今度こそわずかに緩んだ。


 ほんの一瞬だったが、それで初めて、この人にも年相応の顔があるのだと景は知った。戦場で命じているときの冷えた目とは違う、誰かの癖を見つけたときのような、細い笑いだった。


「敵に急がせ、足場を信じさせ、その足場ごと裏切った」


「そんなつもりじゃなかった」


「なら、つもりでやったらどうなる」


「たぶんろくなことにならない」


「ますます底が見えぬな」


「だからなんでそうなるんだよ」


 景が頭を抱えかけたとき、ようやく最後の伝令が一人、林の裏手から転がるように戻ってきた。肩で息をし、泥を跳ね上げながら膝をつく。


「紗那様! 敵、南より退きます! ただし……」


「ただし、何だ」


「旗印が、村争いの手勢ではございませぬ。見慣れぬ家中の者どもです。まとまりが良すぎる」


 紗那の目が、すっと細くなった。


 橋を奪いに来た賊まがいではない。どこかの家が、試しにこちらの喉元を探りに来た。そういうことだろうか。


 景には家紋も勢力もわからない。だが「まとまりが良すぎる」という一言だけで、背中が冷えた。小競り合いの顔をした、もっと大きな何かの前触れ。そんなものが、林の向こうでこちらを見ている気がした。


 紗那はしばらく黙り、それから兵たちを見回した。


「負傷を集めよ。捕らえた者は縛れ。橋へ戻る前に、ここを見た者と見ていない者を分ける。話が混ざる」


 景はそこで、なるほどと思った。


 放っておけば、見たことと聞いたことがすぐ一緒になる。十人が十一人になり、十一人が三十人になる。板が外れたのではなく、景が呪で田を沈めたことにさえなりかねない。戦では矢より先に、そういう話が走るのだ。


 紗那は景に向き直る。


「景殿。今夜は私の陣を離れるな」


「え」


「逃げれば、今度こそ怪しまれる」


「逃げなくても十分怪しまれてるだろ」


「それはそうだ」


 即答だった。


 景はげんなりする。だが紗那はそのまま少しだけ声を落とした。


「安心しろ、と言うつもりはない。ただ――」


 言いかけて、紗那は景の胸元を一瞬だけ見た。ひび割れた画面の青白さを、さっき見逃してはいないのだろう。


「おぬしには、まだ聞いていないことが多い」


「聞かれたくないことも多い」


「なら、聞き方を考える」


 それだけ言って、紗那は先に歩き出した。


 兵たちがその後に続く。誰もがさっきより、景を見る目を変えていた。得体の知れない男を見る目だ。それだけならまだいい。問題は、その得体の知れなさを、怖がるより先に頼り始めていることだった。


 景は空を見た。鈍い雲の切れ間に、月ともつかない薄い光がある。


 胸元の中で、KM-07 が淡々と告げる。


《局地戦闘、暫定勝利。あなたの非標準的判断は再現性不明ながら有効でした》


「毎回その言い方なんだな」


《称賛の語彙を追加しますか》


「そこは人間に寄せろよ……」


 景は泥のついた足を引きずり、紗那の背を追った。


 橋の向こうでは、まだ今日の勝ち負けしか見えていない者が大半だろう。けれど林の奥から来た十一人は、それで終わる顔をしていなかった。


 見えない敵。遅すぎる伝令。わけのわからない未来AI。そして、わけのわからない自分への評価。


 戦が終わっていないどころか、ようやく始まりの形を見せたのだと、景はそのとき初めて思った。

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