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未来AIの戦術が理解できない俺、室町で名将と呼ばれる  作者: 堀吉 蔵人


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法螺貝の向こうから来た声

最初に聞こえたのは、電車の接近音ではなかった。


 腹の底をえぐるような法螺貝の音と、喉を裂く怒号だった。次の瞬間、景の顔に泥水が叩きつけられた。冷たさより先に臭いが来る。腐った藁、濡れた土、汗、そして鉄みたいな生臭さ。


「ぶっ……!」


 むせながら起き上がり、手をつく。駅の床の硬さはない。指の間にぬるい泥が入り込み、ちぎれた稲の根が爪を引っかいた。


 目の前の水たまりが、ぴしゃりと弾けた。


 一本の矢が刺さっていた。


「うわっ!」


 反射で頭を抱えて伏せる。耳の横を次の一本が裂き、ひゅっと乾いた音を残して飛んでいく。コンビニの灯りも、ホームの黄色い点字ブロックも、自販機の青白さもない。代わりにあるのは、曇った夕空の下に広がる田と、畦道を踏み荒らす鎧姿の男たちだった。


 槍が揺れる。草鞋が泥に沈む。倒れた誰かを、誰も助け起こさない。踏み越え、押しのけ、前へ行く。泥に混じる赤黒いものを見て、景の喉がひくついた。


「何だよ、ここ……」


 撮影現場じゃない。ドッキリでもない。


 死ぬ場所だ。


 景は荒い息のまま、記憶を手繰った。たしか駅のホームにいた。電車を待ちながら、スマホで動画を見て、缶コーヒーを飲んでいた。そこで記憶が途切れている。目が覚めたら、泥の中だった。


 右手には、ひびの入ったスマートフォンが残っていた。こんな場所でこんなものを握っている自分もどうかしているが、それでもそれは、今の景が元の世界と繋がっていた唯一の証拠だった。


 震える親指で画面に触れる。


 黒いはずの液晶に、青白い文字が浮かび上がった。


《個体識別完了。景。戦術支援ユニット KM-07 を起動します》


「……は?」


《環境照合失敗。暫定運用へ移行。周辺交戦規模は小隊級。三分後、右前方堤にて防衛線が破断します》


 景は息を止め、顔を上げた。


 言われた方角では、土橋の向こうで味方らしい兵が押し込まれていた。列の中央が裂け、馬上の男が太刀を振り上げる。ちょうど崩れそうな形だ。


「何だおまえ。何のアプリだよ」


《最適行動を提示します。北東七十間、第三閘門を開放。敵の点火を許容後、湿地化進路へ集束。左翼三列散開、予備兵は二十歩後退》


「わかるか!」


《指示は明瞭です》


「こっちの世界観を知らないんだよ!」


《理解不能です。なぜ理解できないのですか》


「それを聞くな!」


 閘門って何だ。七十間って何メートルだ。左翼は誰の左だ。景が半泣きで睨み返した瞬間、すぐ脇の泥が爆ぜた。矢だ。あと指二本ずれていたら顔面だった。


「ひっ……!」


「伏せろ!」


 鋭い声と同時に、肩をつかまれた。景の体が横へ引かれ、畦の陰へ滑り込む。泥に半身を埋めたまま見上げると、一人の若武者が立っていた。


 黒漆の胴。細身の太刀。ぬかるみの上なのに、足運びだけが妙に静かだ。泥を跳ねさせず、音もなく重心を移す。そのくせ命じる声は高めで、よく通る。若い。景とそう年が変わらないように見えるのに、目だけが冷え切っていた。


「この場所で立っていれば、次で死ぬぞ」


「死にたくないです!」


「なら頭を下げろ。今すぐだ」


 言い方に無駄がない。景が反射的に縮こまると、若武者は周囲を見渡して舌打ちした。


「伝令が戻らぬ。南の林に何人いるかも、火がどこまで回るかも、皆ばらばらだ」


 そこへ鎧の男が泥を蹴って走り込んできた。


「南の藁置き場に火が移りました!」


 続けざま、別の兵が叫ぶ。


「まだです! 火矢は飛びましたが、燃えてはおりませぬ!」


「どちらだ!」


「見に行った者が戻りませぬ!」


 怒鳴り声は飛ぶ。だが答えは届かない。届くころにはもう古い。


 景は妙な寒気を覚えた。スマホを見れば一瞬で済むことが、この時代では人の足と肺でしか運べない。しかもその人間は、途中で死ぬ。


《敵先鋒二十七。目的は橋梁確保ではなく藁束への着火。煙幕形成後、渡河点奪取》


 また画面が光る。


 景は藁束を見た。土橋の手前に刈り取り後の藁が積まれ、その少し奥に木組みの水門がある。あそこに火が回れば煙で視界が死ぬ。人は散る。散ったところへ敵が押し込む。


《推奨。点火を許容。煙幕利用後、側面挟撃》


「そんなの、できるか!」


 景が叫ぶと、若武者が振り向いた。


「何だ」


「あ、あの水門! あれ開けないとまずい!」


「水門を?」


「藁が燃えたら終わるだろ! 濡らせ! 藁ごと、道ごと、ぐちゃぐちゃにしろ!」


 口にした直後、自分でも意味がわからなくなった。ただ火事が嫌だった。煙に巻かれるのも嫌だった。だから水をかけろと叫んだだけだ。


 だが若武者は笑わなかった。


 橋。藁。風向き。敵の立つ土手。全部を一息に見て、すぐ背後へ命じる。


「喜八! 三人連れて第三の水門へ走れ! 藁へ水を浴びせろ、畦道まで沈めよ! 中途半端は許さん!」


「はっ!」


 男たちが一斉に駆けた。その速さに景のほうが呆気に取られる。


「信じるのかよ」


「この場で無意味な大声を上げる面には見えぬ」


「意味はあったけど、たぶんそんな大した意味じゃ」


「咄嗟の口が、たまに理より先へ届くことはある」


 変な理屈だった。だが言い返す暇はない。


 太鼓が鳴った。向こう岸から火矢が上がる。夕空に細い弧が何本も走り、そのうち数本が藁束へ突き立った。乾いた表面が赤く舐められ、ぱっと火が走る。


 景の背筋が凍る。


 次の瞬間、田の奥で水音が太くなった。


 ごう、と濁流が畦を越える。開かれた水門から吐き出された水が藁束の足元へ流れ込み、燃えかけた火を黒くしぼませた。湿った煙がむわりと広がる。さらに水は畦道へ溢れ、踏み固められていた細道をぬるりと崩した。


 敵の先頭が足を取られる。


 一人が転んだ。槍を抱えた二人目がそれにつまずく。後ろの弓兵が避けきれず、弓を泥へ突っ込み、馬が前脚を滑らせた。狭い進路に人と馬と槍が折り重なり、崩れが後ろへ後ろへ伝わっていく。


「あっ」


 景の口から間抜けな声が漏れた。


 崩れは止まらない。先頭の一人が躓いただけのはずなのに、後列は前が見えず押し込み、押された者は泥に沈み、抜こうとした脚ごとまた滑る。怒鳴る声が罵声に変わり、罵声が悲鳴に変わる。


 その連鎖へ、味方の叫びが噛みついた。


「崩れたぞ!」


「今だ、押せええっ!」


「うおおおっ!」


 さっきまで引いていた足軽が、槍を握り直して突っ込んだ。若武者が先頭で太刀を抜く。小柄なのに、踏み込みだけが鋭い。敵の槍を外へ流し、体ごとぶつかって橋板の端へ追い込む。崩れた敵兵が一人、泥水へ落ちた。


 それを見た味方の目の色が変わった。


 竹束を盾代わりにした足軽が前へ出る。もう一人が続く。さらに後ろから「行ける!」という声が上がる。押す者が出ると、その後ろの者も押す。歓声が伝染し、敵の狼狽もまた伝染した。


 勝ちの気配というものが、本当に形を持って走るのを、景は初めて見た。


《敵先鋒の渡河失敗を確認》


 耳の奥で、KM-07 が冷たく告げる。


《ただし提示した最適解からの逸脱率は九二パーセント》


「高すぎるだろ」


《非効率です》


「勝ってるのに文句言うな!」


《あなたは戦術支援対象として著しく扱いづらい》


「初対面で最低だなおまえ!」


 怒鳴り返したところで、目の前に影が落ちた。


 若武者が戻ってきていた。切先から泥水が落ちる。肩で息をしていない。


「橋は守れた」


 短く告げると、そのまま景を見下ろした。


「名は」


「景」


「姓は」


「今それ聞く?」


「では景殿」


 若武者は膝を折り、距離を詰める。近くで見ると、顔立ちは思ったより整っていた。まだ幼さも残るのに、目だけが変に拠わっている。


「火を嫌って叫んだだけの顔ではないな」


「いや、ほんとに火は嫌だった」


「敵が橋を崩す前に、こちらから地を崩した。橋を守るのでなく、橋へ至る理そのものを折った」


「そんな大層なこと考えてない」


「つもりでやる者ばかりなら、戦に奇策は生まれぬ」


 勝手に話が大きくなる。


 景が必死に否定しようとしたとき、年嵩の武士が駆け寄ってきた。


「紗那様! お見事にございます。あの一声がなければ橋は落ちておりました」


 若武者はそちらへ視線だけ向ける。


「まだ終わっていない」


 その名で、景はようやく若武者の名を知った。


 紗那。


 男の格好には似合わない、どこか柔らかい響きだった。


「景殿」


 紗那が言う。


「私は紗那。この場の差配を預かっている」


「誤解です」


「何がだ」


「今のはたまたまだ」


「たまたまで敵の足並みがあれほど美しく崩れるか」


「崩そうとして崩したんじゃない」


「ならなお悪い」


「悪いのかよ」


「底が見えぬ」


 景は頭を抱えたくなった。理解が斜め上すぎる。


 そのとき、南の林を見張っていた兵が叫ぶ。


「紗那様! 退いたのは前だけです! 南の林にまだ影がございます!」


「数は」


「読めませぬ! 伝令二手とも戻らず!」


 紗那の眉がかすかに動いた。橋の向こうでは勝ち鬨の余韻がまだ残っているのに、林の暗がりだけが別の顔をしている。細い旗の端が、木立の向こうにちらついた。


 景のスマホがまた震えた。


《追加交戦予測。南林縁に後続十一。三十分以内に再攻撃の公算、大》


 ぎくりとして、景は反射で画面を胸元へ押し込んだ。


 ちょうどその瞬間、紗那の視線が落ちる。


「今、何を隠した」


「何も!」


 自分でも不自然すぎる返事だと思った。景は慌てて上衣の合わせを押さえる。ひび割れた画面の端が一瞬だけ覗き、青白い光が布の内側でかすかに漏れた気がした。見られたら終わる。説明のしようがない。妖具だの呪具だの言われる以前に、まず奪われる。


 紗那が一歩、近づく。


 泥の中なのに足音がしない。


「今の光は何だ」


「し、知らない! たぶん静電気!」


「戦場で初めて聞く理屈だな」


 景は胸元を押さえたまま、後ずさる。これ以上寄られたら、本当に見える。


 だが紗那はその場で止まり、じっと景の顔を見た。疑っている。だが問い詰めるより先に、南の林のほうが優先だと判断したらしい。目が一瞬だけ鋭く細まり、すぐ切り替わる。


「景殿。南をどう見る」


「知らないって!」


《再攻撃まで平均二十六分》


「知らない、けど……まだ来る、と思う」


「根拠は」


 最悪の問いだ。


 景は胸元のスマホを押さえたまま、絞り出す。


「勘」


 自分で言っていて終わったと思った。


 だが紗那はむしろ深くうなずいた。


「よい」


「よくない」


「早く届くものがないとき、最後に残るのは勘だ。勘が冴える者は、それだけ多くを見ている」


「見てないんだって」


 周囲の兵たちがざわつく。


「先ほどの読みも当たった……」


「この御仁、もしや」


「紗那様が拾った軍師殿か」


 一人が、はっきりと言い切った。


「この御仁が軍師殿か」


「違う!」


 景は即座に叫んだが、その声はもう遅い。言葉は一度形になると、人の頭の中で勝手に育つ。兵たちの目が変わる。さっきまで泥まみれの怪しい男を見る目だったのが、いまは得体の知れない何かを拝む目になっていた。


 やめてくれ。


 いちばんやめてほしい相手は、いちばん真顔で受け止めていた。


「橋板を一枚外せ」


 紗那が素早く指示を飛ばす。


「水門は半ば閉じろ、閉じ切るな。火の残りを踏み消せ。伝令は二手ではなく四手、同じ道を走るな。南の林には音を立てぬ者を回せ」


「はっ!」


 ばらばらだった兵の動きに、すぐ筋が通る。さっきまで勝ち鬨を上げていた足軽が、一転して駆け始める。戦というのは、勝っても休ませてはくれないらしい。


 景は泥だらけの手を見下ろした。数十分前まで、たぶん缶コーヒーを持っていた手だ。今は田の泥と煤で汚れ、爪の間に黒いものが入り込んでいる。


 逃げるなら今だ、と一瞬思う。


 だが逃げてどうする。どこへ行けば駅がある。どこへ行けばコンビニがある。どこへ行けばこの悪い冗談が終わる。


《単独離脱は非推奨。周辺地理不明。夜間生存率は大幅に低下します》


「うるさい……」


《まず手を洗ってください。感染症対策です》


「そこだけ現代的なんだよ!」


 景の独り言に、紗那が振り返った。


「何か言ったか」


「何でもない」


「そうか」


 紗那は少しだけ景を見て、それから淡々と言った。


「逃げるなら今だ、景殿」


「逃げたら?」


「次の矢で死ぬか、次の評判で捕まるかだ」


「後ろのほうが嫌なんだけど」


「なら来い、軍師殿」


「だから違うって!」


「その違うを、次で証せ」


 紗那は踵を返す。泥を踏んでも、その背は妙に静かだった。細いのに折れそうには見えない。高い声で命じ、冷えた目で戦場を見る。その違和感が、なぜかひどく目に焼きついた。


 景は立ち上がった。泥から足を抜く音が、ずぶりと嫌に大きく響く。


 南の林では、まだ姿の見えぬ敵が風の向こうで動いている。法螺貝が遠くで鳴った。昼とも夜ともつかない鈍い空の下、室町の戦はまだ終わらない。


《第一区画の生存率、上昇中》


 胸元の中で、KM-07 が淡々と告げる。


《あなたの理解不能な判断は、暫定的に有効です》


「褒めるならもう少し人間らしくしろ」


 景は吐き捨て、それでも紗那の背を追った。


 見えない敵。読めない時代。理解できないAI。


 そして、その全部をわかっていると思い込んでいる他人たち。


 室町という場所は、どうやら、何もわからないまま生き残ったやつから先に軍師と呼ばれるらしかった。

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― 新着の感想 ―
作品を読ませていただきました。 室町時代にAIという発想が印象に残り興味深かったです。 文面もとても読みやすく、続きを楽しみにしています。
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