表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/5

第二話 「白星」

 朝の庭へ、黒い霧がゆっくり広がっていく。


「——あら」

 女の声だった。甘く、優しい声なのに、聞いた瞬間ぞくりと背筋が冷える。わたしは思わず朝顔の蔓を握り締めた。


「グローリー、下がれ」

「で、でも」

「早く」


 初めて聞く声だった。静かなだけじゃない、本当に焦っているみたいな声。その時、わたしの目の前で、空気がゆらりと歪んだと思ったら、黒い霧の中から、一人の女が現れた。長い銀髪、夜みたいな黒いドレスに深い紫の瞳。


「まあ--“朝の輝き”本当に朝の花のようだこと。なんて醜い」

 女はわたしを見ると、嬉しそうに目を細めた。その視線にぞくり、とする。逃げなきゃ! そう思うのに、足が動かない。

 

 女はゆっくり近付いてくる。黒いドレスの裾が、朝露の残る石畳をつるりと静かに滑っていた。


「やめろ」

 

 アストラの声が響くけれど、女はただ笑うだけだった。それから、温度のない冷たい指先が、そっとわたしの頬へ触れる。


「っ……!」

「可愛いお姫様、ご機嫌よう。ねえ、星の王子様? そこで指をくわえて見ていなさい」

 紫の瞳が、"見えない誰か"を見つめる。

「魔女! 黙って去れ!」

「フフ……威勢はいいけど、声だけで助けられるの? 何もできない、可愛いアストラ。助けられるなら、やってみなさいな」

 夏なのに、夜みたいに冷たい。

「グローリーに……触るな」

 

 アストラの声は、ぞっとするくらい冷たい。わたしはゴクリと息を呑む。さっきまで、少し不機嫌で変な王子だったのに。今の声はまるで、本当に“夜”そのものみたいだった。


 魔女ーースカビオサは、面白そうに目を細める。

「怖い声! 可哀想なアストラ」

 氷みたいな指先が、 わたしの頬をゆっくり撫でた。

「おまえはこの姫へ、指一本触れられやしない。そう……指一本もね」

「やめろ」

 低い声と同時だった。ぶわり、と夜風みたいなものが吹き抜ける。


「きゃ……!?」


 次の瞬間、わたしの身体が強く後ろへ引かれた。朝顔の花が大きく揺れ、パラパラと、朝露が零れ落ちた。

そして、さっきまでわたしが立っていた場所へ、漆黒の棘のような闇が突き刺さり、石畳がじゅっと音を立てて黒く焦げた。


「……っ」


 誰かが、わたしを庇っている。夜みたいに冷たい気配が、すぐ側にあった。

「グローリー」

 傍らで、アストラの声がする。見えないのに、ちゃんとそこにいると分かった。胸が、どくどくとうるさい。

「あら? ちゃんと守れるじゃない。ずいぶん……精悍になったこと」

 スカビオサは、クスクス笑っていたが、その瞳は、少しも笑っていない。

「でもね、アストラ」

 魔女はゆっくり空を見上げる。

「夜明けはもうすぐよ」


 その言葉に、わたしもはっと空を見上げた。東の空が、少しずつ白く染まり始めている。朝が来る! その瞬間ーーパリン、と目の前で、淡い光が弾けた。


「……え?」

 呼吸が止まる。光は、わたしのすぐ傍らの花から落ちていた。

「アストラ……?」

「見るな」

 即座に返ってきた声は、苦しそうに掠れていた。


「朝が、来る……」

 苦しそうな声だった。花弁は、ぱらぱらと硝子の欠片のように散っていく。わたしは思わず花へ手を伸ばした。

「アストラ!」

「……だめよ! 消えないで」


 その瞬間、くすりと魔女が笑った。

「星の王子様は……悪い魔女から姫を守ったナイトってわけね」


 スカビオサは、夜明け前の空を見上げる。

「朝は、星を壊してしまう」

 東の空が、さらに白く染まっていく。それに合わせるように、アストラの気配が少しずつ薄くなっていた。


「いや……!」


 胸が苦しい。今日会ったばかりなのに。顔も見えていないのに。どうしてこんなに苦しいのか、わたしには分からなかった。


「グローリー」


 アストラが小さくわたしの名前を呼ぶ。その声は、もう随分遠かった。

「泣くな」

「でも……!」

「俺は平気だから」


「さあ、おやすみの時間よ、アストラ」

 魔女の視線の先には、朝顔の隣の白い星みたいな花。アストランティアが、ふわりと浮かび上がる。スカビオサは、面白そうに目を細める。


「これが“星の花”」

 細い指先が、花弁へゆっくり伸びた。

「やめて!」

 わたしは思わず叫ぶ。

「触るな!!」

 同時に、アストラの声が鋭く響いた。けれど、魔女は嗤う。

「ああ、困っているのね。これがなきゃ、楽しいお話もできなくなるから。可愛いグローリー、可愛いアストラ」

 黒い指先が、白い花弁へ触れた瞬間。

「……っ」


 星の花弁が、一枚ずつ黒く染まっていく。光が静かに消えていった。

「いや……」

 わたしは震える声を漏らす。見えないのに、アストラが傷付いていることだけは分かった。

「これでいいのよ」

 スカビオサは、萎れていく花を見つめながら静かに笑う。

「可愛いグローリー」

 黒い指先が、そっとわたしの頬へ触れた。

「夜へ近付くのはおよしなさい」


 ぽたり。気付けば、わあたしの頬から涙が零れ落ちていた。

「だい……じょうぶだ……」

 

 嘘だ。苦しそうなのに! 声が掠れているじゃない! 

わたしはぎゅっと唇を噛む。東の空は、もうほとんど白かった。夜が終わる。アストラの気配も、少しずつ遠くなっていく。


「……っ」

 

 わたしはぎゅっと唇を噛んだ。スカビオサは、萎れていくアストランティアへ最後に視線を落とす。

「可哀想な星の王子様。朝へ手を伸ばしたばかりに、傷付いてしまったのね」

 それから、魔女はわたしへ優しく微笑んだ。

「忘れてしまいなさい。それが互いの幸せよ」

 黒い霧が、足元からゆっくり広がる。


「また会いましょう」


 最後に、甲高い笑い声だけを残してスカビオサの姿は、朝の庭から静かに消えていった。

涙がいくつも頬を伝って流れていく。雫が、ポタリと枯れたアストランティア の花弁へ落ちた。すると、黒く染まっていた花弁が、キラリと淡く光る。


「……え?」

 驚いて目を瞬いた。淡い光が、花の中で静かに揺れている。けれど、それは一瞬だった。

光はすぐ消え、アストランティアは再び静かに萎れてしまう。


 それでも、次の日も、また次の日も、グローリーは、侍女の目を盗み、朝の庭へ通い続けた。朝露の残る時間。白い朝顔の咲く庭で、枯れた花へそっと触れる。


「おはよう、アストラ」

 返事はない。夜の王子は、あの日以来現れなかった。それでも、毎朝明るく話しかけた。


「今日は少し暑いですね」

「朝顔がいっぱい咲きました」

「星をわたしも、見てみたいです」


 話しながら、気付けば涙が零れる。その雫が、アストランティアの花へ落ちるたび、花はきらきらと輝いた。

 

 そしてーー数日後。

黒く染まっていた花弁は、少しずつ白を取り戻し始めた。淡い光も、前より長く残るようになっていた。

「……戻ってる!」

 わたしは嬉しくて、花に触れる。

「よかった……」

 朝風が吹きぬけ、白く戻った花弁が、しゃらりと揺れた。


 ある朝、いつものように庭へ出ると、そこで足を止める。朝顔の隣には、元の姿を取り戻したアストランティアが、朝露を纏いながら静かに咲いていた。そして……。


「……泣きすぎ」

 不意に、聞き慣れた低い声が落ちた。ぱっと顔を上げて辺りを見回すけれど、 やっぱり姿は見えない。

「アストラなの!?」

 嬉しさで声が裏返る。

「……うるさい」

 でもその声は、少し笑っているみたいだった。ふわりとアストランティアを手のひらで包む。

「よかった……! もう会えないのかと……」

「……平気だって言っただろ」

 即座に返ってくるその声が、 前より少し近く感じた。

「おまえが毎朝泣くから」

「え? アストラ……もしかして、聞こえて?」


 グローリーがきょとんと瞬きをする。夏風が朝顔とアストランティアを同時に揺らす。

「……おまえの涙、呪いを弱くするみたいだ」

 グローリーは目を丸くした。

「ええっ!?」

「大声出すな」

「だ、だって……!」


 胸がどくどくとうるさい。わたしの涙が? 魔女の呪いを? 信じられなかった。けれど、白く戻ったアストランティアは、朝露を受けながら静かに輝いている。

「……変な姫」

 アストラが小さく呟く。

「泣いてるだけで呪いを消すとか、 聞いたことがない」

「わ、わたしだって知りません!」


 思わず言い返すと、見えない夜の向こうで、小さく笑う気配がした。

「けど……助かった」


 それから、グローリーは毎朝、庭へ通うようになった。朝露の残る時間。夜明けが終わる前の、ほんの短い時間だけ。それでも、アストラと話す時間はかけがえのないものになっていた。

「今日は雲が少ないです」

「そうか」

「夜の空も綺麗でした?」

 アストラが静かに答える。

「星が多かったよ」

「いいなあ……」


 羨ましくて、空を見上げる。朝の空には、もう星は残っていない。

「空には、天の川がある」

「侍女から聞いたことがあります。なんでも夏が一番綺麗に見えるのだとか」

 

 毎朝。二人は、花を挟んで話をした。わたしは朝の話を。朝焼けの色や雨上がりの匂い、朝露の冷たさ。

 アストラは夜の話を。月明かり、星祭り、夜風、深夜の静かな城。そして時々、魔女スカビオサのこと。

「夜は怖くないのですか?」

 ある朝、ふと尋ねると、アストラは少し黙った。


「……昔は。でも今はーーそうでもない」

 

なんだか胸が、どくりと跳ねた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ