第三話 対話
浩太はまだ父の死が受け入れられなかった。
小学三年生の子供にとっては当然のことだ。
お葬式には出たけれど、お父さんは今までもたまに行っていた“出張”という所に行っているだけで、僕が寂しいのを我慢していたらきっと帰ってくる、いっぱい時間がかかってもきっと帰って来てくれると、そう思うことにしていた。
ある晩、浩太は仏間にある父の写真に向き合っていた。
ここにこうしていると少し寂しさが薄れる。
「お父さん、」
何となく声を掛けてみた。
「なんだ、浩太。」
斜め後ろからお父さんの声がした。間違いない。
浩太は慌てて振り返るが、もちろんそこに父の姿はない。
「浩太、お父さんのこと見えないか?」
また聞こえた。姿は見えないけれどお父さんはそこにいる。
「お父さん、そこにいるの?出張から帰って来たの?」
どうかそこにお父さんがいますように。すがるような気持ちで浩太は聞いた。
「ああ、浩太待たせたな。お父さんやっと出張から帰って来たよ。」
「お父さん、僕ずっと、ずっと待ってたんだよ。お父さんがいなくて寂しかったけど我慢してたんだよ。お父さんに会いたかったんだよ。」
父が亡くなってからずっと言えなかった言葉。浩太は家族の空気を読み、これ以上困らせてはいけないと言いたいことを我慢していた。浩太はやっと胸の内を声に出すと、大きな声を上げて泣いた。
「そうか、浩太。ずっと寂しい思いをさせて悪かったな。お父さんは見えないかもしれないけど、いつもここにいるからな。ここにいるから。」
「お父さん、もういなくならない?」
「もう、いなくならないよ。ここで会えるからな。」
「明日も。」
「明日もだ。」
それを聞くと、浩太は一目散におばあちゃんのところに走った。
「おばあちゃん、お父さんが出張から帰って来たよ。やっと帰って来たんだよ。」
そう言うとおばあちゃんに抱き着き、しゃくりあげながら泣いた。
父親の声が聞こえたと言って孫の浩太が泣いている。
そんなことがあるのか。まだ涙が止まらない浩太と一緒にきよは恐る恐る仏間に入った。
「お父さん、」
浩太が声を掛ける。が、何も聞こえない。
浩太は絶望的な顔をしてきよの顔を見る。
「お父さん、ここにいるって言ったのに」
そう言って、また大きな声で泣きだした。
浩太は父が亡くなってから、こんなに泣いたことがなかった。子供ながらにずっと我慢していたんだろうときよは浩太を抱きしめた。
静江は何とか仕事を見つけ、フルタイムとなって働きだした。
若くない自分は物覚えも悪くなっていて、毎日が不安と緊張の連続だ。しかし仕事に集中していれば、その間だけは賢二のことを忘れている。こうやって少しずつ心が慣れてゆくのだろう。
残業もあって、家に帰るのはいつも8時を過ぎる。
玄関を入ると浩太が走って来た。
「お母さん、僕今日お父さんと話した。」
そう言って、めずらしく静江に抱き着いた。
静江が一人夕飯を食べる間、浩太は隣に座って今日あったことを話して聞かせた。
「お母さん、本当に僕お父さんと話したんだよ。お父さん出張から帰って来たって言ってたんだから。」
「そう。」
そんなことがあるわけがないと思ったが、浩太が嬉しそうなのをみると否定するのもかわいそうに思い、頷いて話を聞いた。
静江が風呂から上がると、家族は寝静まっていた。
浩太の話を思い出し、静江は仏間に行ってみた。
そんなことあるわけがないと思いつつ、
「お父さん、」
と声を掛けてみた。自分は何をしているんだろうと苦笑いをした時、後ろから声が聞こえた。
「静江。」
それはまぎれもない賢二の声だった。
静江は慌てて振り返る。だがそこにもちろん賢二の姿はない。
「静江にも、見えないか。」
また声が聞こえた。
「賢二さんなの?」
「ああ、そうだよ。静江。」
懐かしい、夫の声だ。胸にこみ上げるものを感じ、心臓が高鳴る。同時に涙がこぼれた。
「お父さん、お父さん、」
そう言って静江は泣き崩れそうになったが、ふと今のうちに話さなければ、泣いている場合ではないと気が付いた。
「お父さん、浩太と話をしたの?」
「ああ、話したよ。浩太にもかわいそうな思いをさせてしまって。」
賢二が声をつまらせている。
「その後、おばあちゃんとここに来たら、あなたの声が聞こえなかったって言ってたわ。」
「俺にもわからないが、もしかしたら一人ずつしか話せないのかもしれないな。」
それなら、今話が出来ていることも納得できる。
「これからは、ここでいつも話ができるの?」
静江が一番聞きたいことだ。
「たぶん大丈夫だ。俺はいつもここにいるから。」
賢ニの声がそう言い、静江の胸にあったつかえが少し軽くなったような気がした。
次の日、仕事から帰って来た静江は家族を居間に集めた。
「昨日の夜、実は私もお父さんと話をしたんです。」
「やっぱりね。」
浩太は大きな声で嬉しそうに言った。
「夢での話じゃないよね?」
真理子は信じられないらしい。
そうだろう。話している静江でさえまだ実感がない。
「じゃあ、どうして私と浩太が話したときはダメだったんだ?」
おばあちゃんがいぶかしがる。
「はっきりはわからないけど、もしかしたら一人でないと話ができないかもしれないと、お父さんが言っていました。」
「じゃあ、私、今から一人で仏間に行ってくる。」
そう言って真理子が居間を出て行った。
そしてしばらくすると、泣きながら戻って来た。
「お父さんに会えた。お父さん、ちゃんといたよ。」
そう言うと手で顔をおおい、うれし涙を流した。
それから順番におばあちゃん、おじいちゃんも仏間に入った。
みんな一人ずつ、お父さんと話すことができた。
姿は見えないが声が聞こえる。
家族はそこに賢二がいることを感じ、嬉しくてみんなで泣いた。
お父さんの姿は見えないけれど、お父さんの心はそこにいてちゃんと家族を見守っている。
そうわかったことで、どれだけ残された家族の心が満たされ強くなれたことか。
賢二はこれからもこの家で家族を見守り続ける。




