第四話 家庭教師
「おばあちゃん、真理子も中学二年生になるから勉強のことも心配で。今度家庭教師を頼もうと思っているんです。」
真理子が自分で行ける範囲に塾はなく、車で送り迎えするのはフルタイムで働く静江には難しいことだった。
「家庭教師なら、先生が来てくれるから送り迎えの必要がないし。ただ、そうなるとおばあちゃんに何かと手伝ってもらわないといけないんだけど…。」
子どもたちの事では何かと祖父母の力を借りていた。
帰りの遅い静江に代わって、おばあちゃんは毎日夕食を作り、子供たちの学校の話を聞いたりしながら食べさせてくれていた。夏休みも祖父母がいてくれるおかげで静江はいつも通りに仕事ができた。子供が学校で具合が悪くなった時は、おじいちゃんが車を運転しおばあちゃんと二人で迎えに行ってくれた。この優しい祖父母のおかげでどれだけ助かっているかわからない。
家庭教師を頼めば、先生へのお茶出しなどさらにおばあちゃんに負担をかけることになる。真理子のために家庭教師を頼みたいが、同時におばあちゃんの負担を増やしてしまい申し訳ないと静江は思っている。
「私のことは大丈夫だよ、静江さん。家庭教師の先生が来てくれるならそれは助かるね。」
おばあちゃんはそう言って、快く家庭教師の一件を受け入れてくれた。
「どんな先生が来るのかな?」
浩太がテレビを見ながら嬉しそうに言う。
「浩太の先生じゃないんだから、私の先生なんだからね。」
そう言いながら、真理子も楽しみにしているようだ。
初めて家庭教師の先生が来る日になった。
「おばあちゃん、ちょっと緊張するな。厳しい先生だったらどうしよう。」
大学生の女の先生とわかっているが、真理子は心配なようだ。
「心配しなくても大丈夫だよ。きっと優しい良い先生が来てくれるよ。」
そう言っておばあちゃんは真理子の背中を優しく撫でる。
「きっと、怖い先生だよ。ぼくわかるもん。」
真理子の様子を見ながら、浩太がニコニコして冗談を言った。
「浩太、」
真理子に追いかけられ、浩太がにぎやかに逃げ回る。
「こんばんは。」
玄関から女の人の声がした。
「はーい。」
おばあちゃんが玄関へ出迎えに行く。
ジーンズに青のパーカー、リュックを背負いポニーテール姿の学生が立っていた。
「はじめまして。家庭教師センターから紹介いただきました、桜井恵子と申します。」
そう言って、家庭教師の先生は丁寧に頭を下げた。
人は話をするとその人の雰囲気が伝わる。桜井恵子は穏やかで優しそうな印象だ。
「まあまあ、先生ようこそおいで下さいました。真理子の祖母です。宜しくお願い致します。さあ、まりちゃんもご挨拶して。」
そう言っておばあちゃんは真理子を促した。
「東真理子です。宜しくお願いします。」
そう言って真理子はペコリと頭を下げた。
勉強する部屋はこちらですと言って、真理子が先に立って二人は階段を上って行った。
1時間半もすると勉強が終わり、先生と真理子が階段を降りてきた。
それを聞きつけて、おばあちゃんが玄関で待つ。
「先生、今日はお世話になりました。」
「こちらこそお世話になりました。今日は初日でしたので、全体的に真理子ちゃんの学習状況を確認しました。真理子ちゃんは理解力も高いですし、日ごろからきちんと復習しているようですね。次回から学校の授業の進度を確認しながら苦手なところのサポートをしていきます。」
丁寧な説明におばあちゃんは良い先生でよかったと安心した。
「先生、どうぞこれからも宜しくお願いします。気を付けてお帰り下さい。」
おばあちゃんと真理子に見送られ、先生は東家を後にした。
「おばあちゃん、先生すごく優しかったし、勉強もわかりやすかった。」
緊張が解けたようで、真理子は家庭教師がどんな様子だったかをおばあちゃんに詳しく話して聞かせた。
「なんだ、怖い先生じゃなかったのか。残念。」
と、浩太はまた真理子をからかっている。
家庭教師の回数が増えるにつれ、先生の人柄もだんだんとわかってくる。
いつも時間の10分前には東家を訪れ、時間のだいたい10分後に帰っていく。時間をきちんと守ることは信頼されることの第一条件だ。
勉強の教え方も丁寧で、理解しにくいところは何度も、時にはパターンを変えて説明してくれる。
真理子は先生のことをとても好きになり、先生は東家に溶け込んでいった。
ある晩のこと、真理子は仏間にいた。
「お父さん、」
真理子は度々この仏間に来ては、父の賢二と言葉を交わす。
「真理子、受験も近づいてきたな。どうだ調子は。」
「調子悪くないよ。最後のテストも点数採れたし、この調子なら大丈夫だよ。」
真理子は賢二の写真に向かいながら話す。
「そうか。真理子頑張っているもんな。そうだ、言っておかなけらばならないことがあるんだ。」
「何?お父さん。」
賢二はちょっと間をおいて話し出した。
「最後の家庭教師の先生が来る日、先生をしばらく引き留めてほしいんだ。」
「先生を引き留める?」
父が意外なことを言うので、真理子は少し驚いた。
「そうだ、いつもの家庭教師が終わる時間には先生を帰してはだめだ。そこから30分くらい後に帰るようにすればいい。」
「どうして?」
どうしてそんなことをするのか、真理子は不思議に思った。
「理由は言えないんだが、絶対にそうしないといけないんだ。後でおばあちゃんにも話そう。」
いつになく真剣な父の話ぶりだった。
おばあちゃんとお母さんが相談し、家庭教師最後の日には先生にケーキを食べていってもらうことにした。そうすれば自然と帰りが30分程度遅くなるだろうという作戦だ。
最後の日、
「先生、ケーキを用意したのでどうぞ食べて行ってください。」
おばあちゃんがそう言うと、先生は気を遣って遠慮をした。
しかし、賢二がああ言った以上何としても引き留めなければならない。おばあちゃんと真理子はしつこくケーキを食べて行ってくれと誘い、何とか先生を引き留めることができた。
そして30分が過ぎた頃、先生は帰っていった。
途中、浩太が“だってお父さんが帰しちゃいけないって言ってた。”なんて余計なことを言ってしまい、焦る場面があったが何とか父からの言いつけは達成できた。
「おばあちゃん、でもどうして先生をいつもの時間に帰してはだめだったんだろうね?」
真理子は疑問に思っていたことを言ってみた。
「そうだよね。お父さんはおばあちゃんにも理由を言わなかったよ。」
おばあちゃんにもわからないようだ。
まあ、先生もケーキを美味しいと喜んで食べてくれたので、良かったねとその日は終わった。
次の日の朝、テレビのニュースを見ていると昨夜この町で起こった事故のことが報道されていた。
「昨夜午後八時四十分頃、交差点で信号無視の車が直進車と衝突し、 直進車の女性一名が死亡しました」
「まりちゃん、これ」
おばあちゃんが気が付き、真理子に声を掛けた。
午後八時四十分。先生がいつも通りに帰れば、ちょうどその時間に事故現場を通る時間だ。
お父さんはこのことを知っていたから、先生を帰す時間を30分遅らせるように言ったんだ。そういうことだったのかと、真理子とおばあちゃんはやっとわかった。
同時に何も知らずに先生がもし事故に合っていたらと思うと、背中がゾクゾクした。
毎週遠いところを通ってきて、親切に勉強を教えてくれた優しい先生。
賢二もそんな先生を不幸な目に合わせるわけにはいかないと思ったのだろう。
先生が無事でよかったと、おばあちゃんと真理子は胸を撫でおろした。
その後真理子が無事高校に合格すると、先生はお祝いを持って家に来てくれた。
「真理子ちゃん、合格おめでとう。」
そう言って、何やらお祝いの品を渡してくれた。
開けてみるとそれは胸に小さな刺繍のついた紺色のカーディガンだった。
「高校生は寒い時制服の下にカーディガンを着るようなので。良かったら高校で来てね。真理子ちゃん。」
先生はいつものように優しく、そう言った。
先生の真理子を思いやる気持ちが伝わり、真理子も家族も皆心が温かくなった。
「先生、長い間ありがとうごあいました。先生のおかげで高校も合格できました。」
先生にもう会えなくなって寂しい、という言葉を真理子は飲み込んだ。
「先生、遠いところを毎週来てもらって本当にありがとうございました。」
おばあちゃんも深々と頭を下げた。
東家の皆も家庭教師の恵子も、晴れ晴れとした気持ちと、もう会えないという寂しさの両方を感じながら別れを告げ、恵子は車に乗ると東家を去っていった。
その時、どこからともなく賢二の声が聞こえてきた。
「また来てやってください。いつでも歓迎ですよ。」
「お父さんだ。」
真理子がつぶやいた。
「先生に聞こえたかな?」
おばあちゃんが頷く。
「きっと聞こえているよ。」
「これで、先生また来てくれるね。」
浩太がニコニコしながら言った。
「そうだね。そうだよね、お父さん。」
真理子が空に向かって叫んだ。




