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第3章 南門

弥生十三日の朝、南門の前には霧が出ていた。


川から上がってくる霧だ。春先の南門は、たいていこうなる。荷車の轍の水たまりが白く光って、門の向こうの南街道は、三十歩先から先が見えなかった。


フィンは、前の組合長の縄を持って、門の内側に立っていた。もう一人の隊員が反対側に立っている。門の番は、若い隊員のトマスだった。頬にまだ産毛が残っていて、鎖を握る手に息を吹きかけていた。


前の組合長は、古い外套を一枚だけ着ていた。差し押さえで、ほかには何も残らなかった。荷は、麻袋が一つ。中身は、牢番が見た。替えの下着と、黒パンが二つ。


「六つ、鳴るっすよ」とトマスが言った。


大聖堂の鐘が鳴り始めた。一つ、二つ。トマスが鎖を引いた。門が、軋みながら開いた。霧が、門の内側へ少し流れ込んできた。


フィンは縄を解いた。


「行け」


前の組合長は、麻袋を肩にかけて、歩き出した。底の厚い靴が、濡れた石畳で一度すべった。


門の下をくぐったところで、前の組合長は振り返った。


一度だけ、城壁と、その上の灰色の空と、霧の中の街を見た。それから、南街道のほうへ向き直った。


誰も、振り向くなとは言わなかった。


フィンは、去年の霜月の朝を思い出していた。北門で、隊長が言った。「振り向くな。振り向いたら、戻ってくる気だと見なす」。あの灰色は、一度も振り向かなかった。北門から出された亜人が、次の春に戻ってきたという話を、フィンは聞いたことがない。


南門から出される人間には、誰も何も言わない。南街道を三日行けば、川港の町がある。


*


鐘が、まだ鳴っていた。


広場のほうから、足音が一つ近づいてきた。小走りの、軽い足音だった。


イゾルデだった。


古い灰色の外套に、麻紐で十字に縛った紙の束を抱えている。荷はそれだけだった。息が上がっていた。裁きのあと、どこで夜を明かしたのかは知らない。


イゾルデは、門の番にも、フィンにも、目もくれなかった。開いた門の下を、そのまま通り抜けた。霧の中の、叔父の背中のほうへ。


「止めなくていいんすか」とトマスが言った。


「放免だ」とフィンは言った。「どこへ行こうと勝手だ」


イゾルデは、叔父の十歩うしろを歩いていった。追いつこうとはしなかった。叔父も、待とうとはしなかった。背の丸い影と、紙の束を抱いた細い影が、少しずつ霧に溶けていった。


イゾルデは、一度も振り返らなかった。


鐘が、六つで鳴りやんだ。


*


昼すぎ、フィンは引き渡し状を持って、冒険者組合へ行った。


一階の酒場は、昼の客がまばらだった。梁に、去年の焦げが一か所残っている。カウンターの奥で、酒場番のマスターが杯を拭いていた。


組合長のエーリカは、二階から下りてきて、隅の卓で参事会の頼みの書面を読んだ。右の足を伸ばして座り、字を指でたどる。たどる速さが、ずいぶん速かった。


「白塔まで、囚人の護送。往きが八日、帰りが七日ほど。冒険者を三人」エーリカは顔を上げた。「報酬は金貨十二枚。前払いが六枚、受け取りの印と引き換えに残り六枚。印がなければ、半分しか出ません。舟賃と宿賃は参事会持ちで、財布はフィンさんが預かる」


「安いです」とフィンは言った。「すみません」


「フィンさんが謝ることではありません」


エーリカは、組合の依頼書に羽根ペンで書き写し、署名した。


いちばん先に手を上げたのは、カウンターで昼から麦酒を飲んでいたダリオだった。


「俺が行く。あの賢者には、髭の貸しがある」


「髭の貸しで、白塔まで十五日ですか」とマスターが言った。


「十五日あれば、髭も伸びる」


次に、隣の卓で銅貨を数えていた麦藁色の髪の娘が、顔を上げた。新人の魔法使いのリナだ。父親のお下がりの杖を、椅子の背に立てかけている。


「三人で十二枚? 一人四枚? 十五日で?」リナは指を折った。「安い!」


「行かないんですか」とエーリカが訊いた。


「行く。賢者の術、近くで見たいし」リナは杖を握りしめた。「でも、安い」


三人目は、窓から入ってきた。


黒い羽の鴉人、ケスだ。組合に雇われているわけではないが、組合の屋根の上が好きで、たいていそこにいる。窓枠にしゃがんだまま、首をかしげた。


「白塔は、高いのか」


「山の上だそうです」とマスターが言った。


「なら、行く」


ケスは嘘をつけない。行くと言えば、行く。


*


午後のなかばに、手燭を持った若い修道士が、組合の戸口に立った。


「テオです。立会いです。よろしくお願いします」テオは深く頭を下げた。手燭の火が揺れた。「先に申し上げておきます。僕は旅をしたことがありません。剣も持てません。癒しの術は使えますが、上手ではありません。それから、嘘をつきません」


ダリオが、麦酒の杯を置いた。


「最後のは、知ってる」


「念のためです」


リナが笑った。テオも、なぜ笑われたのか分からないまま、つられて笑った。


その少しあとに、白い法衣の二人が来た。


メルヒオルは戸口で手袋を外さずに会釈し、一行の顔を一人ずつ見た。ダリオ、リナ、窓枠のケス、テオ、フィン。見るというより、数えているようだった。イルザが、手帳に何かを書いた。


「道中、よろしくお願いいたします」とメルヒオルは言った。声は、裁きの間と同じに小さかった。「ネーベルでは、どちらに宿を」


「川港の、舟着き場に近い宿を取るつもりです」とフィンは言った。


「それはよい」メルヒオルはうなずいた。「囚人の手は、道中もずっと縛ったままで?」


「牢番の決まりです」


「それもよい」


二人が出ていったあと、ケスが窓枠から言った。


「白い服の爺さんは、この店に入る前に、屋根の上の俺を見た。それから、窓の数を数えた」


「どうして分かる」とフィンは訊いた。


「指が動いた。七つ」


誰も、それ以上は訊かなかった。


*


夕方、店を出るとき、マスターがカウンターの下から包みを一つずつ出した。固く焼いた黒パンと、干し肉と、塩を包んだ紙。


「川の上は、冷えるそうですよ」とマスターは言った。


テオが、自分の分の包みを両手で受け取って、困った顔をした。


「僕は、代金を持っていません」


「旅の初めの分は、代金を取らないことにしています」


「それは、本当ですか」


「今日から、本当です」


ダリオが「俺のときは取ったぞ」と言った。マスターは杯を拭いていた。


フィンは、懐の引き渡し状に手を当てた。裁き役の印が、紙の上で固くなっていた。


明朝六つ。同じ南門から。


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