第2章 白い法衣
白い法衣の男は、囚人の席に立っても、祈りの形を崩さなかった。崩せないのだ。革紐は手首から指の根もとまで、きっちり巻いてある。
「エルノ・ファルク」とアルブレヒトが言った。
エルノは、細い指の先をわずかに動かした。四か月、牢でもずっとそうだった。指だけが落ち着かない男だった。
書記が、組合の登録簿を開いて読み上げた。
「『エルノ・ファルク 職 賢者 白塔出 登録 三一二年神無月十日 推挙 バルタザール・グロック』」
傍聴の席が、少しざわついた。白塔の賢者。去年の霜月の噂は下町じゅうに流れたが、名前と職を読み上げられるのは、これが初めてだった。
「お前は、灯火教会の神官を名乗ったな」
「はい」とエルノは言った。小さな、礼儀正しい声だった。
「証を」
*
修道女のアガタが、白い手袋の指を組んで立った。
「灯の前に偽りは申しません」とアガタは言った。それから、裁き役ではなく、エルノの顔を見た。「この方は去年の霜月の夜、わたしに、下町の小さな礼拝所の勤めだとおっしゃいました。あとで、大聖堂の名簿を改めました。灯火教会に、エルノ・ファルクという名の者はおりません」
「礼拝所は」
「下町の路地の奥に、灯を掲げた一間がございました。病人が来ると、祈りと癒しをして、銅貨を受け取っていたそうです。癒しは本物だったと、通った者たちは申しております。ですが、灯火教会のものではございません」
アガタはそこで言葉を切った。訊かれたことには答える。訊かれていないことは言わない。
書記が、隊の押さえた品の目録を読み上げた。
「下町の一間より。白い法衣の替え、一。祈りの文句を書き写した紙、十二枚。銅貨の入った壺、一。灯台一つ、油壺つき。以上は詰所の証の棚に置く」
エルノの指が、一度だけ止まった。すぐにまた動き出した。フィンは、それを見ていたが、気にとめなかった。
*
「もう一つの罪。隊の前で、攻めの術を放った」
ダリオが、呼ばれる前に立ち上がった。
「俺だ。俺の肩をかすめて、梁に当たった。髭が焦げた」ダリオは顎を突き出して、縮れた髭の端を見せた。「見ろ、まだ戻らねえ」
傍聴の席が笑った。
「そのとき、お前は飲んでいたか」とアルブレヒトが訊いた。
「七杯目だ」ダリオは胸を張った。「だが、髭は嘘をつかねえ」
笑いが大きくなった。アルブレヒトは笑わなかったが、書記に「書け」と言った。焦げた梁と、焦げた髭のことは、帳面に載った。
「罪は二つ」とアルブレヒトは言った。「聖職を騙った罪と、隊の前で攻めの術を放った罪。偽りの証言は、隊が来る前の酒場でのことで、隊の前では黙っていた。それは問わない」
*
参事たちの席の端で、一人が手を上げた。大聖堂の代理として席を持っている参事だった。
「聖職を騙った罪は、灯の前の罪です。灯火教会が裁くのが筋でしょう」
アルブレヒトが何か言う前に、傍聴の席の後ろで、白い法衣の二人のうちの一人が立った。
六十がらみの、痩せた男だった。白い手袋をしている。声が小さかった。小さいのに、裁きの間の隅々まで届いた。届くように、話し慣れている声だった。
「白塔より参りました。メルヒオルと申します。こちらは書記役のイルザ」
もう一人が、軽く頭を下げた。三十代の終わりの女だった。手帳と、小さな算盤を胸に抱えている。
メルヒオルは、封蝋のついた書状を広げた。
「『白塔の者の罪は、白塔の掟によって裁く。灰壁暦百年の約定による』。古い約束でございます。お手元の記録にもあるかと」
イルザが書状の写しを書記に渡した。書記は壁ぎわの棚の前でしばらく迷ってから、いちばん上の段の古い綴りに手を伸ばした。背伸びをしても届かず、踏み台を探し、踏み台がなく、結局、牢番の肩を借りた。綴りを引き抜いた拍子に、百年分の埃が裁きの間に降った。いちばん前の席で、ダリオが盛大にくしゃみをした。
書記は黄ばんだ頁を指でたどり、しばらくして、うなずいた。
「ございます。灰壁暦百年、白塔と市の約定。『白塔の者の罪は、白塔の掟によって裁く』」
アルブレヒトは、ため息を一つついた。百年前の誰かが決めたことを、百年後の自分が守る。裁き役というのは、たいていそういう仕事だ。
フィンは、そのとき、囚人の顔を見ていた。
エルノの顔から、血の気が引いていくところだった。唇まで白くなった。祈りの形の指が、ぴたりと止まって、もう動かなかった。
助けに来た身内を見る顔ではなかった。
メルヒオルは、囚人のほうを見て、ほんの少しだけ目を細めた。笑ったのかもしれなかった。イルザは、囚人のほうを一度も見なかった。手帳に何かを書きつけていた。
フィンは、それを去年の霜月にも見た覚えがあった。どこで見たのかは、すぐには思い出せなかった。
*
アルブレヒトは、書状の写しと、大聖堂の代理と、白い法衣の二人を、順に見た。
「約定は約定だ。この者は白塔へ引き渡す。ただし、灯火教会の立会いをつける。立会いの者は白塔の裁きに立ち会い、大聖堂に報告せよ。白塔の受け取りの印をもらって戻ること。それで、両方の顔が立つ」
大聖堂の代理は、渋い顔で腰を下ろした。メルヒオルは、深く頭を下げた。
「立会いの者は」
アガタが、もう一度立った。
「テオを。わたしの手習い所で、いちばん嘘の下手な子でした」
傍聴の席のいちばん後ろで、若い修道士が一人、跳ねるように立ち上がった。二十を少し過ぎたくらいだ。手に小さな手燭を持っていて、立ち上がった拍子に火が揺れた。
「は、はい。テオです。行きます。怖いですが、行きます」
誰かが噴き出した。修道士は、自分が何を言ったのか分かっていない顔で、手燭の火を手のひらでかばった。
「護送は」とアルブレヒトは参事たちの席を見た。「隊から出せ」
勘定方の参事が、毛皮の襟の上から、低い声で言った。
「隊の予算は、春の議で削ったばかりでしてな。一人分なら」
治安方の参事が、腕を組んだまま「一人だ」と言った。
隊長が、一歩前に出た。
「フィン。お前が行け。字が書ける。北へも行った。予算は一人分だ」
「はい、隊長」
「残りは組合に頼め。安くな」
エーリカが、傍聴の席でうなずいた。それから登録簿を開いて、三本目の線を引いた。エルノ・ファルクの名の上に。
*
裁き役の印が捺された引き渡し状を、フィンは懐の内側にしまった。紙一枚が、ずいぶん重かった。
牢へ戻る廊下は、石の壁が冷たかった。牢番が前を歩き、フィンが後ろからエルノの縄を持った。エルノの顔には、まだ血の気が戻っていなかった。
角を曲がったところで、エルノが小さな声で言った。
「隊の方。一つ、伺ってもよろしいですか」
「なんだ」
「押さえられた私の灯は、どこに置かれるのですか」
フィンは、少し呆れた。白塔へ連れていかれる男が、心配するのがそれか。
「詰所の棚だ。証の品だからな。裁きが済めば、隊の物になる」
「そうですか」とエルノは言った。「ありがとうございます」
祈りの形の指が、また少しだけ動き出した。偽の神官が、自分の灯に未練を残している。フィンはそう思って、それきり忘れた。




