第1章 裁きの日
本作はシリーズものです。第一作「夜啼きの涙」からお読みいただけますとよりいっそうお楽しみいただけます。
第一作『夜啼きの涙』:https://ncode.syosetu.com/n2595mv/
弥生十二日、昼の鐘が鳴り終わるころ、フィンは詰所の牢から四人の囚人を引き出した。
春の議が二日前に終わって、市参事会館の裁きの間が、やっと空いたのだ。囚人たちは去年の霜月から、この日を待っていた。待たされたのは囚人だけではない。牢の食い扶持は年に金貨七十枚と決まっていて、四人分の麦粥は、隊の帳場の頭痛の種だった。
四人は、縄で一列につながれて広場を渡った。
先頭は、前の組合長のバルタザール・グロック。四か月の牢で、腹がひと回り小さくなっていた。底の厚い靴だけは、去年と同じ音を立てた。その後ろに盗賊のニコ。それから、前の組合長の姪で魔法使いのイゾルデ。紙の束を麻紐で十字に縛って、胸に抱えている。牢で毎日、紙をくれと言うので、牢番が根負けして古い帳面の裏紙をやったのだ。
最後が、白い法衣の男だった。
エルノ・ファルク。両の掌を胸の前で合わせ、手首から指の根もとまで、革紐で巻かれている。賢者の術は手から出る。だから牢では、賢者の囚人をこう縛る決まりになっている。遠目には、祈っているようにしか見えない。
神官を騙った男が、祈りの形で歩いていく。広場の物売りが、それを見て胸に灯の印を描きかけ、途中でやめた。
*
裁きの間は、思っていたより狭かった。
正面の高い席に、裁き役のアルブレヒト。七十近い、乾いた紙のような老人だ。その左右に、参事たちの席が半円に並んでいる。春の議のあとで、十二の席は全部埋まっていた。フィンは、勘定方の参事の顔を知っていた。灰色の毛皮の襟。如月に、隊の帳場へ監査役を送り込んできた男だ。治安方の参事は、首の太い体を椅子に押し込んで、腕を組んでいた。
訴える側の席には、ロズモンド館の執事ヘルマンが一人で座っていた。夫人は来ていない。
囚人の席の後ろに、隊長のマグダが立った。灰色の外套の喉元で、鉄の留め金が二つ光っている。勤めの日の隊長だった。
傍聴の席は、半分ほど埋まっていた。下町の顔が多い。剣士のダリオが、いちばん前で腕を組んでいた。髭の端が、まだ少し縮れている。
その少し後ろに、見慣れない白い法衣が二人、座っていた。
フィンは目をやって、すぐに前へ戻した。白い法衣なら、去年の霜月に見飽きた。
*
「始める」とアルブレヒトが言った。声は小さいのに、壁まで届いた。
最初に、隊長が去年の霜月の夜のことを報告した。短かった。
「前の組合長は、自分の字で灰狼一名の依頼を出した。盗賊が天窓から石を取り、裏口で組合長に渡した。組合長は石を階段下の帳簿箱に隠した。白い法衣の男は、組合長に言えと言われて、灰色が塀を越えるのを見たと言った。姪は、組合長は二階にいたと言い、あとで言い直した。この四人を連れていった。証は、紙と、蜥蜴人と、姪の言い直しだ」
書記の筆が、途中で止まった。
「蜥蜴人の言葉は、裁きの帳面に載らない」とアルブレヒトは言った。「書くな」
書記は、書きかけた字の上に線を引いた。隊長は何も言わなかった。言い返さないのは、隊長が負けたときではない。言っても予算が出ないときだ。フィンはそれを、隊に入ってから覚えた。
*
「バルタザール・グロック」
前の組合長が立った。縄が引かれて、ニコがよろけた。
「盗みを仕組んだ罪を、認めるか」
「認める」
あっさりしたものだった。四か月前に階段の三段目で怒鳴っていた男とは、別の人間のようだった。
「仕組んだのは、お前一人か」
「俺一人だ」
答えが早かった。フィンは、前の組合長の目を見ていた。その目は参事たちの席を、左から右へ、一度だけ通り過ぎた。どの顔の上でも止まらなかった。止まらないように通り過ぎた、とフィンは思った。勘定方の参事も、前の組合長のほうを見ていなかった。毛皮の襟を指で直していた。
執事のヘルマンが、席から腰を浮かせた。
「裁き役様。奥様の石は、どこにございますか」
アルブレヒトが、顎で囚人を示した。
「訊くがいい」
ヘルマンは、前の組合長に向き直った。よく磨いた声が、少しだけ震えた。
「石は、どこに」
「知らん」と前の組合長は言った。
「嘘をつける者の『知らん』は」とアルブレヒトは言った。「帳面に書くまでもない」
傍聴の席で、誰かが鼻で笑った。前の組合長は、もう一度「知らん」と言いかけて、やめた。フィンは、その顔を見ていた。牢で四か月、毎晩その顔を見てきた。あれは、嘘をつく男の顔ではなかった。本当のことを言っても信じてもらえない男の顔だった。去年の霜月、あの酒場で、灰色たちがしていたのと同じ顔だった。
「財産は没する」とアルブレヒトは言った。「南門より放つ。再び城壁の内に入ることを許さず。明朝六つ」
前の組合長は、黙って頭を下げた。肩が少し下がった。重い荷を下ろした人の下がり方だった。
*
「ニコ」
盗賊は、縄を引かれる前に自分で立った。
「盗んだのは認める。金貨二十枚で。手口も言う。どうせ訊くんだろ」
アルブレヒトが、手で先を促した。
「夕べの祈りの鐘が鳴ってるあいだは、上町から人が消える。奥方も女中頭も坂の物売りも、みんな大聖堂だ。館に残ってるのは、明日の夜会の支度で裏の台所にかかりきりの連中だけ。裏の連中は上を見ねえ。それに、鐘の下じゃ、瓦が鳴っても誰にも聞こえねえ。化粧部屋が空くのは、あの刻だけだ。だから、あの刻に屋根を渡った」
「裏庭に、灰狼の荷運びがいたそうだな」
「いたよ。一匹」ニコは肩をすくめた。「それがどうした。この街で、灰色の『見た』を帳面に書くやつがいるか」
書記の筆が、また止まった。誰も何も言わなかった。
「金貨で酒代を払ったそうだな。手がかりを撒いて歩くような真似だ」
「持ってた銀貨は三枚きりで、黒猫の尾で三枚ともすったんだよ」ニコは言った。「財布に残ってたのは、組合長の金貨だけだ。酒場で水を頼むわけにもいかねえだろ」
傍聴の席で、ダリオが小さく笑った。
「石切場で三年」とアルブレヒトは言った。
ニコは目を丸くした。それから、長い息を吐いた。
「……首は、つながったか」
「三年たてば、首の上に頭も載っている。働きによる」
ニコは、初めて笑った。四か月ぶりに見る顔だった。
*
「イゾルデ」
姪は、紙の束を抱いたまま立った。
「お前は、霜月の夜、叔父は二階にいたと偽った」
「はい」
「それは、どこで、誰の前で言った」
「組合の建物の中で、酒場番の前で。叔父に、言えと言われて」
「隊が来る前だな」
「はい」
「隊の前では」
「本当のことを言いました」
アルブレヒトは、書記の帳面を覗き込んだ。それから、参事たちの席を見回した。
「組合の建物の中の偽りは、組合の誓約の内のことだ。長の命があれば、誓約の外に出る。街の法が問うのは、隊と裁きの前での偽りだけだ。放免」
イゾルデは、何も言わなかった。紙の束を、少し強く抱いた。
傍聴の席から、栗色の髪を首の後ろで一本に編んだ女が立った。新しい組合長、エーリカ・ランゲだ。右の足を少し引いて前へ出ると、牛革の表紙の帳面を書記の机に置いた。組合の登録簿だった。
「組合長として申し上げます。盗賊ニコ、魔法使いイゾルデ。本日をもって、二人の名を登録簿から除きます」
羽根ペンが、二度動いた。細い線が二本、引かれた。エーリカは、もう一人の名の上で手を止めた。
「残る一人は、裁きのあとに」
アルブレヒトがうなずいた。
縄が解かれた。前の組合長とニコは牢番に引かれて脇の扉へ。イゾルデは、どこへ行けばいいのか分からない顔で、しばらくその場に立っていた。それから、叔父が出ていった扉のほうを見た。
「最後の者を」とアルブレヒトが言った。
フィンは、白い法衣の男の縄を引いた。男は、祈りの形のまま立ち上がった。
傍聴の席の後ろで、見慣れない白い法衣の二人が、同時に背を伸ばした。




