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第一話 はじめに

それは今から三十年以上も前のことだ。

私は東北のとある地方で大学生活を送っていた。


当時、大学に通いながら小遣い稼ぎのために家庭教師をしていた。

これから話すのは、その家庭教師先の一件、東さんのところに通っていた時のことだ。


東さんのお宅は町中から離れた郊外にあった。

郊外といっても、いわゆる閑静な住宅街ではない。 東北の田舎町らしく、町を離れるにつれ家々はまばらになり、 道は次第に山へと向かっていく。 隣町へ行くにも、山を越えるか、トンネルを抜けるか、海沿いをしばらく走るか、そんな土地だった。


東さんの家までは車で二十分ほど。 その道のりは、毎回どこか非日常の気配を帯びていた。


自宅を出て町の中心を横切り、南東へ向かう。 住宅が減り、畑や田んぼが広がり始めるころ、 “温川温泉 左折”の看板が見えてくる。


看板を過ぎて県道を三分ほど走ると、 小さな十字路が現れる。そこが温川温泉の入口だ。

とても温泉街があるようには見えないが、 左折すると細い道の両側に六、七軒の温泉宿が肩を寄せ合うように並んでいる。 夜になると宿に灯りが灯り、 その一角だけ時間がゆっくり流れているように見えた。


温泉街を左に見ながら県道を進むと、 道は少しずつ上り坂になり、民家はほとんどなくなる。 視界の先に古いトンネルがぽっかりと口を開けている。


夜にこのトンネルを抜けるのは、いつも少し怖かった。

交通量の少ない道で、 もし何か見えてしまったら、そんなことを考えてしまう。


トンネルを抜けると、右側が空き地になっていて、 そこにぽつんと電話ボックスが立っている。

夜はそのボックスに灯りがともり、 ぼんやりと浮かび上がって見えた。

私はいつも視線をそらして通り過ぎたものだ。


トンネルを出ると、道はゆるやかに左へ曲がりながら下っていく。

左手には小川が道に寄り添うように流れ、 その向こうには古い民家がぽつりぽつりと灯りをともしている。 家々のさらに奥には、低い山の影が重なっている。


右手は一面の田んぼが広がる。


道は山のすそを縫うように右へ左へと曲がり、 その静けさの中を車はゆっくり進んでいく。


しばらくそんな景色を眺めながら運転していると、 東さんの家に到着する。

小川の向こう側に建つ古い家で、 小さな橋を渡ると、車一台分のコンクリートのスペースがある。

そこが私の車の定位置だ。


毎週金曜日の午後七時から八時半まで、 私は二年間この家に通い続けた。

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