↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕たちには未来へ羽ばたく翼がある  作者: 和泉 きよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/14

06.空から降りてきた言葉

 試作翼による有人飛行から、三日が経った。


 僕は、毎日同じことをしていた。


 壊れた部品を外す。


 原因を調べる。


 設計図を書き直す。


 また組み立てる。


 その繰り返しだった。


 けれど。


 今日は、いつもと違った。


 午前の授業が終わったころ。


 担任が僕を教室の前で呼び止めた。


「桐生」


「はい」


「放課後、少し時間を空けておいてくれ」


「何かありました?」


「行政の人が来る」


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥が、わずかに固くなった。


「……翼のことですか」


「たぶん、な」


 担任はそれ以上、何も言わなかった。


 地上学校の廊下を歩く。


 すれ違う生徒たちの声。


 窓から差し込む昼の光。


 いつもと何も変わらない。


 なのに。


 僕だけが、別の場所に立っているような気がした。


 誰かが見つけた。


 僕たちが作っているものを。


 それは、いつか来ると思っていた。


 ただ。


 もう少し先だと思っていた。


   ◇


 放課後。


 校舎の小さな応接室には、二人の大人が座っていた。


 一人は男性。


 もう一人は女性だった。


 二人とも、空中都市の行政機関を示す身分証を持っている。


「初めまして。私は航空技術管理局の者です」


「同じく、市民制度調整課から来ました」


「……はい」


 僕は向かいに座る。


 机の上には、何枚かの資料が置かれていた。


 その一番上に。


 見覚えのある写真がある。


 僕たちの試作翼だった。


 飛行試験の様子。


 五メートルまで上がった瞬間。


 着地時に翼の一部が損傷した場面。


 僕は写真を一枚ずつ見る。


「どこから?」


「それを説明する前に」


 女性が穏やかな声で言った。


「率直に申し上げます。現時点で、あなたたちを止めに来たわけではありません」


 少し意外だった。


「……止めないんですか?」


「法律上、即時に禁止できるだけの条件は揃っていません」


「じゃあ」


「確認したいのです」


 男性が資料をめくる。


「何を目的に、これを作ったのか」


 僕は少し考えた。


「最初は、自分がもう一度飛ぶためです」


「今は?」


 この質問。


 最近、よく聞かれる。


 僕は答えを急がなかった。


「……自分で選べるようにするためです」


「何を?」


「飛ぶことを」


 男性は黙っている。


「それから、飛ばないことも」


 女性が僅かに目を細めた。


「なるほど」


「ただ飛べる翼を作りたいわけじゃありません」


 僕は続けた。


「怖いなら飛ばなくていい。途中でやめたくなったら、やめてもいい。そういうことまで含めて選べる翼にしたい」


「理想としては理解できます」


「……理想?」


「はい」


 男性が資料を閉じた。


「ですが、制度は理想だけでは動きません」


 その言葉は。


 妙に冷たく聞こえた。


 でも。


 僕には、その意味も分かった。


「たとえば、あなたの翼で事故が起きた場合」


「はい」


「誰が責任を負いますか?」


「……」


「飛行許可は誰が出す?」


「……」


「事故が起きたとき、誰が救助する?」


 答えられない。


 僕は設計図なら書ける。


 事故を起こさないための機構も考えられる。


 でも。


 法律のことまでは。


 社会全体の仕組みまでは。


 まだ知らない。


「技術として可能かどうか」


 女性が静かに言った。


「それだけなら、飛ぶことができるかもしれません」


「……」


「ですが、社会で使えるかどうかは別です」


 その言葉が。


 胸に残った。


 飛べる。


 だから使える。


 そんな単純な話ではない。


 僕たちは、たった一度の有人試験で。


 そのことを初めて突きつけられた。


「ただ」


 男性が言う。


「一つだけ興味深い点があります」


「何ですか?」


「あなたは、なぜそこまで『本人の意思』にこだわるんですか?」


 僕は黙った。


 その問いに答えようとすると。


 自然と、一人の少女の顔が浮かんだ。


 水城紬。


 翼を持っていたのに。


 自分で手放した少女。


「……僕の知っている人が」


 そこで言葉を止める。


「昔、翼を持っていたんです」


「はい」


「でも、自分で返した」


「自分で?」


「はい」


 僕は思い出す。


 あの日の紬の言葉。


 ――自分で決めたから。


「その人と話して」


 僕はゆっくり言った。


「初めて気づいたんです」


「何を?」


「翼は、持っているだけで人の価値を決めるものじゃないって」


 二人は黙っている。


「飛べることも」


 僕は机の上に手を置いた。


「飛ばないことも」


 指先に力が入る。


「本人が決めるべきなんじゃないかって」


 女性がしばらく僕を見たあと。


「……分かりました」


 それだけ言った。


「今すぐ開発を止めろ、とは申しません」


 男性も続ける。


「ただし、今後は安全面と制度面について、行政との協議が必要になります」


「協議……」


「あなたの技術を取り上げるという意味ではありません」


「本当ですか?」


「少なくとも、現時点では」


 その言葉が。


 逆に少し怖かった。


 制度というものは。


 一度関われば。


 簡単には離れられない。


「あなたたちが何を作ろうとしているのか」


 女性が資料をまとめる。


「私たちも、考える必要がありそうです」


 二人は立ち上がった。


 扉まで歩いて。


 男性が振り返る。


「それと」


「はい」


「空を飛ぶ技術を作るなら」


 ほんの少しだけ、笑った。


「空に住んでいる人たちの気持ちも、無視しないほうがいい」


 扉が閉じる。


 静かになった。


 僕は一人、椅子に座っていた。


 空に住む人。


 地上に住む人。


 翼を持つ人。


 翼を持たない人。


 今までは、それぞれ別々の問題だと思っていた。


 でも。


 違うのかもしれない。


 全部。


 同じ空の下にある問題なのだ。


   ◇


「……疲れた顔してる」


 学校を出たところで。


 声がした。


 振り向く。


「澄乃」


 七瀬澄乃が立っていた。


 空中都市の学校から、そのまま来たのだろう。


 制服の背中には。


 当然のように「ツバサ」がある。


 夕暮れの光を受けて。


 翼は静かに輝いていた。


「どうしてここに?」


「来ちゃった」


「それは分かるけど」


「朔が大変かなって思ったから」


 澄乃は笑った。


 その笑顔を見ると。


 緊張していた身体が少しだけ緩む。


「今日、行政の人が来た」


「うん。聞いた」


「もう知ってたの?」


「空中都市でも話になってるよ」


「そんなに?」


「五メートル飛んだんでしょう?」


「……誰から聞いたの」


「秘密」


「秘密って」


 澄乃は楽しそうに笑う。


「でもね」


 笑顔が少しだけ消えた。


「空中都市では、みんなが同じ顔をしているわけじゃない」


「どういうこと?」


「歓迎してる人もいる」


「うん」


「怖がってる人もいる」


「……やっぱり」


「それに」


 澄乃は空を見上げた。


「『みんなが飛べるようになったら、私たちは何なの?』って言ってる人もいる」


 僕は黙った。


「空中都市で生まれた人にとって、翼はただの道具じゃないのかもしれない」


 澄乃の声は、いつもより静かだった。


「僕には、それが分からない」


「分からなくてもいいと思う」


「え?」


「分かろうとするのは大事。でも」


 彼女は僕を見る。


「すぐに理解できなくても、その人たちが怖がっていることを否定しなくていい」


「……」


「私だって」


 澄乃は自分の翼に触れた。


「この翼をなくしたら、きっと怖い」


「どうして?」


「私の生活の一部だから」


 少しだけ考えて。


「でも」


 澄乃は笑う。


「だからって、翼を持たない人が劣ってるとは思わない」


 その言葉を聞いたとき。


 僕はふと。


 一つのことに気づいた。


 澄乃は空中都市の人間だ。


 僕は地上の人間だ。


 今の僕たちは。


 別の世界にいる。


 学校だって違う。


 暮らしている場所も違う。


 使う交通手段も違う。


 それでも。


 こうして話している。


 たったそれだけのことなのに。


 何かが少しずつ変わっている気がした。


「朔」


「ん?」


「私ね」


 澄乃が空を見る。


「あなたの作る翼、見てみたい」


「まだ完成してないよ」


「知ってる」


「危ないかもしれない」


「それでも」


 彼女は少しだけ笑った。


「見たい」


 その表情を見て。


 僕の胸が、ほんの少しだけ跳ねた。


 以前なら。


 それが何なのか分からなかった。


 今も。


 完全には分からない。


 ただ。


 この人に、自分の作ったものを見てほしい。


 そう思った。


「……じゃあ、完成したら」


「うん」


「見せる」


「約束ね」


 澄乃が指を差し出す。


「約束?」


「約束」


 僕も指を出した。


 ほんの一瞬だけ。


 指先が触れた。


 それだけだった。


 なのに。


 不思議なくらい。


 心が温かくなった。


「じゃあ、私、もう帰るね」


「空中都市へ?」


「うん」


「暗くなる前に?」


「そう」


 澄乃は背中の翼を起動させた。


 小さな駆動音。


 風が起きる。


 身体がふわりと浮く。


 地上から離れ。


 少しずつ高度が上がる。


 僕はその姿を見上げていた。


 昔なら。


 羨ましいと思っただろう。


 今は。


 ただ、綺麗だと思った。


 そして。


 いつか。


 僕もあの空へ行くのだろうか。


 まだ分からない。


 でも。


 もう一つだけ。


 分かり始めていることがある。


 翼を持っている人がいるから、翼を持たない人が劣るわけではない。


 翼を持たない僕が、翼を持つ彼女より下にいるわけでもない。


 違う場所にいるだけだ。


 なら。


 その「違う」を。


 どうすれば。


 もっと自由に選べるようになるのだろう。


   ◇


 その夜。


 僕は作業室へ戻った。


 昼間の行政との話を思い返しながら。


 新しい紙を取り出す。


 そして。


 大きく書いた。


『技術』


 その下に。


『制度』


 さらに。


『人の気持ち』


 三つを線でつなぐ。


 どれか一つだけでは。


 きっと駄目だ。


 どれだけ素晴らしい翼を作っても。


 制度が許さなければ飛べない。


 制度が変わっても。


 人が怖ければ飛べない。


 人が飛びたくても。


 技術が危険なら飛ばせない。


 だから。


 僕は全部を考える必要がある。


 そんな大それたこと。


 今の僕にできるのか。


 正直。


 自信はなかった。


 でも。


 昔の僕は。


 「翼を失ったから終わり」だと思っていた。


 今は違う。


 翼を失ったから。


 初めて見ることができたものがある。


 翼を持つ人の気持ち。


 翼を手放した人の気持ち。


 そして。


 翼を持たない人の気持ち。


 僕は設計図の余白に。


 また一つ、言葉を書いた。


『自分の未来を、自分で決める』


 その文字を眺める。


 まだ答えはない。


 けれど。


 作るべきものの形だけは。


 少しずつ見えてきた。


 必要なのは。


 空へ行くためだけの翼じゃない。


 誰かに決められた場所から。


 自分で一歩を選ぶための翼だ。


 窓の向こう。


 夜の空中都市には、いくつもの灯りが浮かんでいた。


 あそこには。


 澄乃がいる。


 そして。


 僕はここにいる。


 今は別々の場所だ。


 別々の学校へ通って。


 別々の世界で生きている。


 それでも。


 同じ空を見上げることはできる。


 それなら。


 いつか。


 同じ空を飛ぶことだって。


 できるのかもしれない。


 僕は工具を手に取った。


 新しい設計図を広げる。


 次に作る翼は。


 もっと遠くへ飛ばすための翼ではない。


 誰かを追い越すための翼でもない。


 ただ。


 その人が。


 自分で決めた場所へ行けるための翼。


 ――そういう翼を、僕は作りたい。


 その夜。


 まだ誰も知らない場所で。


 小さな夢が。


 ようやく、社会という巨大な空へ向かって。


 羽ばたき始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。