↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕たちには未来へ羽ばたく翼がある  作者: 和泉 きよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/15

03.翼を捨てた少女

 その少女を初めて見たとき。


 僕は、妙な違和感を覚えた。


 地上にいる人間にしては、姿勢が良すぎたからだ。


 地上で暮らす人間の多くは、森の中を歩くために足元を見る。


 木の根。


 ぬかるみ。


 落ちた枝。


 視線は自然と下へ向く。


 けれど、その少女は違った。


 顔を上げていた。


 まるで、空を知っている人間みたいに。


「ここ、使ってもいい?」


 作業室の入口から、少女が顔を覗かせた。


 肩まで伸びた髪。


 少し眠そうな目。


 服装は地上の学校指定のものだった。


 ただ、その立ち方だけが。


 妙にまっすぐだった。


「……何?」


「机」


「机?」


「そこ」


 少女は僕の向かい側の空いた机を指差した。


 意味が分からない。


 ここは保護施設に併設された作業室だ。


 誰でも自由に使える場所ではあるけれど、知らない人間が勝手に入ってくることはほとんどない。


「何か作るの?」


「たぶん」


「たぶん?」


「まだ決めてない」


 僕と同じような答えだった。


 少しだけ気になった。


「どうぞ」


「ありがとう」


 少女は椅子を引き、静かに座った。


 そして、鞄から小さな工具箱を取り出した。


 それを見た瞬間。


 僕は思わず彼女の手を見た。


 指先に、薄い傷がいくつもあった。


 ものを作る人間の手だった。


 でも。


 それ以上に気になったものがある。


 少女の背中。


 正確には。


 その背中に、何もついていないことだった。


 地上にいるのだから、当然だ。


 そんなことは分かっている。


 分かっているのに。


 僕は、なぜか目を逸らせなかった。


「……何?」


「いや」


「さっきから見てる」


「ごめん」


「別にいいけど」


 少女は気にした様子もなく工具を並べ始める。


「ただ」


「うん」


「見られるの、慣れてるから」


 その言葉が妙に引っかかった。


「見られるって?」


「背中」


 少女は、何でもないことのように言った。


 僕の手が止まった。


「……翼を、持ってた?」


「うん」


「昔?」


「うん」


 あまりにあっさり答えるものだから。


 僕は次の言葉を失った。


 しばらくして。


「どうして?」


 ようやく、それだけ言った。


 少女は小さく首を傾げた。


「どうしてって?」


「どうして無くなったの?」


 少女は答えなかった。


 机の上に工具を置いたまま。


 窓の外を見た。


 空は見えない。


 この作業室から空中都市を直接見ることはできない。


 木々の隙間から、青空が少し覗いているだけだ。


「君は、飛びたい人?」


 逆に聞かれた。


「……そうだね」


「どうして?」


「翼を失ったから」


「それだけ?」


「それだけで十分だと思うけど」


「そっか」


 少女は笑った。


 笑っているのに。


 なぜか寂しそうだった。


「私も、昔はそう思ってた」


「何を?」


「翼を持っているなら、飛ぶものだって」


 少女は、自分の胸元に視線を落とした。


「飛ぶのが嫌だったわけじゃない」


「じゃあ、どうして?」


「翼を持っていることのほうが、嫌になったから」


 その言葉は。


 僕には理解できなかった。


 飛べることではなく。


 翼を持つことが嫌。


 僕とは逆だ。


 いや。


 逆どころか。


 正反対だった。


「……変だね」


「よく言われる」


「僕も同じことを言われる」


「じゃあ、おあいこ」


 また笑った。


 今度は少しだけ、普通の笑顔だった。


「名前は?」


 僕が聞くと。


「水城紬」


「僕は桐生朔」


「知ってる」


「……なんで?」


「有名だから」


「何が?」


「最近、翼を作ってるでしょう」


 胸の奥が少し跳ねた。


「知ってるの?」


「地上では、結構話題になってるよ」


「まだ試作段階なのに」


「だからこそじゃない?」


「どういう意味?」


「地上の人が、翼を作ってるから」


 その言葉を聞いて。


 僕は黙った。


 今まで、ただの技術だと思っていた。


 材料を集めて。


 構造を考えて。


 失敗して。


 また作り直す。


 それだけだと思っていた。


 でも。


 周りから見れば。


 僕が翼を作るという行為そのものが。


 別の意味を持っているらしい。


「……興味あるの?」


「あるよ」


「翼に?」


「うん」


「じゃあ、どうして手放したの?」


「その質問、好きだね」


「気になるから」


「知りたい?」


「知りたい」


 紬はしばらく黙った。


 そして。


 自分の背中を撫でた。


 何もない場所を。


「私はね」


 静かな声だった。


「翼を持っていると、私自身を見てもらえなくなったの」


「……どういうこと?」


「空中都市では、翼がある人が特別だった」


 僕は頷いた。


 それは知っている。


 僕自身、そこにいた。


「飛べることが褒められる。


 速く飛べれば、もっと褒められる。


 上手く操れれば、才能があると言われる。


 どこへ行っても、まず翼を見られる」


 紬は笑った。


「最初は嬉しかったよ」


「うん」


「自分が特別なんだと思えたから」


「……」


「でも、そのうち気づいた」


 彼女の指先が、机の端をゆっくりなぞる。


「翼を褒められているのに、自分が褒められている気がしない」


 僕は何も言えなかった。


 それは。


 少しだけ分かる気がした。


「テストで良い点を取ったときも。


 何かを作ったときも。


 親切にしたときも。


 私が何をしたかより先に、


 『いい翼を持っているなら、それくらいできるよね』


 って言われる」


 その言葉を聞いたとき。


 胸の奥に小さな痛みが走った。


 僕が翼を失ったとき。


 周囲の人間から言われた言葉とは違う。


 それなのに。


 どこか似ていた。


 翼があるから。


 翼がないから。


 人間は、翼を基準にしてしまう。


「だから、返した」


「自分で?」


「自分で」


「怖くなかった?」


「怖かったよ」


 即答だった。


「だって、手放した瞬間から、私は『翼を持っていない人』になるから」


「……」


「それまで自分を証明してくれていたものを、自分で捨てるんだもん」


 紬は窓の外を見た。


「後悔したよ」


「今も?」


「たまに」


 その言葉には、嘘がなかった。


「飛びたいと思う日もある」


「じゃあ――」


 言いかけて。


 僕は止まった。


 じゃあ、もう一度翼を持てばいい。


 そう言えばいい。


 でも。


 それを言った瞬間。


 何かを決めつけるような気がした。


 だから。


 少しだけ考えてから聞いた。


「それでも、返してよかったと思う?」


 紬は長いこと黙っていた。


 そして。


 小さく息を吐いた。


「うん」


「どうして?」


「自分で決めたから」


 その答えは。


 思っていたよりずっと簡単だった。


 でも。


 僕には、その簡単さが眩しかった。


 僕が翼を返したとき。


 僕は自分で決めたと思っていた。


 けれど、違う。


 制度がそうした。


 家族が壊れた。


 居場所を失った。


 僕はその流れに従って翼を返しただけだ。


 だったら。


 紬はどうだ。


 彼女は自分で選んだ。


 失うことになると分かっていて。


 その後に待っているものも分からないまま。


 それでも。


「自分で決めたから」


 その一言で。


 彼女は、過去の自分を否定しなかった。


「僕は」


 気づけば、口にしていた。


「取り戻したいと思ってた」


「翼を?」


「うん」


「今は?」


「分からない」


 紬がこちらを見る。


「前は、翼があれば全部戻ると思ってた」


「何が?」


「昔の自分」


 自分で言っていて。


 少し笑いたくなった。


「でも、戻るわけないよね」


「うん」


 紬は否定しなかった。


 それが、なぜかありがたかった。


「翼がなくても、自分は自分」


 紬が言った。


「翼があっても、自分は自分」


「……」


「だったら」


 彼女は少しだけ笑う。


「翼を持つことも、持たないことも、自分で決めていいんじゃない?」


 その言葉が。


 静かに胸へ入ってきた。


 飛ぶか。


 飛ばないか。


 持つか。


 持たないか。


 今まで僕は。


 どちらかが正しいと思っていた。


 翼を失ったから、取り戻さなければならない。


 飛べるようになったなら、飛ばなければならない。


 でも。


 そうじゃない。


 選ぶことそのものに。


 意味があるのかもしれない。


「水城」


「なに?」


「また飛びたいと思ったら、どうする?」


「そのとき考える」


「考えるだけ?」


「うん」


「飛ばないかもしれないよ?」


「それでもいい」


「……変なの」


「桐生くんに言われたくない」


 僕は笑った。


 たぶん。


 彼女と初めて話したとき。


 僕は、彼女を理解しようとしていた。


 翼を持っていたのに。


 どうして手放したのか。


 そんな疑問から始まった。


 でも。


 少し違った。


 彼女は「翼を捨てた人」ではない。


 自分の人生を、自分で一度選び直した人なのだ。


 そのことに。


 僕は初めて気づいた。


 そして。


 自分の机へ戻る。


 そこには、昨日から作っている翼の設計図があった。


 僕は鉛筆を持ち。


 新しい線を一本引いた。


「何してるの?」


 紬が聞く。


「設計を変える」


「どこを?」


「まだ決めてない」


「また?」


「うん」


 僕は図面を見る。


 これまでの翼は。


 飛ぶことしか考えていなかった。


 どうすれば高く飛べるか。


 どうすれば速く飛べるか。


 どうすれば安定するか。


 けれど。


 それだけでは足りない。


 飛びたくない人がいたら。


 途中でやめたくなったら。


 一度飛んだあとに、もう飛びたくなくなったら。


 その人にも。


 この翼は寄り添えるのだろうか。


「……翼って」


「うん?」


「飛ぶためだけのものじゃないのかもしれない」


 紬が少しだけ目を細めた。


「そうかもね」


 それ以上は、何も言わなかった。


 ただ。


 僕の設計図を見つめていた。


 空はまだ遠い。


 翼も、まだ完成していない。


 僕が何を作るのかも。


 まだ分からない。


 それでも。


 この日から。


 僕の翼の設計図には。


 新しい条件が一つ増えた。


 ――飛ばない人のことも、忘れないこと。


 それは。


 昔の僕にはなかった発想だった。


 そして、たぶん。


 これから作る翼を。


 以前の「ツバサ」とは違うものにする最初の一歩だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。