13.自由を嫌う人
自由。
その言葉を聞けば。
たいていの人は、良いものを想像する。
好きな場所へ行ける。
好きなものを選べる。
誰かに決められずに生きられる。
僕だって。
つい最近までは、そう思っていた。
でも。
協議を終えてから。
少しだけ考えが変わった。
自由を望まない人もいる。
正確には。
自由が広がることを、怖いと思う人がいる。
そのことを。
僕はまだ、十分に理解していなかった。
◇
その日の放課後。
作業室に入った瞬間。
「……何だ、これ」
机の上に、一枚の紙が置かれていた。
白い紙。
そこには。
大きな文字で書かれていた。
『空を開放する必要はない』
その下。
『翼は誰にでも必要なものではない』
さらに。
『今ある仕組みを壊すな』
僕は紙を持ち上げた。
「誰が置いたんだろう」
紬が後ろから覗き込む。
「分からない」
「脅迫?」
「そこまでじゃないと思う」
「でも、反対意見ではあるね」
「うん」
僕は紙を机へ戻した。
「どう思う?」
紬に聞く。
「どうって?」
「嫌な感じ、しない?」
「少しは」
紬は紙を見つめる。
「でも」
「うん」
「この人たちだって、自分が守りたいものがあるんじゃない?」
また、その言葉だった。
紬は。
いつも人の反対側を見る。
僕にはそれが不思議だった。
「自由を嫌う人が?」
「自由そのものが嫌いなんじゃないかもしれないよ」
「じゃあ何が?」
「自由になった結果、何かを失うのが怖いんじゃない?」
僕は黙った。
自由。
それ自体が怖い。
そんなことが本当にあるのだろうか。
そう思った。
でも。
少し考えれば。
分からないでもない。
これまで正しいとされてきたものが。
明日から『選択肢の一つ』に変わってしまったら。
今まで優れているとされてきたものが。
特別ではなくなったら。
自分が積み重ねてきたものは。
どうなるのだろう。
その不安は。
きっと大きい。
◇
数日後。
新たな企業が、僕たちに接触してきた。
前回の企業とは別の会社だった。
「ぜひ、我々と共同事業を組んでいただきたい」
担当者は笑顔だった。
「新型翼には、社会を変える力があります」
また同じ言葉だった。
でも。
今回の提案には。
前回とは少し違う部分があった。
「大規模な量産設備をこちらで用意します」
「……」
「販売網も構築します」
「はい」
「海外展開も可能です」
「……」
「そして」
担当者が一枚の資料を差し出す。
『新型翼普及推進計画』
大きな市場予測。
利用者数。
想定利益。
将来的な標準化。
そこまでは。
なるほどと思った。
問題は。
その次だった。
「普及を進めるため」
担当者が言う。
「まずは利用者を一気に増やしたいと考えています」
「一気に?」
「はい」
「どれくらい?」
「初年度で、現在の十倍」
僕は資料を見る。
「そんなに急いで?」
「技術は広がるほど価値がありますから」
「……」
「多くの人が使い始めれば、自然と社会も変わります」
その言葉が。
なぜか引っかかった。
社会を変える。
確かに。
僕もそう思っている。
でも。
『使う人を増やすこと』と。
『選べる人を増やすこと』は。
同じではない。
「飛ばない人には?」
僕が聞いた。
「もちろん選択肢として残します」
「でも、普及目標は?」
「利用者数です」
「……」
そこに。
数字があった。
人間の生活ではなく。
市場としての数字。
「それなら」
僕は資料を閉じた。
「僕たちの考えとは、少し違います」
「どのあたりがでしょう?」
「使う人数を増やすことが目的になってる」
「はい。それが普及ですから」
「違う」
自分でも驚くほど。
強く言っていた。
「この翼の目的は、利用者を増やすことじゃない」
「……」
「選択肢を増やすことです」
担当者は少し困った顔をした。
「ですが、利用者が増えなければ、選択肢も広がりません」
「それはそうです」
僕は頷く。
「でも」
資料へ視線を落とす。
「選ばない人を数に入れない社会を作りたくない」
会議室が静かになる。
「……桐生さん」
「はい」
「理想論では、事業は成立しません」
「分かっています」
「ならば」
担当者が少しだけ笑った。
「どこまで現実的に考えているのか、見せていただきたいですね」
その言葉には。
挑戦するような響きがあった。
僕は。
何も言わなかった。
◇
その日の夜。
空中都市では。
別の場所で。
一人の少年が空を見ていた。
学校を終えたばかりらしい。
背中には、最新型の翼。
周囲の人間よりも性能が高い。
でも。
彼は飛ばなかった。
「お前、飛ばないの?」
友人が聞く。
「今日はいい」
「せっかく新しい翼なんだから」
「別に」
「もったいないじゃん」
少年は黙った。
しばらくして。
「……俺は」
「うん」
「翼を持ってるから偉いのかな」
友人は笑った。
「何それ」
「最近、そういう話ばかり聞くから」
少年は空を見る。
「新型翼が普及したら」
「うん」
「翼を持ってる意味がなくなるって」
友人は少し黙った。
「そんなことないだろ」
「でも」
少年が言う。
「今まで、俺たちは選ばれた側だった」
その言葉には。
誇りと。
不安が。
同時に混ざっていた。
「地上の人たちが同じように飛べるようになったら」
「……」
「俺たちって、何なんだろう」
友人は答えられなかった。
そして。
少年も。
その答えを持っていなかった。
◇
翌日。
僕たちは空中都市側の学校から招かれた。
もちろん。
地上学校と空中学校が同じ学校になるわけではない。
それぞれの学校は。
今まで通り別々だ。
今回は。
共同研究の説明会のための訪問だった。
空中校の校舎は。
地上の学校とは、まるで違った。
広い窓。
空へ直接つながる発着設備。
飛行訓練用のスペース。
それらが当たり前のように整えられている。
歩いている生徒たちの背中には。
当然のように翼がある。
僕は。
少しだけ昔を思い出した。
ここにいたことがある。
ただ。
今の僕は。
地上から来た人間だ。
その違いを。
周囲も意識しているらしい。
視線を感じる。
珍しいものを見る目。
嫌悪ではない。
でも。
歓迎とも言えない。
「桐生朔」
名前を呼ばれた。
振り向く。
一人の男子生徒が立っている。
「何?」
「少し話したい」
僕は頷いた。
「いいよ」
彼は。
僕たちから少し離れた場所へ移動した。
「新型翼を作ってるんだよな」
「うん」
「本当に」
「飛べるよ」
「そういう意味じゃない」
少年の声が低くなる。
「それが、何をするものなのか分かってるのか?」
「……」
「地上の人に翼を与える」
「うん」
「誰でも空を飛べるようにする」
「誰でも、とは限らない」
「でも、そうなるんだろ?」
「可能性はある」
少年は。
少し苛立ったように笑った。
「だったら、同じじゃん」
「何が?」
「俺たちから、特別なものを奪うってことだよ」
その言葉に。
僕は息を止めた。
「奪う?」
「翼を持っていることが」
少年の目が。
まっすぐ僕を見る。
「俺たちが生まれた場所そのものなんだ」
「……」
「空中都市で暮らして。
翼を学んで。
飛び方を覚えて。
それが全部」
拳を握る。
「意味がなくなるかもしれない」
僕は。
すぐには言葉を返せなかった。
この少年が。
技術に反対しているだけではないことが分かったからだ。
彼が守りたいのは。
『特別』という言葉。
それだけではない。
自分が生きてきた時間。
家族。
友達。
誇り。
思い出。
それら全部だった。
僕が翼の普及を考えるとき。
数字や制度のことばかり見ていた。
でも。
変化の向こう側には。
『自分の居場所がなくなるかもしれない』と感じる人がいる。
「僕は」
少し考えてから言った。
「君たちのものを奪いたいわけじゃない」
「でも、奪われるんだ」
「何が?」
「……特別であること」
その言葉が。
静かに胸へ刺さった。
僕は少しだけ時間を置いてから。
答えた。
「特別であることを、翼だけに任せなくてもいいんじゃないかな」
「……どういうこと?」
「空中都市で生まれたこと」
「うん」
「そこで暮らしてきたこと」
「うん」
「そこで積み重ねた文化」
「……」
「それまで全部なくなるわけじゃない」
少年は黙った。
「新型翼ができても」
僕は続ける。
「君が生きてきた時間まで、誰かに奪われるわけじゃない」
彼は。
何かを言いかけた。
でも。
何も言わなかった。
「それでも」
少しして。
「怖い」
そう言った。
僕は頷いた。
「うん」
否定しなかった。
怖いなら。
怖くていい。
変わることを嫌ってもいい。
反対してもいい。
その自由だって。
守らなければならないのだと思った。
◇
その帰り。
澄乃が隣を歩いていた。
「どうだった?」
「難しかった」
「何が?」
「正しいことを言っても、相手の怖さは消えない」
「うん」
「だったら」
僕は歩きながら考える。
「正しいことを言うだけじゃ、駄目なんだろうな」
澄乃が僕を見る。
「朔」
「ん?」
「それ、前からそうだったよ」
「そう?」
「うん」
「いつ?」
「私が翼を朔に返したとき」
その言葉で。
思い出す。
紬のこと。
翼を持っていることが辛くなって。
自分で返した少女。
もし誰かが。
『翼を持っているほうがいい』と言い続けていたら。
彼女は。
自分の人生を選べなかったかもしれない。
「そっか」
僕は笑った。
「僕、結局」
「うん」
「自分が正しいと思ってることばかり見てたのかも」
「少しはね」
「少しなんだ」
「少し」
澄乃が笑う。
「でも、ちゃんと考えようとしてる」
「……ありがとう」
そのとき。
少し前を歩いていた紬が振り返った。
「二人とも、何話してるの?」
「自由について」
「難しい話してるね」
「うん」
紬が笑う。
「じゃあ、私も一つだけ」
「何?」
「自由って」
少し考えて。
「嫌いになってもいいものなんじゃない?」
僕は足を止めた。
澄乃も止まる。
「どういうこと?」
「自由になったからって」
紬は言う。
「必ず喜ばなきゃいけないわけじゃない」
「……」
「変わりたくない人もいる」
「うん」
「その人が、変わりたくないって思う自由もある」
僕は。
その言葉を聞きながら。
今日会った少年を思い出した。
彼は。
僕たちの翼を嫌っていた。
新しい自由を怖がっていた。
でも。
その感情を間違いだと決めつけることはできない。
「自由を広げることが」
僕は言った。
「誰かの自由を奪うことになったら、意味がない」
「そういうこと」
紬が頷く。
「だから、反対してる人を敵にしないこと」
その言葉を。
僕は胸に刻んだ。
◇
その夜。
作業室の扉を閉める。
机の上には。
今日一日で集めた資料。
新型翼の設計図。
企業の提案。
行政の資料。
そして。
昼間に会った少年の顔。
いろんなものが。
頭の中を行き来していた。
僕は一枚の紙を取り出す。
そこに。
新しく書いた。
『自由を望まない自由』
少し変な言葉だと思った。
でも。
必要な言葉だった。
その下に。
『反対する自由』
『使わない自由』
『変わりたくない自由』
さらに。
『怖がる自由』
ペンが止まった。
自由というのは。
好きにすることだけではない。
嫌だと言うことも。
立ち止まることも。
変えないことも。
そこに含まれている。
だから。
僕たちが作る翼も。
『飛べる』という一つの価値を。
新しい正義として押しつけてはいけない。
そうでなければ。
僕たちは。
今までの社会と。
違う形で同じことを繰り返す。
空中都市では。
翼を持つことが価値になった。
新しい世界でも。
翼を持てることが価値になる。
もしそうなったら。
何も変わっていない。
僕は。
設計図の一番下へ。
一文を書き足した。
『自由を、新しい義務にしない』
その言葉を見つめる。
まだ。
具体的な方法は分からない。
制度も。
技術も。
教育も。
何も完成していない。
でも。
一つだけ。
はっきりしたことがある。
翼に反対する人がいる。
自由を怖がる人がいる。
その人たちを。
排除してはいけない。
むしろ。
その人たちの声を聞かなければ。
本当の意味での自由にはならない。
僕は窓を開けた。
夜の風が入ってくる。
遠く。
空中都市の灯りが見える。
その中には。
今日会った少年もいるだろう。
翼を誇りに思う人。
翼を怖いと思う人。
翼を失った僕。
翼を手放した紬。
みんな。
違う場所にいる。
だからこそ。
一つの答えに押し込めてはいけない。
僕は思った。
自由とは。
全員を同じ場所へ連れていくことではない。
全員が。
違う場所にいたまま。
それでも選択を奪われないことなのだ。
そのとき。
机の上の小さな部品が。
窓から入った風で転がった。
カラン、と音がする。
僕はそれを拾った。
小さな部品。
まだ何の役にも立たない。
でも。
これから大きな翼の一部になる。
社会も。
きっと同じなのだろう。
一人一人の小さな意見。
一つ一つの違い。
それらを無理に削って。
綺麗な一つの形にするのではなく。
違うまま組み合わせて。
初めて、一つのものになる。
僕は。
壊れた部品を箱へ入れた。
そして。
新しい設計図を開く。
これから作る翼には。
もっと大きなものを。
もっとたくさんの人の声を。
組み込まなければならない。
自由を望む人のためだけじゃない。
自由が怖い人のためにも。
飛びたい人のためだけじゃない。
飛びたくない人のためにも。
そのためには。
まだまだ。
考えなければならない。
僕はペンを握った。
その先にある未来は。
思っていたより。
ずっと複雑だった。
そして。
だからこそ。
面白いと思った。
――自由を作ることは。
翼を作ることより。
ずっと難しい。




