11.同じ空を見るために
最初に、その話を聞いたとき。
僕は、少しだけ嫌な予感がした。
「合同協議会?」
行政から届いた通知書を読み返す。
正式名称は、もっと長かった。
新型飛行装置に関する試験協議会。
けれど。
実際に書かれていた内容は、それだけではなかった。
『空中都市住民』
『地上居住者』
『既存翼利用者』
『新型翼利用者』
『翼非利用者』
『翼返却経験者』
いくつもの立場の人間を集めて。
新型翼について話し合う。
それが今回の目的らしい。
「……ややこしい」
僕が呟くと。
「でも、大事なんじゃない?」
隣にいた紬が言った。
「何が?」
「違う人たちが、一度に話すこと」
「揉めそうだけど」
「揉めると思う」
「即答だね」
「だって、今まで別々の場所にいたんだから」
紬は通知書を見る。
「別々の場所。
別々の生活。
別々の常識。
そんな人たちが、いきなり一緒に話したら」
「ぶつかる」
「うん」
紬は小さく笑った。
「でも、ぶつからないと分からないこともあるよ」
その言葉は。
どこか澄乃の言葉にも似ていた。
僕は通知書を折った。
逃げる理由はない。
むしろ。
これまで僕たちが作ってきたものが。
本当に誰かのためになるのなら。
違う立場の人間に見てもらわなければならない。
「行こう」
僕が言う。
「うん」
◇
会場は、地上と空中都市の境界付近にある公共施設だった。
空中都市と地上をつなぐ中継区域。
両方から人が来られるように作られている。
大きな窓からは。
空がよく見えた。
会場へ入ると。
すでにかなりの人が集まっている。
空中都市側から来た人たちは。
やはり見た目からして分かりやすかった。
背中に「ツバサ」がある。
地上側の人たちには。
当然、それがない。
ほんの少し。
距離がある。
誰かが意図的に離れているわけではない。
それでも。
自然と。
翼のある人とない人で座る場所が分かれていた。
僕は、それを見てしまった。
そして。
胸の奥が少し痛んだ。
制度が作った境界線は。
建物の中へ入っても消えない。
「朔」
聞き慣れた声。
振り向く。
澄乃がいた。
「来てたんだ」
「呼ばれたから」
「空中校は?」
「今日は午前で終わり」
「そうなんだ」
「うん」
彼女の背中には。
いつもの「ツバサ」がある。
僕は少しだけ目を逸らした。
すると。
「どうしたの?」
「別に」
「また空を見てた?」
「……見てない」
「嘘」
澄乃が笑う。
その笑顔に。
少しだけ緊張が和らいだ。
だが。
会場の前方から。
「七瀬さん」
声がした。
空中都市側の参加者だった。
「少し、いいですか」
澄乃の表情が変わる。
「はい」
二人が少し離れた場所で話す。
僕はなんとなく聞かないほうがいい気がして。
少し離れて立った。
けれど。
声は聞こえた。
「……本当に、新型翼を認めるつもりですか?」
「私は、まだ何も決めてません」
「でも使っている」
「はい」
「空中都市の翼があるのに」
「だからこそ、です」
相手が黙る。
「どうして?」
「自分で選んでみたかったから」
澄乃が答える。
「ただ、それだけです」
それ以上の言葉は。
聞き取れなかった。
でも。
十分だった。
彼女は。
自分の立場を捨ててまで。
僕たち側に立っているわけではない。
空中都市の人間であることを否定しているわけでもない。
ただ。
自分の意思で、一つを選んでいる。
それだけなのだ。
◇
「それでは、始めます」
司会が前に立った。
会場が静かになる。
「本日の協議は、新型飛行装置の技術、安全性、社会的な影響について意見を伺うものです」
資料が配られる。
僕たちの試験データ。
飛行時間。
高度。
事故記録。
安全対策。
説明は淡々と進んでいく。
やがて。
意見交換の時間になった。
「まず」
一人の年配の男性が手を挙げた。
背中には古い型の翼。
「私は空中都市に長く住んでいます」
低い声だった。
「新型翼の技術そのものを否定するつもりはありません」
会場の視線が集まる。
「しかし」
男性は一度、地上側を見る。
「空中都市の文化が壊れるのではないかと思っています」
僕は少し身構えた。
「翼は、単なる乗り物ではありません」
「……」
「私たちの歴史です」
誰も口を挟まない。
「空に住むという生き方は、千年以上かけて作られてきたものです」
男性の言葉には。
怒りよりも。
恐怖があった。
「誰でも飛べるようになったら」
声が少し震えた。
「私たちは何になるんでしょうか」
その言葉を聞いて。
僕はすぐには答えられなかった。
これは。
僕が今まで考えていなかった問題だった。
僕は。
空中都市の制度を変えたいと思っていた。
でも。
そこで暮らす人々の中には。
制度そのものが。
自分たちの歴史だった人もいる。
それを。
ただ「古い価値観」と切り捨てていいのか。
答えは。
たぶん、違う。
僕はマイクを持った。
「僕には」
一瞬だけ、会場全体が静かになる。
「その不安をなくせるとは言えません」
率直に言った。
男性が顔を上げる。
「でも」
僕は続ける。
「新しい翼ができたからって、これまでの文化が消える必要はないと思います」
「……」
「昔の翼を使い続けてもいい」
「……」
「新しい翼を選んでもいい」
そして。
「飛ばない人がいてもいい」
会場の空気が少しだけ変わった。
「僕が作りたいのは、全員を同じにするための翼じゃありません」
自分の言葉を。
一つずつ確かめるように話した。
「違う人が、違う選択をできるようにするための翼です」
男性は何も言わなかった。
けれど。
否定もしなかった。
◇
次に手を挙げたのは。
一人の若い女性だった。
地上側の席に座っている。
「私は、新型翼には賛成です」
「ありがとうございます」
「でも」
彼女は続ける。
「社会が『飛べるようになったんだから、飛べ』と言い始めたら?」
僕の胸に。
嫌な予感が走る。
「仕事の効率が上がるから。
通勤時間が短くなるから。
みんなが飛んでいるから。
あなたも使ってください。
そう言われたら?」
誰も答えない。
「制度上は自由でも」
女性は言った。
「断りにくい空気ができたら、それは自由なんですか?」
その言葉は。
鋭かった。
僕はすぐに答えられなかった。
飛べるようにする。
それだけなら簡単だ。
でも。
「飛ばされない社会」を作ることは。
もっと難しい。
「……自由じゃないと思います」
僕は答えた。
「じゃあ、どうするんですか?」
「それを」
僕は一度、息を吸う。
「これから考える必要があると思います」
「具体策は?」
「まだありません」
会場から小さなどよめきが起きる。
でも。
僕は続けた。
「でも、分からないことを分からないままにするより」
女性を見る。
「ここで問題として残しておくほうが大事だと思います」
彼女は少し驚いたような顔をした。
そして。
「……そうですね」
小さく頷いた。
◇
しばらくして。
司会が言った。
「次に、翼返却経験者の方から」
その瞬間。
僕の隣にいた紬が。
少しだけ背筋を伸ばした。
会場の視線が集まる。
「水城さん、よろしいですか?」
「はい」
紬が立ち上がる。
僕は何も言わなかった。
彼女なら。
自分の言葉で話すと思った。
「私は」
紬はマイクを持つ。
「昔、翼を持っていました」
会場が静かになる。
「でも、自分で返しました」
一部から。
小さなどよめき。
「どうして?」
誰かが聞いた。
「翼を持っていることで」
紬は少しだけ考えながら話す。
「自分が何者なのかを、周りに決められているように感じたからです」
あの作業室で聞いた言葉。
でも。
今日はもっと大きな場所にいる。
「翼が嫌いだったわけじゃありません」
「……」
「飛ぶことも好きでした」
澄乃が静かに紬を見る。
「それでも」
紬は続ける。
「そのときの私は、翼を持たない自分を選びたかった」
会場には。
様々な表情が浮かんでいる。
「だから、返しました」
そして。
紬は少し笑った。
「でも、もしかしたら、また飛ぶかもしれません」
ざわめきが起こる。
「まだ分かりません」
紬は言う。
「明日、飛びたいと思うかもしれない」
「……」
「ずっと飛びたくないと思うかもしれない」
「……」
「どちらになっても」
彼女はまっすぐ前を見た。
「私は私です」
その言葉に。
会場が静まり返った。
「翼がある私も」
「……」
「翼がない私も」
少しだけ息を置いて。
「どちらも、私だから」
僕は。
何も言えなかった。
胸の奥が熱くなる。
紬は以前。
ただ「翼を捨てた少女」だった。
僕にとっては。
自分とは正反対の人間だった。
でも。
今は。
少し違って見える。
彼女が守ろうとしているのは。
翼ではない。
選択そのものだ。
◇
「最後に」
司会が言った。
「今回の話し合いを通じて、何を目指すべきだと思いますか?」
その問いに。
すぐに答える人はいなかった。
空中都市の人。
地上の人。
翼を持つ人。
持たない人。
返した人。
みんなが。
違う場所を見ている。
でも。
同じ問いを前にしている。
僕は。
もう一度、マイクを手に取った。
「同じになる必要はないと思います」
会場を見る。
「空中都市の人が、地上の人と同じ生活をしなくてもいい」
「……」
「地上の人が、空中都市の人と同じ翼を持たなくてもいい」
「……」
「翼を持つ人と、持たない人がいてもいい」
その先を。
ゆっくり言葉にする。
「ただ」
一度、澄乃を見る。
そして。
紬を見る。
「違う人たちが」
最後に。
会場全体を見る。
「自分の未来を、自分で決められる社会にはしたいです」
静寂。
誰も拍手しない。
誰もすぐには答えない。
でも。
それでよかった。
拍手で終わる話じゃない。
今日ここにいる人間の中には。
まだ納得していない人もいる。
僕たちを信用できない人もいる。
翼を広げてほしくない人もいる。
それでも。
話をすることはできる。
違う意見を聞くこともできる。
そこから。
一緒に考えることも。
きっとできる。
◇
会議が終わったあと。
会場の外へ出ると。
夕方の空が広がっていた。
雲の向こう。
空中都市が見える。
今日も。
そこには翼がある。
地上には。
森がある。
その間に。
僕たちが立っている。
「疲れた」
紬が言った。
「うん」
「思ってたより緊張した」
「僕も」
「でも」
紬が空を見上げる。
「少しだけ、話せた気がする」
「うん」
澄乃も隣に立つ。
「私も」
僕は二人を見る。
翼を持っている少女。
翼を手放した少女。
そして。
翼を失った少年。
僕たちは。
誰一人として。
同じ場所には立っていない。
それでも。
今。
同じ空を見ている。
「ねえ、朔」
澄乃が言う。
「うん?」
「いつか」
彼女は空を見たまま。
「みんなで同じ空を見上げられるようになるといいね」
「……うん」
僕は答えた。
「でも」
「でも?」
「同じものを見なくてもいいと思う」
澄乃が僕を見る。
「どうして?」
「人によって、見たいものは違うから」
紬が笑った。
「朔らしい」
「そうかな」
「うん」
「じゃあ」
僕は空を見上げる。
「同じ空を見ながら」
「……」
「それぞれ違うものを見ればいい」
三人で。
しばらく黙って空を見る。
飛びたい人。
飛びたくない人。
まだ決められない人。
それぞれが。
それぞれの未来を見ればいい。
僕は思った。
空を共有するということは。
全員が同じ場所へ行くことではない。
同じものを好きになることでも。
同じ生き方を選ぶことでもない。
違うまま。
同じ世界で生きることだ。
その夜。
僕は作業室に戻り。
新しい設計図を開いた。
今日の会議で聞いた言葉を。
一つずつ書き留める。
『飛ぶ自由』
『飛ばない自由』
『変える自由』
『選び直す自由』
そして。
一番下に。
『違うまま、一緒にいる』
その文字を見つめる。
僕はまだ。
何も解決していない。
翼を作っただけで。
社会の境界線が消えるわけでもない。
恐怖がなくなるわけでも。
偏見がなくなるわけでもない。
それでも。
今日。
今まで別々の場所にいた人たちが。
一つの部屋で。
一つの問いについて話した。
それだけでも。
大きな一歩だった。
僕は窓を開ける。
夜の風が入ってくる。
遠くで。
一機の翼が空を横切った。
その光を見ながら。
僕は、静かに思った。
いつか。
あの空を。
誰かだけの場所ではなく。
誰もが選べる場所にできるだろうか。
答えはまだない。
でも。
今日。
その問いを。
僕たちは初めて。
みんなの前に置くことができた。
空は。
誰か一人のものではない。
だからこそ。
誰か一人で決めてもいけない。
そして。
誰かのために始めたものなら。
その未来も。
誰か一人ではなく。
そこに生きる人たち自身が。
選んでいかなければならない。
僕は新しいページを開いた。
次の翼を。
今度は一人で作らないために。
ペンを握った。




