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僕たちには未来へ羽ばたく翼がある  作者: 和泉 きよ


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10/15

10.選んだ翼、選ばなかった翼

 試験当日の朝。


 僕は、いつもより早く作業室に来ていた。


 机の上には、新型翼が置かれている。


 前回まで使っていた試作機と比べると、少しだけ薄い。


 余計な装飾はない。


 速さを追求した形でもない。


 最低限必要な機能だけを残している。


 それでも。


 僕にとっては。


 今までで一番大切な翼だった。


 今日は。


 澄乃が飛ぶ。


「緊張してる?」


 背後から声がした。


 振り返る。


「してる」


「即答だね」


「失敗させたくないから」


 澄乃は笑った。


 空中都市の学校を終えてから来たのだろう。


 制服姿のまま。


 背中には、いつもの「ツバサ」がある。


 銀白色の翼。


 空中都市の人間なら、見慣れた光景だ。


 僕にとっては。


 今でも少しだけ、特別に見える。


「じゃあ」


 澄乃は自分の背中にある翼を見た。


「これとは、今日はお別れだね」


「外すの?」


「うん」


 澄乃はゆっくりと「ツバサ」を外した。


 床へ置く。


 その動作は慣れているはずなのに。


 僕には、少しだけ寂しそうに見えた。


「大丈夫?」


「何が?」


「ずっと使ってた翼でしょう」


「うん」


「手放して」


 澄乃はしばらく黙っていた。


「手放す、っていうほど大げさじゃないよ」


「そう?」


「いつでも戻せるから」


 その言葉に。


 僕は少し驚いた。


「……そうか」


「そうだよ」


 澄乃は新型翼を見る。


「昔の私は、翼を持っていることを守ろうとしてた」


「うん」


「今は、持っていることより」


 彼女は新型翼へ近づく。


「どの翼を使うかを、自分で選べることのほうが大事だと思う」


 僕はその言葉を聞いて。


 少しだけ、胸が熱くなった。


   ◇


「装着するよ」


「うん」


 僕は澄乃の背中に新型翼を取り付ける。


 留め具を一つずつ確認する。


「痛くない?」


「大丈夫」


「締めすぎてない?」


「大丈夫」


「本当に?」


「朔」


「何?」


「心配しすぎ」


 澄乃が笑う。


「でも」


 すぐに真面目な顔になる。


「ありがとう」


「何が?」


「私が嫌だって言ったら、すぐ止めてくれるんでしょう?」


「もちろん」


「だから、安心する」


 その言葉を聞いて。


 僕も少しだけ笑った。


「起動するよ」


「うん」


 スイッチを入れる。


 翼が静かに動き出す。


 以前より振動が少ない。


 澄乃の髪が、わずかな風に揺れる。


「……変な感じ」


「重い?」


「違う」


「じゃあ?」


「自分で選んだものを背負ってる感じ」


 僕は、その言葉を聞いて。


 一瞬、何も言えなくなった。


 自分で選んだもの。


 それは。


 僕が今まで、翼に求めてきたものと。


 少し違っていた。


 僕はずっと。


 翼を『取り戻す』ことを考えていた。


 でも。


 澄乃は。


 翼を『選ぶ』ことを考えている。


 似ているようで。


 まるで違う。


「行ける?」


 僕が聞く。


「うん」


「怖い?」


「ちょっと」


「やめてもいいよ」


「まだ大丈夫」


 澄乃は空を見た。


 地上から見上げる空は。


 空中都市にいたころより狭く見えるかもしれない。


 でも。


 彼女はまっすぐ見つめていた。


「じゃあ」


 僕が合図を出す。


「行こう」


 翼が出力を上げる。


 身体が浮く。


 一メートル。


 二メートル。


 三メートル。


 澄乃は静かに上昇していく。


「姿勢、安定」


「うん」


「少し左へ」


「了解」


 彼女が操作する。


 翼が応える。


 身体がゆっくりと動く。


 空中都市の「ツバサ」と比べれば。


 決して速くない。


 高くもない。


 でも。


 その動きには。


 どこか余白がある。


 急かされない。


 競わされない。


 そんな飛び方だった。


「どう?」


 僕が通信で聞く。


「……好きかもしれない」


「本当に?」


「うん」


 澄乃の声に。


 小さな笑いが混ざった。


「こっちのほうが、自分で飛んでる感じがする」


「今までの翼は?」


「飛ばされてる感じがしたわけじゃないよ」


「うん」


「ただ」


 少し間があって。


「持っているのが当たり前だったから」


 その言葉を聞きながら。


 僕はモニターを見る。


 飛行状態は安定している。


 風も穏やか。


 予定通り。


 でも。


 僕が見ていたのは。


 数値だけではなかった。


 澄乃の顔だった。


 空の上で。


 とても嬉しそうに笑っている。


 その姿を見ていると。


 胸の奥が少しだけ騒がしくなる。


 自分が作った翼で。


 あの子が飛んでいる。


 それだけなのに。


 何だか。


 自分まで空へ上がっているような気がした。


「朔」


「何?」


「もう少し上がってもいい?」


「予定高度は――」


「お願い」


「……条件は守って」


「分かってる」


 少しだけ迷って。


「五メートルまで」


「了解」


 澄乃はゆっくり上昇する。


 四。


 五。


 そこで止まる。


「どう?」


「うん」


 澄乃は空を見回す。


「この高さ、好き」


「低くない?」


「高すぎると怖いから」


「なるほど」


「でも、これくらいなら」


 声が少し明るくなる。


「周りもよく見える」


 その言葉に。


 僕は笑った。


 高く飛ぶことだけが。


 飛ぶことの価値じゃない。


 速く進むことだけが。


 飛ぶことの価値じゃない。


 どこまで飛びたいか。


 どんな速さで進みたいか。


 何を見たいか。


 それだって。


 全部、自分で決めていい。


「じゃあ、少し旋回してみよう」


「うん」


 澄乃が機体を傾ける。


 新型翼が滑らかに方向を変える。


 空を大きく回る。


 地面の森が円を描く。


 木々の隙間から。


 僕たちの施設が小さく見える。


 そして。


 さらに遠く。


 空中都市も見えた。


 澄乃のいる世界。


 僕がいた世界。


 今は。


 その二つが。


 同じ視界の中にあった。


「朔」


「ん?」


「見える?」


「ああ」


「空中都市」


「見える」


「なんか不思議」


「何が?」


「昔は、あそこから地上を見てた」


「うん」


「今は、地上からあそこを見てる」


「そうだね」


「同じ景色なのに」


 少し笑って。


「意味が違うね」


 僕はその言葉に。


 静かに頷いた。


   ◇


 飛行時間を終えて。


 澄乃が地上へ戻ってきた。


 着地。


 翼停止。


 僕はすぐに駆け寄った。


「大丈夫?」


「大丈夫」


「どこか痛い?」


「大丈夫だって」


「本当に?」


「朔、今日は何回それ言うの?」


「たくさん」


「数えたら?」


「十回くらい」


「多いよ」


 二人で笑う。


 その笑い声が。


 妙に心地よかった。


「どうだった?」


 僕が聞いた。


 澄乃は新型翼を見る。


「楽しかった」


 その一言が。


 僕には嬉しかった。


「それだけ?」


「うん」


「もっと感想ない?」


「あるよ」


「聞きたい」


 澄乃は少し考えて。


「この翼」


「うん」


「好き」


「……」


 思わず。


 言葉が止まった。


「どうしたの?」


「いや」


「顔、赤くない?」


「暑いから」


「今日そんな暑くないけど」


「……気のせい」


 澄乃が笑う。


「ふふ」


「笑わないで」


「だって面白いから」


 僕は誤魔化すように計測端末を見る。


 飛行時間。


 安定率。


 操縦ログ。


 どれも良好だ。


 それでも。


 一番大切な記録は。


 たぶん。


 計測端末には残らない。


『自分で、この翼を選んだ』


 その事実だった。


   ◇


 夕方。


 紬が作業室へ来た。


「飛んだんだって?」


 扉を開けてすぐ。


 そう言った。


「うん」


「澄乃が?」


「そう」


「どうだった?」


「問題なかった」


「そうじゃなくて」


「え?」


「本人は?」


 僕は少し笑った。


「楽しかったって」


「そっか」


 紬は机の上に置かれた翼を見る。


「私とは違うね」


「何が?」


「私は、まだ飛ばない」


「うん」


「澄乃は飛びたいと思った」


「そうだね」


 紬は翼を見たまま。


 少しだけ考え込んだ。


「……私も」


「え?」


「少しだけ」


 紬は自分の胸元へ手を当てた。


「飛びたいかもしれない」


 僕は黙った。


「でも」


 紬は続ける。


「今日は飛びたくない」


「うん」


「明日も分からない」


「うん」


「来週なら飛びたくなるかもしれない」


「うん」


「でも、十年後にはまた飛びたくないって思うかも」


 僕は笑った。


「それでいいと思う」


「うん」


 紬も笑う。


「それなら、まだ決めなくていいね」


「決めなくていい」


 その返事をしたとき。


 自分の中で。


 一つの考えがはっきりした。


 翼は。


 人間に答えを与える道具ではない。


 答えを選べるようにする道具だ。


 飛ぶか。


 飛ばないか。


 今決めるか。


 後で決めるか。


 一度決めたことを変えるか。


 変えないか。


 その全部を。


 その人自身の選択として残せること。


 それが。


 僕の作る翼の意味になっていく。


「紬」


「なに?」


「この翼、どう思う?」


「うん」


 紬は少しだけ考えた。


「いい翼だと思う」


「どうして?」


「飛びたくない人にも、飛びたい人にも、同じものを押しつけないから」


「……」


「それに」


 紬は翼を撫でる。


「飛んだ人が、また飛ばなくなっても責めないでしょう?」


「うん」


「飛ばない人が、いつか飛びたくなっても笑わないでしょう?」


「うん」


「だったら」


 紬は小さく笑った。


「私には、今までの翼より自由に見える」


 その言葉を聞いて。


 僕はしばらく黙っていた。


 自由。


 それは。


 速いことでも。


 高いことでも。


 強いことでもなかった。


 自分で決められること。


 そして。


 決め直すことさえ許されること。


 そのとき。


 僕は初めて理解した。


 この翼を作る目的は。


 「みんなを飛ばすこと」ではない。


 そんなことではない。


 空中都市の人たちに。


 地上の人たちに。


 翼を持つ人にも。


 持たない人にも。


 同じように。


 選ぶ余地を渡すこと。


 それこそが。


 この翼の意味なのだ。


   ◇


 夜。


 澄乃から一通の連絡が届いた。


『今日はありがとう』


 短い文章。


 僕も。


『こちらこそ』


 と返した。


 少し考えて。


 もう一行。


『楽しそうでよかった』


 送る。


 しばらくして。


『うん。自分で選んだ翼だから、余計に嬉しかった』


 その文章を何度も読み返した。


 自分で選んだ翼。


 その言葉が。


 心に残った。


 昔の僕は。


 翼を持っていることが。


 自分の証明だと思っていた。


 だから失ったとき。


 自分まで失ったように感じた。


 でも。


 今なら少し分かる。


 僕を僕にするのは。


 背中に何がついているかではない。


 何を選ぶか。


 そして。


 選び続けることだ。


 窓の外を見る。


 夜の空。


 空中都市の明かり。


 地上の森。


 その間を。


 見えない境界線が通っている。


 まだ。


 その線は消えていない。


 でも。


 今日。


 澄乃が、その線を一度だけ越えた。


 空中都市の人間が。


 地上で作られた翼を選んだ。


 紬は。


 そこに飛ばないという選択を残した。


 そして僕は。


 その二つの選択を。


 どちらも正しいと思えた。


 それは。


 ほんの小さな変化だった。


 世界は。


 まだ何も変わっていない。


 空中都市も存在する。


 地上と空の境界も残っている。


 翼を持つ人と。


 持たない人もいる。


 それでも。


 僕の中では。


 一つだけ。


 確かに変わった。


 翼は。


 「持っているか、持っていないか」ではない。


 「飛ぶか、飛ばないか」でもない。


 その人が。


 何を選びたいのか。


 それを守るためにある。


 僕は新しい設計図を広げた。


 そして。


 タイトルの下に。


 初めて、正式な言葉を書き込んだ。


『選択するための翼』


 その文字を見ながら。


 僕は思った。


 いつか。


 もっとたくさんの人が。


 この翼を選ぶ日が来るかもしれない。


 そのとき。


 僕は。


 この翼を通して。


 一体、どんな未来を見るのだろう。


 まだ分からない。


 けれど。


 分からないからこそ。


 楽しみだった。


 未来は。


 まだ誰にも。


 決められていない。


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