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北嶺の砦街ヴェイン

荷帳の抜き書き。

 王国歴1636年 実りの月 ヴェイン

 売り 底塩三俵、針二百本、糸五十かせ。仕入れ 熱石鉱十二箱。

 余白に。ヘルガ婆を探して隧道を半日歩く。婆は人ではなかった。


 行商人が集まると、たまに、どこまで遠くへ行ったかの自慢合戦になる。海を見た、と言えばたいてい勝てるのだが、一度だけ、ヴェインまで行ったと言う男に負けた。悔しかったので、次の年、行った。若いというのはそういうことである。


 ヴェインは北の果ての砦街だ。国の地図の色が塗ってあるより、まだ北にある。一人で行ける場所ではないから、夏のうちに底塩と穀物を運び上げる隊商に、荷車ごと加えてもらった。最後の村を過ぎると、道というものがなくなる。白い原がただ続いて、生き物の声がしない。あの静けさは、寒さより先に体に応えた。何日目かの昼、その白の向こうに黒いものが見えた。猛吹雪を受け止めるための、巨大な黒石の防壁だった。白しかない場所で見る黒というのは、あんなに頼もしいものかと思った。


 門をくぐると、街は岩山の中にある。通りは掘り抜きの隧道で、家は岩をくり抜いた横穴で、明かり取りの竪坑から雪明かりが落ちてくる。そして、暖かい。外套を脱いで、角を二つも曲がれば、みんな袖をまくって歩いている。地の底の熱と、街の真ん中で燃え続ける大きな炉のおかげだそうで、外の白い地獄との落差に、着いた日は頭が追いつかなかった。


 さて、その炉のことだ。隊商の古株に、着いたらまずヘルガ婆に当たってこい、と言われていた。私は律儀に、ヘルガ婆という老婆を探して隧道を半日歩いた。すれ違う人に訊くたび、妙な顔で笑われて、しまいに親切な鉱夫が炉の広間まで連れて行ってくれた。ヘルガ婆というのは、炉の名前だった。街じゅうの家の火がこの炉から分けられた子の火で、だから炉が婆なのだという。誰の名前だったのかは、もう誰も知らない。最初の炉番の名だとも、最初の狩り手の女房の名だとも言われて、酒場で真顔の言い争いになる。よそ者が老婆を探して街を歩くのは、聞けばヴェインでは定番の笑い話らしく、私はその晩、酒場で三人ばかりに肩を叩かれた。あんたで今年五人目だ、と。


 そもそもこんな北の果てに、なぜ街があるのか。宿で聞いた話では、昔ここには何もなかったのだそうだ。それがいつの時代か、狩り手の一隊が岩山の裂け目に内界を見つけた。白坑と呼ばれるその坑は、中は氷のように冷えているくせに、壁を走る石の脈だけがほのかに温かい。それが熱石鉱だ。掘り出して、ヘルガ婆で幾日も焼き込むと、火がなくても長いあいだ熱を放ち続ける。北方の家々の冬は、この石が支えていると言っていい。氷の荒野に暖の源が湧いたようなものだから、坑のまわりに小屋が建ち、小屋が石屋根になり、石屋根が岩をくり抜いて、いまの砦街になった。目利きは石を頬に当てて、あと何日、と持ちを言い当てる。私も真似してみたが、温かい、としか分からなかった。商人としては、冬の手前に南へ運べば必ず売れる、それが分かっていれば十分である。


 着いた晩には、氷砕きというものを飲まされる。強い麦の酒に、炉で熱した小石をジョッキごと放り込んで、沸き立ったところをやる。石がじゅっと鳴って、湯気が上がって、ひと口で喉から腹まで一本の熱い筋が通る。旅の間じゅう体の芯に居座っていた氷が、あれで音を立てて砕けた気がした。石を入れるのは家の主人の役目で、石の大きさに歓迎の度合いが出る、と言われている。私のジョッキに入った石はなかなかの大きさだった。底塩を三俵も担いで来たのだから、当然といえば当然である。


 馳走の話に移ろう。ヴェインのいちばんの皿は、凍角獣の塩釜焼きだ。例の白坑で獲れる獣の肉で、そのままでは革のように硬いそうだが、底塩を固めた釜に包んで、炉の余熱で半日蒸し焼きにする。祝いの席では、塩の釜を槌で割る役を主賓にやらせる。泊った宿で、隊商の来訪を祝ってその料理がふるまわれ、ありがたいことに割る役をさせてもらった。私の売った底塩がその釜になっていたから、割り甲斐もひとしおだった。ひと打ちで釜が割れて、湯気が立って、ほどけた肉から甘い脂の匂いが上がる。肉は噛むほどに味が出て、塩の効き方が外からではなく中から来る。狩りがうまくいって、塩の道が無事だった年にしか出ない皿だそうで、北の人たちはこの皿のことを、良い年、と呼んでいた。皿の名前が年の名前になっている土地を、私はほかに知らない。


 ヴェインでは、紙と墨があまり役に立たない。外に出れば墨が凍る。私は三日ぶんの商いを頭で覚えて、宿に戻ってから荷帳に付けた。行商を始めて以来、帳付けをあんなに溜めたのは初めてで、荷帳に書く手が忙しくて往生した。そのかわり、この街には石がある。大路の壁一面に、彫り物の帯がずっと続いていて、街の決まりも、亡くなった人の名前も、大きな取引も、残すべきことはみんな石に彫ってある。百年前の商人同士の約定が彫られていて、それがいまも生きて守られている、と聞いた。私の荷帳は、私が死ねばただの紙の束だ。石に彫られた取引は、彫った者が死んでも取引のままでいる。帳面を命だと思って生きてきた身には、あの壁は少し、こたえるものがあった。


 滞在の途中で、白嵐というものにも遭った。真っ白な嵐で、門が閉ざされて、区画ごとに人数が数えられる。宿の女将が申告に出て行くとき、私に言った。ここでは、あんたの頭数はあんただけのものじゃないからね。数え終わって、欠けがないと分かるまでの街の静けさと、欠けなしの触れが回ったあとの、ほっとしたざわめき。あの晩の氷砕きは、着いた晩のよりうまかった。


 奥のお方の話は、書くかどうか迷ったが、聞いたままなら許されるだろう。火酒の二杯目あたりで、古株の狩り手がぽつりぽつり話してくれたことである。街から半日、氷の崖に青い口が開いていて、その奥に、とても古い何かが棲んでいるという。何か、としか誰も言わない。奥のお方、と呼ぶだけで、詳しく訊くのは野暮とされている。年に一度、炉の火を分けた灯りを、口の見える尾根まで運んで置いて帰る習わしがあって、灯りは翌朝には消えている。風のせいだと言う者と、そうでないと言う者がいる。ずっとずっと昔、橇一台でその口まで行った者がいたそうだ、という話も出た。学者だったとも、ただの物好きだったとも、帰ってきたとも、そのまま奥に消えたとも言う。どれが本当かは、話している当人たちも知らないようだった。昔話というのは、ああやって角が取れて丸くなっていくものなのだと思う。


 私も一度だけ、拝みに行った。拝みに行く者は手ぶらで行くのが決まりで、商売道具はおろか、荷帳まで宿に置いていく。荷帳を置いて半日歩いたのは、あとにも先にもあれきりだ。尾根の上から見た青い口は、遠くて小さくて、それでも目が離せなかった。何に手を合わせたのか、自分でもよく分からない。ただ、身ひとつで立つと、人間はずいぶん小さな荷物なのだと分かった。


 帰り道のことも書いておきたい。仕入れた熱石鉱の箱は、ほんのり温かい。南へ下る幾日ものあいだ、荷台のその一角だけがずっと温かくて、休むたび、みんなが自然とそこへ寄った。荷が温かいというのは、思いのほか心強いものである。冬の店先で熱石鉱を売るとき、私はいまでも、あの白い原と黒い壁と、婆と呼ばれる炉のことを思い出す。北自慢の合戦には、あれ以来負けたことがない。例の男にはあれきり会っていないが、もし会ったら、勝ち負けは抜きにして、ヘルガ婆を探して半日歩いた話で笑わせてやるつもりだ。


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