坂と香辛料の港町オルメ
荷帳の抜き書き。
王国歴1634年 実りの月 オルメ
仕入れ 七種の合わせ香三十袋、底塩二俵、香り袋二十。売り 北の針二百本、毛の紐、こまごま。
余白に。祠に釦をひとつ。頂き物、木の櫛ひとつ。損得は言わない決まりだそうだ。
海を初めて見たのは、二十四の年、オルメでだった。峠をひとつ越えた先で、道の行き止まりに青い壁が立っているのかと思った。あれが全部水だと呑み込むまで、荷車を停めてしばらくかかった。湖なら知っている。ウルの湖は山ひとつ呑むほど大きい。それでも湖には向こう岸というものがある。海には無かった。無いということが、あんなに堂々としているとは知らなかった。
オルメは、私の商域の南の外れよりさらに外れにある港町だ。行った回数は、生涯で片手に収まる。底塩や七種の合わせ香なら、ふだんは街道の問屋筋や、年に一度の大市で手に入る。わざわざ産地の港まで下るのは、商いの筋で言えば道楽に近い。若いころ、いつもの道筋ばかり回っていることがふと心細くなって、思い切って足を伸ばしたのが最初だった。海と山がひどく近い町で、平地は水際の一筋しかなく、家々は裏手の丘の斜面にせり上がって建っている。石段の坂道が網の目に走って、下の家の屋根が上の家の庭先と同じ高さにある。路地を曲がるたび、屋根越しに瀬戸の水面が光った。大きな船は沖のネビ島との間に錨を下ろし、荷ははしけで岸に運ばれて、岸からは坂に敷いた綱道を、轆轤で蔵まで引き上げられていく。引き上げの掛け声は荷の重さで変わるそうで、町の者は音だけでその日の商いの景気が分かると言っていた。
街を歩いていると、潮の匂いに、香辛料の蔵の匂いが混ざる。雨の翌朝には、側溝の水が香辛料の粉でうっすら金色に流れていた。オルメ自身の産物は多くない。山国から街道を下ってきた底塩が船に積まれて遠方へ発ち、遠方から船で着いた香辛料が荷車に積まれて内陸へ上っていく。町はその行き交いの結び目で、蔵ごとの焼き印が付いた荷は、中身を検めずに取引されるほど信用が固い。若い私には蔵の門構えのいちいちが大きく見えて、自分の荷車が笊のように見えた。
商いの途中で、妙な目にも遭った。値の掛け合いの真っ最中に、相手の蔵の番頭がふっと黙って、茶を淹れ始めたのである。喧嘩を売られたのかと思ったら、夕凪だった。夕方、瀬戸の風がやんで水面が鏡になる短いあいだ、オルメでは値の話をしない。風のない間は値も動かさぬものだ、と言うが、訳は誰も知らないらしい。仕方なく茶を飲んで、風が戻ったら、番頭は何事もなかったように掛け合いの続きを始めた。今でもあの間合いの意味は分からない。ただ、悪い決まりではなかった。ひと呼吸置いた値の掛け合いは、置く前より少しだけ穏やかになる。
食事も忘れがいたい。オルメの台所の味は潮煮だ。瀬戸の魚を底塩と香辛料で煮込んだもので、安い雑魚ほどうまく化ける、と土地の者は自慢する。屋台では香辛料で黄色く炊いた香り飯の上にこの潮煮を掛けて、仕上げに七種というオルメ名物の合わせ香辛料をひと振りする。荷役たちに混じって立ち食いした最初の一口を、いまでも覚えている。魚の汁が飯に染みて、香辛料が鼻に抜けて、汗が出て、なぜだか笑えてきた。内陸に戻ってから同じ味が恋しくなって、七種を振って似た煮物を作ってみたが、どうしても届かない。オルメの味は、あの湿った潮風と坂の匂いまで込みなのだと思う。以来、七種の袋を売るときは、味は七掛けだと思ってくれ、と正直に言って売っている。それでも売れるのだから、大した香辛料である。
さて、商人ならあの置き替えの祠の話をしなければならない。街道から町に入る入り口に、流転神さまを祀った小さな祠がある。土地の者はとりかえさまと呼ぶ。留まることを知らない神さまに、旅もまた留まらぬようにと願って、商人は町に持ち込んだ品を何かひとつ祠に置き、代わりに、供えられている品をひとつ持ち出す。置かれた品は誰かの旅を経てここまで来た品で、持ち出す品はこれから自分の旅を続ける品になる。取り替えは一対一、そして取り替えた品の損得を口にしてはいけない。祠の前では、値打ちは品ではなく旅にあるからだそうだ。
最初の年、私は祠の前でずいぶん長いこと突っ立っていた。置く品が決められなかったのだ。荷のどれを置いても商売物で、商売物というのは、置けば損得の勘定が立ってしまう。さんざん迷って、結局、懐から父の釦をひとつ出した。小間物売りだった父の見本箱に残っていた、貝殻の釦だ。独り立ちからずっと懐に入れて歩いていた。あれなら損得の立てようがない。釦を棚に置いて、代わりに、粗末な木の櫛をひとつ頂いた。祠の見える茶屋の縁台に、置き帳を付けている隠居の爺様がいて、私の釦と櫛を、几帳面な字で書き留めてくれた。
何年かして、二度目にオルメへ行ったとき、その爺様がまだ縁台にいた。釦のことを訊いたら、置き帳をめくって、教えてくれた。翌る年の春、東へ帰る若い船大工が持っていったそうだ。いい奴だったよ、と爺様は言ったが、置き帳には品のことしか書いていないはずだから、あれはたぶん出まかせである。それでも、帰り道の峠で、東の空を見た。小間物売りの釦が、私の知らない海辺を旅している。父はどう思うだろう。売り物を只でやる奴があるか、と言うだろうか。それとも、いい取引だ、と言うだろうか。
木の櫛は、いまも使っている。歯が二本欠けたが、替える気にならない。あれは買った品ではなくて、誰かの旅の続きを預かっている品だからだ。娘が独り立ちするとき、荷に入れてやろうかと、このごろ考えている。オルメまで行って、何かひとつ置いて、この櫛の旅も続けておいで、と。もっとも、あの子が海を初めて見る顔は、できれば隣で見たい気もする。親というのは欲張りなものである。




