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道の上

 荷帳の抜き書き。

 王国歴1649年 花冠の月 西街道の上

 売り 塩ひと袋、針五本、縄一本(すれ違った荷車に)。仕入れ 車軸の油少々、南の噂ふたつ。

 余白に。宿代なし。星がよく見えた。


 最後に、行商人がいちばん長くいる場所はと聞かれたら、どの街でもない。道の上だ。荷帳のどの頁にも街の名が入っているように見えて、頁と頁の間には、名のない晩がいくらでも挟まっている。


 道の上の一日は、単純にできている。夜明け前に火を熾して、麦粥を炊いて、馬に水をやって、明るくなったら歩き出す。荷車の速さは歩く速さで、それより速くはならない。だから行商人の目は、乗り物の目ではなく、歩く者の目だ。道端の草の伸び方で季節を測り、轍の深さで前を行く荷の重さを当て、遠くの砂ぼこりで、向こうから来るのが荷車か馬かを見分ける。退屈だろうとよく言われるが、三十年やって、退屈だった日をうまく思い出せない。道は毎日、同じ顔をしていない。


 すれ違う荷車とは、足を止めて二言三言交わすのが道の作法だ。先の橋の具合、次の宿場の混み、雨の来そうな山の色。こちらは来た道のことを渡し、向こうは行く先のことをくれる。銭は動かないが、あれは立派な商いである。道の上では、噂がいちばん軽くて、いちばん高い荷だ。ついでに、小さな売り買いもする。塩が切れた、針が折れた、縄が足りない。困りものは道の上では店の三倍の値打ちになるが、吹っかけないのが言わず語らずの決まりで、理由は簡単、いつか自分が困る側に回るからだ。荷帳の頭に写した塩と針も、そうやって売れたものだ。


 道の商いには、街の商いにない妙がある。値が、市場ではなく、相手の旅の都合で決まることだ。若いころ、峠の下りで、家路を急ぐ年寄りの行商人と行き合わせた。商いを終えて東へ帰るところで、荷台に売れ残りがひと箱残っていた。孫の顔を見に急ぐから荷を軽くしたい、と言う。中身も検めずに箱ごと、塩二袋と引き換えた。博打のつもりだったが、開けてみると南の香りの布が底に畳んであって、次の街で塩二十袋ぶんになった。逆もある。日暮れの道で、車軸を折って立ち往生していた親子に、替えの軸棒を原価で譲ったことがある。損得で言えばただの損だ。ところが三年ばかりして、ヴェレンの市で見知らぬ大店の番頭に呼び止められた。あの晩の親子の、親のほうの店だった。以来ずっと、うちのいちばんの得意先のひとつである。道の上の商いは、こういうふうに、忘れたころに遠くで芽を出す。街の市場では、こうはいかない。


 トルムで触れた旅団は楽人と芸人の一座で、荷車を連ねて諸国を回っている。何年かに一度、道で行き合わせることがあって、方角が同じなら、二日でも三日でも連れ立って歩く。旅の連れとして、あれほど心強い相手はいない。道に詳しく、火の始末が上手で、夜はあちらの焚き火から唄が聞こえてくる。一度、飾り釦の在庫を箱ごと買い上げられたことがある。衣装に付けるのだという。峠のただ中で、店も市もないところで、その年いちばんの大口が売れた。世の中どこで何が売れるか分からない、と当時の荷帳に書いてあるが、いまなら少し直したい。どこで、ではない。誰と行き合うか、である。別れ際、座の年寄りが、道の唄をひとつ教えてくれた。歩く拍子に合う、なんでもない唄だ。いまでも長い登り坂では、あれを小さく歌っている。馬の耳が、あの唄のときだけこちらを向くので、たぶん馬も覚えている。


 旅の空の食事は簡単で、朝は麦粥、昼は歩きながらの堅焼き、夜は焚き火で干し肉を炙って、豆を煮る。書き並べると貧相だが、道の飯には道の味付けがある。ダレの三本松で持たされる堅焼きは昼になっても固くならない、と前に書いたが、あれのほんとうの値打ちは、峠の途中で齧るときに分かる。それから、街道筋の井戸には、うまい井戸とそうでもない井戸があって、行商人はみんな、頭の中に水の地図を持っている。ヴェルツ街道の三本目の辻の井戸は、うちの水の地図では国いちばんだ。夏の夕方にあそこで汲む一杯のために、半日の道順を曲げたことが何度もある。トバンは呆れるが、汲んだ水はトバンのほうが多く飲む。


 宿場に届かない晩は、道端で夜を明かす。夜営の火は、街道の先にも後ろにもぽつぽつと見えて、あれはあれで、一晩きりの小さな村のようなものだ。近くの火とは薪を分け合い、遠くの火とは何も言わずに、互いの位置だけ覚えておく。夜中に馬が鳴けば、隣の火の誰かも起きて耳を立てる。名前も知らない者同士が、そうやってひと晩、番を分け合う。物騒な目にまるで遭わなかったとは言わないが、三十年でこの数なら上等だ、と言える程度には、道は人を守ってくれた。降るような星の晩に、荷台の下で馬の寝息を聞いていると、宿代を払って屋根の下で寝ている連中のほうが、少し損をしている気さえしてくる。荷帳の余白の、宿代なし、星がよく見えた、はそういう晩の一行だ。


 うちの馬のことも、一行だけ。名はナズナという。道端の草の名だ。道で暮らす者の名は道で拾うのが、うちの流儀である。ダレの三本松の女将は、二年ぶりに行ってもこの名を覚えていて、先に馬の顔を見てから、私に挨拶をする。順番としては、たぶんそれで正しい。荷を引いているのはあちらで、私は横を歩いているだけだからだ。


 この本で、たくさんの街のことについて書いた。だが本当のことを言えば、街と街の間の、書かなかった道の話が一本ずつ挟まっている。ミルヴァとヴェレンの間の道、ダレとオルメの間の峠、王都から家までの帰り道。街は泊まるところで、道は暮らすところだ。道にこそ行商人の人生があり、そんな道の先に出会うからこそ街の面白さがあるのである。


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