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結 謝辞にかえて



 聞き書きの控えの抜き書き。

 王国歴1652年 刈入れの月 ヴェレンつくも市

 小間物の女商人。口上、値切りは挨拶、払いは気前よく。品ではなく来歴で売る。

 

 本を締める頁だけ、また私が預かることになった。締めの口上は買い手がやるものだ、と彼女が言って譲らなかったからである。三十年の商人に売り買いの理屈で来られると、学者に勝ち目はない。


 まず私の来歴の話を少しさせていただきたい。祖父ダイン・ロ・ヴァルガは、内界を自分の足で歩いて『内界諸国見聞紀行』を書いた、地誌学実踏派の白眉と呼ばれる人である。孫の私は祖父ほど足が強くない代わりに、こう考えている。世界は、歩いた者の紙にだけ残るのではない。荷帳、宿帳、航路録。市井の紙の隅にこそ、年代記の拾わない世界が残っている。だから私は学院の机よりつくも市の床几にいることが多く、品を買わずに来歴ばかり訊くので、市では変わり者で通っている。自覚はある。


 白状しておくと、荷帳を見せてほしいと頼んだ商人は、彼女が初めてではない。何十人にも頼んで、快く見せてもらってきた。そして、快く開かれた帳面には、いつも数字しか書いていなかった。それで十分なのである。帳面とは本来そういうものだ。


 冒頭に引いた控えの日、彼女は定期市で、訳ありの品を、訳ごと売っていた。値が付いているのは品物ではなく、来歴のほうだった。買い手が値切り、彼女が受けて立ち、掛け合いがひとしきり済んで、買い手は妙に機嫌よく銭を払って帰っていった。そのあとで彼女が、仕入れの年を確かめるのに荷帳を開いた。数字の列の脇に、小さな字でひとことだけ、商いとは関わりのない何かが書いてあるのが見えた。読めたわけではない。ただ、そこに何かが在る、とだけ分かった。控えの余白の、荷帳が見たい、はその日の一行である。


 何度も通い、数日たって、学院の書庫に荷帳を納めてもらえないかと頼んだ。断られた。即答だった。帳面は商人の命だから、と。そのとき腑に落ちたのである。快く開かれた帳面には数字しかなく、命だと言って閉じられた帳面にだけ、余白があった。私が欲しかったのは、初めからその余白のほうだった。だから頼み直した。荷帳ではなく、余白を本にしてくれないか、と。その余白に何が書かれていたのか、いまとなっては、あの日の私より読者のほうがよほど詳しい。


 引き受けてもらうまでも一悶着あった。彼女は、私は文を書く人間ではない、値札なら三十年書いてきたが、と言った。それなら値札から始めればいい、ということで、各章の頭に荷帳の抜き書きを掲げる作りは決まった。国のなりたちの章は、あんたが書け、と言われて私が書いた。仕舞いの報酬の掛け合いでは、相場より安い値を彼女のほうから言われ、そのかわり、と付いた条件が、刷り上がりを二冊、子らに、だった。値切りは挨拶、払いは気前よく。看板に偽りはなかった。売り手の側に回っても、である。


 この本の値打ちについて、学者としてひとことだけ。ここに書かれたことの大半は、年代記にも代官の帳簿にも残らない。夜明けの薬草市で検印の紙札を検める役僧の手つき。差し出された椀の受け方。竈を埋めて交わす、来年また。そういうものは、暮らした者の余白にしか残らない。祖父は世界の際を歩いて書いた。彼女は世界の真ん中を歩いて書いた。地誌学は、この両方でできているべきだと私は思う。


 謝辞を。まず、筆者ネラ・ヴィ・ロタンに。頼んだ側が言うのも妙だが、これほどの帳面がこの世に一冊しかないのは惜しいことだと、いまも思っている。それから、執筆のあいだ家の商いを余計に背負われたであろうトバン氏と、お二人のお子に。最後に、ここまで読んでくれた読者に。


 王国歴1653年 聖燭の月 学都ヴェレンにて

 地誌学院 テオ・ロ・ヴァルガ


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