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幌の街トルム

 荷帳の抜き書き。

 王国歴1652年 日盛りの月 トルム

 九日 入り。場は南寄り、三つ目の石の脇。

 十日 売り ヴェルツの糸五十かせ、打ちフェルト二十枚。仕入れ 北の冬毛皮八枚(ガルドとイザ、うち二枚ぶんは払い来年)。

 十二日 売り 七種の合わせ香二十袋、ミルヴァの帯十本。仕入れ 南の乾し果ふた箱(ネビムの兄弟)。

 十四日 仕入れ 車輪ひと組(トルムの車大工トッボ、銭はその場で。受け取りは来年)。

 十六日 売り 北の針、こまごま。仕入れ 東の麻を反で十。

 十八日 発ち。貸し借り、差し引きなし。竈を埋めた。

 余白に。来年もここで。


 一年のうちで、行き先を考えたことのない月が、ひとつだけある。日盛りの月だ。この三十年あまり、日盛りの月のどこかで、私は必ずトルムにいた。子供のころは親の荷台に乗って、独り立ちしてからは自分の荷車で、一緒になってからはトバンと荷車二台で。もっとも、ひと月まるまるいるわけではない。行商人は、売って仕入れたら発つのが商売だ。月のいつ入って、いつ発つかは、その年の道と商い次第で、祭りに間に合う年もあれば、月の半ばに滑り込む年もある。それでも、この月だけは行き先を選ぶという頭がそもそもない。ついでに白状すると、今回の抜き書きがいつもより長いのは、一年でいちばん書き込みの多い頁だからだ。丸ごと写したいのを、堪えてこれだけにした。


 トルムは、平原のただ中で四方の街道が交わるところにある、小さな宿場町だ。井戸と、旅籠が三軒、鍛冶と車大工が一軒ずつ。ダレをひと回り小さくしたような町で、一年のうち十一の月は、通りがかりの旅人に飯と寝床を出して静かに暮らしている。それが日盛りの月になると、様変わりする。月の初めの祭りに合わせて市が立ち、ほうぼうから行商人が集まって、町の外に荷馬車を置き始める。月半ばには幌と幌が軒を連ね、荷馬車の列がそのまま通りになって、気づけば平原にひとつの街が現れている。幌の街、と人は呼ぶ。売り終えた者は発ち、空いた場所には次の者が幌を張るから、ひと月のあいだ、住人が入れ替わり続ける街でもある。月が終われば潮が引くように皆が散って、あとには刈り跡の平原と、静かなトルムだけが残る。


 始まりは百年ほど前の、トルムの祭りだと聞いている。日盛りの月は、平原のあちこちで穫れ始めの野菜や麦が動き出す月で、トルムはその実りの走りを祝って、町の発展と、街道を行く者の道中安全を祈る祭りを開いてきた。祈られる側の行商人が祭りに足を止め、市で穫れたてを仕入れ、そのうち、商人に向けて商う行商人が現れた。客が商人なら、荷は箱ごと、反物は梱ごと売れる。うまみを知った者が翌年も来て、それを見越した者がさらに来る。三十年ほどで幌が平原を埋める規模になり、以来七十年あまり、幌の街は毎年同じ月に、同じ平原へ現れ続けている。格式の上では、これだけ育ったいまも「トルムの祭りの市」で、われわれは祭りの露店だ、というのが商人の側の建前だ。みんなこの建前を案外大事にしている。建前が守られている限り、この市はトルムの町のものだからだ。世界最大の祭りの市、と商人たちは笑っている。


 だから市の初日は、いまも昔ながらの祭りの日だ。商人たちは店を開ける前に、村の小さな社へ詣でる。祀られているのは流転神さま。オルメのとりかえさまと同じ、留まらない神さまで、道の神さまというのは、どうやらどこへ行っても私の商売の元締めらしい。社の前には、穫れ始めの野菜と、旅の荷からひとつまみずつ、実りと商いの初物が並ぶ。祈られる側だった行商人が、いまでは祭りの主役の半分を占めている。もっとも、私がこの祭りに間に合うのは、二年か三年にいっぺんというところだ。遅れて入った年も、幌を張る前にまず社へ寄ることにしている。留まらない神さまなのだから、こちらの日取りにも寛容だろうと勝手に決めている。


 子供のころの私にとって、幌の街は一年でいちばんの晴れの月だった。親の商いの都合など知らないから、覚えているのは眺めばかりだ。荷台の上から見た、地平まで続く幌の波。夜には数えきれない竈の火が平原に散って、空の星と地の火に挟まれて眠った。トルムの村の子らが道案内の駄賃を稼ぎに走り回っていて、余所の子の私は、荷台の上からそれを羨ましく見ていた。いま思えば、あちらはあちらで、荷車で諸国を回る子を羨ましがっていたらしい。大人になってから、村の生まれの行商人にそう聞いた。トルムの子が長じて行商人になる率は、平原一帯でいちばん高いのだそうだ。毎年ひと月、諸国の商人の顔と荷を見て育つのだから、無理もない。


 幌を張る場所は早い者勝ちで、ただし通りの筋は崩さない。平原には通りの角を示す白い場割り石が埋まっていて、石と石の間なら幌が何張り、と相場が決まっている。空いた場所は日の出の時点で空きと見なし、日の出に幌のない場所には誰が入ってもいい。入る者と発つ者が毎日入れ替わる街だから、こういう決まりがないと回らないのだ。裁くのはトルムの場割り役、ダンテ爺だ。十一の月は畑を耕すただの爺様だが、この月だけは、大商会の主も爺の前では帽子を取る。場所争いの裁きは即断で、理由を言わない。理由を言えば来年の駆け引きに使われるから、と言う人もいるが、当人に訊けた者はいない。幌の街の商人が心配することは二つあると言われていて、ひとつは天気、もうひとつはダンテ爺の代替わりだと聞いた。それから、自分の場所に杭を打って名を残すことは固く禁じられている。幌の街の地面は誰のものでもなく、強いて言えばトルムの村のものだからだ。おかしなもので、常連ほどこの決まりに忠実で、それでいて毎年、自然と同じあたりに収まっていく。入りの日が年ごとに違うのに、うちの幌もなぜか毎年、南寄りの三つ目の石の脇に落ち着いている。


 売り買いされるのは荷だけではない。ここの客は半分以上が商人で、北の毛皮と南の香辛料、西の反物と東の麻が、ひと月のあいだにごっそり持ち主を替える。一年ぶんの仕入れをこの月で済ませる者も多い。荷のほかに動くのは、道の噂、各地の相場、護衛の口、荷車の売り買い、それに商家同士の縁談。幌の街でついた値は「トルムの値」と呼ばれて、その年の各地の相場の物差しになる。幌の街をひと回り歩けば、その年の世間がだいたい分かる。ヴェレンの学生通りが世界の耳なら、トルムは世界の財布だと思っている。


 そういえば一度、幌の並びに、商人ではない荷車が混ざっていた年があった。旅団の一行である。あの人たちの話は、別の章でするつもりだ。


 私にとってのいちばんは、しかし、荷ではない。ここには、一年に一度しか会えない友がいる。北の毛皮商のガルドとイザの夫婦、南の乾し果と香辛料を商うネビムの兄弟。付き合いはどちらも二十年を超えるが、会うのはこの平原だけだ。互いの家がどこにあるのかも、実はよく知らない。しかも、こちらも向こうも入りと発ちが年ごとに違うから、来れば必ず会えるというものでもない。月のどのあたりで入るか、だいたいの見当は付け合っているのだが、それでもすれ違う年はすれ違う。会えなかった年は、なじみの幌宿、というのは荷馬車を宿に仕立てた商売だが、その主に言付けを預けておく。翌年、一年遅れの返事から話が始まるのも、ここの付き合いの味のうちだ。それで困ったことは一度もない。今度もここで会う。それだけが決まっていれば、付き合いというのは続くものらしい。幌の街には、借りた金と義理は幌の街で返す、という作法がある。月のうちに返せなければ、来年のこの月に返す。一年に一度しか会わない相手との貸し借りがすんなり成り立つのは、来年もみんなここへ来る、という信用が土台にあるからだ。荷帳の毛皮の「うち二枚ぶんは払い来年」もこの作法の内で、ガルドもイザも眉ひとつ動かさなかった。ただし、これはあくまで旅の商人同士の作法で、トルムの村の者への払いは別である。村の者に貸しを残すのは恥とされていて、井戸の水代も納屋代も、その場で銭を渡すのが筋だ。娘の荷車に付けてやる車輪を村の車大工のトッボに頼んだときも、銭は先に払った。出来のいいのを来年渡す、と言うので、受け取りのほうが来年になった。毛皮の払いに車輪の受け取り、つまり私は今年も、否も応もなくトルムへ行くことになっている。まあ、言われなくても行くのだが。


 飯の幌も、諸国から来る。オルメの潮煮の幌の隣にヴェルツのわた鍋の幌が並んで、翌年には両方ともいない、ということが平気で起こる。毎年同じ物が食えるとは限らないから、今年の出会いは今年食っておく。それが幌の街の流儀だ。私は十年ばかり前に食った、蜜掛けの揚げ菓子の幌が忘れられない。翌年も探したが、いなかった。来ていなかったのか、入れ違いだったのかも分からない。それきり会わない。いまでも揚げ菓子の幌を見かけるたびに覗くのだが、まだあれには会えていない。


 定番はひとつだけある。ポリッジだ。雑穀を煮た、行商人と隊商の朝飯で、朝はどの幌でも鍋が掛かっていて、旅の者は椀を持って回る。面白いのは、商会や家ごとに味と隠し味が違うことで、塩気の立て方、脂の落とし方、干し果実を入れるか入れないか、と流儀が分かれる。同業同士が椀を取り替えて食べ比べ、どちらがうまいか言い合うのが幌の街の朝で、喧嘩のようだが、あれは挨拶である。差し出された椀は、腹がどうであれ一口は受けるのが礼儀で、椀を受けることが、あんたと商いをする気がある、の返事になる。逆に、椀を出さない相手とは深入りするな、というのが行商人の知恵袋だ。うちの鍋の味は、ロタンの家の味とトバンの家の味が、一緒になった年からひとつの鍋になったものだ。どちらの隠し味が勝ったのかは、書かないでおく。夫婦の間でも、言わないことにしている。


 ポリッジといえば、大鍋のヨルの店の話になる。毎年必ず来る、数少ない食堂の幌のひとつで、女将のヨルは大鍋のポリッジ一本で三十年、この平原に通っている。どこの商会の流儀でもない味、と評判で、初めて食うと物足りず、十年通うとこれしか食えなくなる、と言われる。私はちょうど十年目あたりから、これしか食えなくなった口だ。隠し味を訊くと毎年違う答えが返ってくるので、答えの数だけ噂がある。今年の答えは、歳月、だった。ああいう返しが出るようになったら、女将というのは一人前なのだと思う。


 迷子になったら、ピノを探すといい。トルムの子供らの走り頭で、どこに何の幌が来ているかを誰より早く知っていて、小銭で道案内と言付けを請け負っている。ピノに訊け、は幌の街の合言葉で、大人の商人が真顔で列を作る。うちも毎年世話になっている。あの子の頭の中には、ひと月だけの街の地図が丸ごと入っているのだ。ただの平原に戻った冬のトルムで、あの子が何をして過ごしているのかは、考えると少し笑ってしまう。たぶん、村でいちばん退屈しているだろう。


 別れの挨拶に、決まった日はない。売り切って発つ者は、どの日であれ自分の場所を掃き、掘った竈を埋めて、来年また、とだけ言い交わして発つ。二十年来の友との別れも、来年また、のひとこときりだ。祭りの終わりというより店じまいの延長のようで、初めてトバンとふたりで竈を埋めた年は、あっけなさに拍子抜けした。いまは、あのあっさりが好きだ。名残を惜しまないのは、別れだと思っていないからで、あの平原にいるあいだ、来年のことは誰も疑っていない。月の終わり、最後の幌が畳まれる畳みの日というものを、実は私は一度しか見ていない。子供の年に荷車の車軸が折れて、直りを待つうちに月末まで居残ったことがあったのだ。幌が日ごとに減っていって、しまいに刈り跡の平原と小さなトルムだけが残ったとき、街がひとつ消えたというのに、誰も騒いでいなかったのを覚えている。荷帳の余白の「来年もここで」は、だから約束というより、ただの予定である。いるのは月のうち十日かそこら、十一の月は存在しない故郷、と呼んだら理屈が通らないのだが、私にとって幌の街は、たぶんそういう場所だ。生まれた家より長く、毎年欠かさず帰っている場所は、ほかにないのだから。


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