作者よ、作者である前に読者であれ(可読性についての叫び)
ちょい啓発されることがあったので、書き書き。
今回は作者と読者の合いの子である筆者として、ちょいと呟きます。
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――作者と読者。
提供する側と消費する側。
作り手と読み手。
どっちが欠けてもチラ裏行き。案外、小説って二人三脚なのです。
さて、前回は特定ジャンルを狙い撃ちしてしまったが、今回は広義的な話になる。
言いたいのはずばり「意識」の問題。
小説を読むにあたって重要な要素のひとつに、これまでも挙げてきた「可読性」がある。
句点とか、誤字脱字、三点リーダ、全部可読性に関するものだ。
可読性にも(筆者大好きな)幾つかのジャンル分けが出来ると考える。こんな感じだ。
1. 文法的なもの
2. ストーリー的なもの
3. その他
本作では、これらについて順を追って述べていく。
まず、最初に「文法的なもの」である。これは上記した句点とかのハナシ。
現在のこの話を見ていてくださっている方には、正直ブッダにマッポーかもしれぬ。さんざっぱら話してきたし。
例えば、上記した句点とかもそうであるが、「漢字ミッチリのルビバッチリの文章」トカ。聞いただけでうんざりしない? 漢字読みたいなら般若心経でも開いていればバッチリだ。ルビだって振ってある。写経すればまさに書き手になれるまであるぞ(小説の書き手とは言ってない)。
細かいところで言うと、「常用外の漢字を使いすぎる」「あんまり行間を空けない」などもある。前者は固有名詞で使うなら問題ないと思うけど、一般文章で多用されると少し来るものがあるぜ。後者は雰囲気を壊す一因にもなりうる。シーン・話の切り替えや少し余韻を残したい部分は行間を配置し、「浸らせる」「考えさせる」時間を視覚的に取らせると良い。
3点(句点等を含むと4点)述べたが、これらに共通することは「一文を理解するのに時間がかかること」「理解する手助けがされていない」ことである。
なんか、これだけ書くと読者は要介護者みたいな感じになってしまうのだが……流石に現在のなろうの一般読者層はそこまでではないとボク信じてる。
次に「ストーリー的なもの」。山と落の話だ。
詳しくは「ストーリーの構成についての叫びⅡ」を参照してくれ(ダイレクトマーケティング)。
最後に「その他」。その他って書いたが、言い方を変えると「読者の環境」が正しいか。
一見すると、作者が考慮しなくても良いように見えるかもしれないが……書き手の書いた文章が、そのまま読者の環境において読みやすい文章になるかというと、まったくその通りでない。
例えば、筆者は横幅700程度のフォーム(textarea)において本文を記載している。
横幅700程度のフォームで書くと、大体このくらいの文章量が丁度、右端にたどり着くくらいのサイズ。
さて、上記の一文は筆者視点では現在改行されていないのだが、正しく一文表示されただろうか? されないよね。
「筆者のPC版なろうの小説ウィンドウの横一文は約全角34文字」である。対して上記一文は「約全角46.5文字(半角数字を3つ含むため)」である。
そして「筆者のスマホ版なろうの小説ウィンドウの横一文は約全角23文字」である。これほど違いがある(約をつけたのは、単純にチキった)。
おそらく今見てくださっている方々も、大体似たような文字数だと思う。フィーチャーフォンの文字数についてはすまない、おれには、どうしようもッ…。
で、その他の問題っていうのは、この「環境による改行数の違い」が「不幸な事故で刺さってしまった」ことによるものだ。
よく、ワンセンテンスごとに改行して行間も空けてくれる作者さんがいるんだが、それが「全角24~30文字」ごとの改行だったりすると、「作者さんのPC視点では巧く書けているのに、読者のスマホからだと非常に可読性に欠ける」ことが発生しうる。これは実際にWeb小説が紙媒体の小説に劣っている点である。
とはいえ、これは予期することがほぼ不可能に等しい。can/can'tの話でなく、don't wantのが正しいが。そんなこと考えていると小説自体崩れてしまうし、作者さんが疲弊してしまう。投稿後にサっと目を通すくらいでいいだろう。
あとは「環境依存文字」。これはなろうではほぼ見かけないのだが、某二次創作の笛吹きではたまに見かける。半角の感嘆符とかがおかしいのかしらね? PCでは完全に問題なく表示されるのだが、スマホから見ると良くわからない四角が浮いていることがある。
これまた、PC作者からすると予測は不可能である。せいぜいが感想による指摘を期待するくらいしかない。……最も、ほぼスマホユーザの筆者は「仕方ない」で済ませるので、感想によって指摘はしてないけど。
マァ、その他の問題は先述したように「仕方ない」ものだ。大きさで言えば微々たるものであるが……それでも、可読性を下げることには変わりない。筆者も神経質なときとか、シリアスシーンとか、気にするときはある。あんまり気にしない作者さん的には「どうあがいても可読性はチミっと下がる」とだけ覚えておけばいいかもしれん。
さて、可読性を下げる要因について述べた。
しかし、これらにも共通項は存在する。聡明な読者には既にお分かりであろう。そう――「読者視点」である。
えらそうにかいたが、至極当たり前の話である。そらそうよ、作品って読者が読むものだし、評価も読者が渡すものだ。
しかしながら、読者としているうちはあんまりこういうのを感じていても、明確に気付いたりしない。作者になった時も同様である。
作者として(読者にとって)いい作品を書くためには、作者である前に読者である必要がある、ということなのだ。
あ、読者として動いた上で、あえてその書き方を選ぶっていうのは勿論ありだよ。
それはいち作者としての決断である。そこからすばらしい作品が生まれるのを期待しております。




