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彼とお弁当 〜無愛想な店員と、少しずつ近づく距離〜  作者: 灯影


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彼とお弁当

 


 朝は、嫌いじゃない……と言うか、好きだ。

 でも、人と話すのは得意じゃない。

 いや、正確には「うまく笑えない」のほうが近い――


『お前の笑い方、無理してる感が強くてこっちが気まずくなるわ』

『ねぇ、思ってないなら笑わないで。無理してるのバレバレ』

『無理して笑ってるの、やめた方がいいよ』


 ……本当に笑いたかったから、笑っていただけなのに。


 それ以来、うまく笑い方がわからなくなった。

 気づけば、笑う代わりに黙るようになっていた。


 それが一番、楽だった。



「おはようございます。鮭弁当お願いします」


 その声が、過去の音を一瞬で上書きする。

 いつもの、少しだけ明るくて、少しだけ様子をうかがう声。

 その声を聞くと、息が楽になる。


「……はい」


 余計なことは言わないようにする。

 目も合わせないようにする。

 合わせたら、たぶん崩れるからだ。


 奥に戻って、弁当を詰める。


 唐揚げの揚げ具合、鮭の焼き目、だし巻きの形。


 全部同じように見えて、少しずつ変えている。

 気づかれないように。

 でも、ちゃんと届くように。

 気づけば、彼女のことを考えている時間が増えていた。


 ちゃんと食べているか。

 無理していないか。

 今日は少し元気そうか。


 それを確認するみたいに、弁当を作っている。


 気持ち悪いことをしている自覚はある。

 でも、それでもいいと思ってしまう。


 あの声だけは、消えなかったからだ。


「……お待たせしました。鮭弁当です」

「ありがとうございます」


 その一言で、また少しだけ救われる。

 同時に、少しだけ怖くなる。

 このまま慣れてしまったら、どうなるんだろう、と。


 でも──


 それでもいいのかもしれない、とも思ってしまう。



 昔、この店はもっと忙しかった。


 でも、ある時から少しずつ客が減った。

 それでも親は言った。


『うちはこれでいいんだよ』


『助けてもらった分、返すだけだ』


 正直、よくわからなかった。

 でも、目の前の弁当だけは、絶対に手を抜くなとは言われた。

 彼女が来るようになったのは、中学の頃だ。

 最初はただの客だった。


 でも、少しずつ変わった。

 少し小さめの弁当しか頼まなくなった時。

 少しだけ疲れている顔の日。


 それでも必ず「ありがとうございます」と言う声。


 その全部が、妙に記憶に残った。


「昨日も美味しかったです」


 その一言で、なぜか手が止まる。


「……どうも」


 これ以上は言えない。


 ──ちゃんと笑えたらいいのに、と思う。


 その代わりになるか分からないけれど――実はお弁当箱を変えている。


 同じに見えるようで、少しずつ違うもの。

 気づかれなくていい。

 ただ、飽きないように。

 “ちゃんと食べてるか”って、それだけが気になる。


 そんなある日。


「……あの」


 いつもと違う、少し緊張が乗った声に、少しだけ心臓が跳ねる。

 目を上げないようにする。


 見たら終わる気がするから。


「お弁当箱、いつもありがとうございます」


 ──気づいてたのか。


 ほんの一瞬だけ、手が止まる。


「……別に」


 それしか言えない。

 それ以上は、うまく言葉にならない。


 奥に戻りながら、少しだけ息を吐く。

 ばれていないと思っていた。


 でも、たぶん最初から、少しずつ見抜かれていたのかもしれない。


 あの子は、よく見ている。

 人のことを、ちゃんと見ている。


 だからこそ、余計に目を合わせられない。


 もし目を見てしまったら。

 たぶん、今のままではいられない。


 ──それでも。


「……また明日も来るよな」


 そんなことを思ってしまった自分に、少しだけ驚いた。


 ――翌朝。


「おはようございます。鮭弁当お願いします」

「……はい」


 いつも通り。


 でも今日は、少しだけ違った。

 受け取るときの指先が、ほんの一瞬だけ迷った。

 それだけで、十分だった。


 このままでいい。

 このままがいい。


 そう思ってしまう自分がいる。

 いるのに――


 もう少し、知りたい。

 話したい。

 目を――見たい。

 けど、怖い。


 それが、今の一番の悩みだ。

 

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