第二杯目 合体!マシマシオー②
魁星は、戸が吹き飛んだままだった。
店主は開いた穴のところにベニヤ板を打ちつけていた。釘の間隔が几帳面に揃っている。打ち終えると、板の上から一度手で押して、たわみを確かめた。その背中に向かって、金髪の男が言った。
「で、なんで俺らなんですか」
「答えるが、順番というものがあるだろう」
カウンターに座った五人は、さっきと同じ席順だった。端から順に、緑のメッシュの女、金髪の男、スーツの男、ジロウ、そしてキャップの女。誰も座る場所を決めていない。それなのに、全員が食べる前と同じ椅子に座っていた。
「まず、名前を言え」
店主がベニヤ板から向き直る。
「そこからか、と思うかもしれん。だが、名前も知らない者同士が背中を預けられるか」
五人が顔を見合わせる。先に口を開いたのはスーツの男だった。
「あ、あの、前橋千代太と申します。二十四です。……あの、不動産の営業をしております」
律儀に、座ったまま頭を下げる。律儀に、座ったまま頭を下げる。下げたあと、癖のように上着の内ポケットへ手を入れた。名刺入れに指が触れたところで、手を戻した。
「関内忍。十九。大学一年です」
金髪の男が続ける。片耳には、いつのまにかイヤホンが戻っている。
「小岩乃絵です! 二十歳で、大学二年生です」
はきはきと言う。ジロウは手のひらの絆創膏を見た。ココアをくれた人の名前を、そこで初めて知った。乃絵の頬には、路地でできた擦り傷が、まだ赤く残っていた。
「目黒ひばり。二十七」
キャップの女はそれだけ言った。最後にジロウが言った。
「三田ジロウです。十七で、高校二年です」
「十七?」
忍がこちらを向く。首より先に、椅子ごと体が回っていた。
「え、二個下じゃん」
「そうですね」
「じゃあ敬語やめるわ。しんどいし」
「いいですけど」
「お前は敬語でいいよ。俺が年上だから」
「はい」
「真面目か。即答すんなよ」
忍は笑って、そのまま隣へ首を回した。
「で、あんた何やってる人でしたっけ。営業?」
「あ、はい。賃貸の仲介が中心で、あとは土地の相談なんかも」
「へえ。しんどそ〜」
「そうですね。……いえ、そんなことは」
「どっちだよ」
千代太が困った顔で笑う。それでも忍は気にする様子もなく、もう次の相手を見ている。
「そっちの女の子、二十歳っつってたよな」
「はい」
「……え、俺より上じゃん」
「一個だけですよ」
「一個が大きいんだって」
「じゃあ、私もタメでいいよね」
「は?」
「関内は敬語ね。後輩だし」
「……いや、やだよ。面倒くさい」
「あっ、じゃあ、あたしも自己紹介していいですか!」
奥の洗い場から声が飛んでくる。店が開いたとき、丼を積み上げていた女だった。店から逃がされて、いつのまにか戻ってきている。エプロンの紐を結び直しながら出てきた。長い髪を後ろで一つにまとめて、飲食店の従業員らしく高い位置で留めていた。
「高木果帆でーす! 大学二年です!」
笑顔が眩しかった。この店の湯気の中で、そこだけ照明の当たり方が違うように見える。
「ここのバイトです! よろしくお願いしまーす!」
果帆は言うだけ言って、洗い場へ戻っていった。
「……で、店長さんは」
忍が厨房の方を向いた。店主はいつのまにか厨房へ戻って、寸胴の前に立っていた。
「大豚だ」
苗字なのだろうが、券売機のボタンにあった「大豚入り」の、大豚である。忍は吹き出しかけた口を、手の甲で押さえた。それから咳払いを一つする。
「で、話戻すけど、なんで俺らなんですか」
「今日の豚を食ったからだ」
大豚は寸胴の火を落としながら答えた。
「あれは、ただの豚じゃない。並の体なら、食えばもたん。出したのは、お前たち五人の丼だけだ。五人とも耐えられたから、お前たちが選ばれたわけだ」
「え、なんなんすか。よくわからないものを食わせたってことですよね、それ」
「そうだ」
「怒っていい。殴りたければ殴れ。だが、今更どうにもならん」
誰も殴らなかった。拳を握った者すらいない。皆困惑が勝っている様子だ。
「その豚には、名前がある」
大豚が寸胴を顎で指す。
「神の豚と書いて、しんとんという」
ひばりが顔を上げる。それまでほとんど動かなかった首が、そこだけ速く動いた。
「かみぶた、じゃないのか」
大豚は寸胴の縁に手を置いたまま、ひばりを見た。答えが来ないので、ひばりのほうが続けた。
「私らの業界では、そう読む。飛び抜けて当たりの豚が入った日に、そう言うんだ。今日は神豚だった、と」
ひばりがスマホを裏返して伏せた。
「当たりの豚どころか、最悪の豚のようだが、当然違う意味なんだろうな」
「無論、違う意味だ」
大豚が言った。
「神の豚。そのままの意味で言っている」
「……というと」
「神のごとき力を持っている。比喩ではない」
「じゃあ、あの怪人たちは一体何なんですか」
忍が口を挟んだ。
「同じものだ」
「え」
千代太が声を漏らした。
「お前たちが食ったのと、同じ神豚だ」
「え、俺たち、怪人食ってたんですか!?」
千代太が身を引いた。椅子ごと下がって、カウンターとのあいだに拳一つ分の隙間ができる。
「違う。食った肉が、腹の中で怪人になることはない」
「じゃあ、あれは」
「力の強い欠片が、稀に、それ自体で生き物になる」
大豚が玉杓子の柄で寸胴の縁を叩く。
「今日お前たちが見たのが、それだ。あれで一つの生き物だ。自分の意思で、人を殺しに来る」
千代太が、唾を飲みこむ音がした。
「お前たちは、同じ肉の力だけを体に受けた。だから、あれと戦える」
そこで一度、言葉を切った。
「今日の相手は、一体だけじゃない。あれは組織だ。イェケイという。頭目がいて、幹部がいて、命令系統がある。ここ最近になって、散らばっていた個体が一つにまとまった」
「まとまって、どうするんですか」
千代太が聞いた。
「人間を滅ぼす」
短い答えだった。火を落とした寸胴の湯の音が小さくなり、換気扇の音だけが残った。
「……え、人間を、ですか?一部の地域とか、恨んでる奴だけとか、そういう話じゃなくて」
「当然、全滅させる気だろうな」
「……なんで、そこまで」
「あれは人間という種族そのものを憎んでいる。頭目がそうだ。そのために、組織の全てが動かされている」
「頭目って誰ですか」
「豚辱帝チャーシュ7世」
ふざけた響きなのに、笑う者は一人もいなかった。
「怪人たちがまとまる兆候は、前からあった。だからわしは以前から備えていた」
大豚が寸胴の蓋を閉めた。その音が、静かになった店内でやけに大きく響いた。
「そして今日、ついに人間社会への侵攻を開始したようだ」
千代太が鞄の持ち手を強く握る。指の関節が白くなっていた。
「もっと、その、ちゃんとした人がやるべきじゃないですか。ちゃんと訓練を受けた人に、その腕輪を渡せば」
「誰でも変身できるならそうしている。だが、神豚に耐えられる体でなければ、腕輪の力を使うことはできない」
「じゃあ、腕輪なしで、普通に武器で。銃でも戦車でも何でもあるでしょ」
「その程度では奴らを倒すことなどできん」
千代太が黙って、ジロウの手元を一度だけ見た。
「止められるのは、変身し、神豚の力を使う者だけだ」
「それが俺らってことですか」
「そうだ」
「……いやいやいや」
忍が丸椅子の上で背を反らす。それから、天井を見上げた。
「無理でしょ」
「無理でも、他がいない」
「そういう話じゃなくて。俺、そんな器じゃないんですよ。今日だって、逃げようとしたんですから。パンピーっすよ?俺」
「だが逃げなかっただろう」
「いや、そりゃ逃げたかったに決まってるでしょ。怪人が目の前にいたからしゃーなし抵抗しただけで」
「だが最後は、逃げずに剣を振った。器かどうかは、わしも知らん。他にいないという話をしている。逃げれば人類は滅んでお前も死ぬだろう」
忍が口をつぐんだ。反論を探している顔だった。だが、うまく見つからないらしかった。
「降りたい」
短い一言が飛んだ。ひばりだった。
「私は降りる」
「いや、目黒さん、今の話聞いてました?断るの無理っぽいっすよ」
「聞いた」
ひばりは大豚を見る。
「戦わなければ人間が滅ぼされるという話だな。分かった。それは大事だ。誰かが止めるべきだと思う」
「じゃあ」
「だから、なぜそれが私なんだと聞いている。あのときは逃げられないからやむを得ず戦った。それだけだ。──だが私は今日、ラーメンを食べに来ただけの客に過ぎない。同意もしていないし、頼まれて了承したわけでもない。腹に何か怪しいものを入れられたのは、私の落ち度ではない。店主のせいだ。一度戦ったことと、この先も戦い続けることは、別の話だ」
ひばりの声は平坦で、事実を淡々と並べているだけに聞こえた。
「いやまあ俺も同じこと思ってますけど」
「私だって暇じゃない。他にやらなければならないことがある。それを止めてまで人類を守るヒーローとやらをやる理由が、私にはない」
ひばりははっきりと言い切った。大豚は黙っていた。否定しないのか、まあできないだろう、とジロウは思った。だが、それを言葉にする前に別の音が鳴った。千代太のスマホだった。
千代太は画面を一瞥して、小さく息を吐く。
「すみません、ちょっと失礼します」
椅子を鳴らして立ち、店の隅へ行って、背中を丸めて電話に出る。
「あ、はい、お疲れ様です。すみません、外回りの途中で、飯を、はい。いえ、そんなことは。……はい。すみません。はい、今から回ります」
通話を切る前に、千代太は壁に向かって頭を下げた。電話の相手には見えないのに、だ。それから、こちらを振り返った。
「すみません、俺、戻ります」
「え」
声を出したのは、ジロウだった。
「あの、さっき怪人が出たばっかりですよね」
「はい」
「街、まだ壊れたままですし、また来るって。一体どこに戻るんですか」
「そうなんですけど」
千代太は鞄を胸に抱えたまま目を伏せる。
「今月の数字が、未達なので。……それとこれとは、その、別といいますか。仕事だから戻らなきゃ」
言い終わる前に、千代太は頭を下げていた。
「すみません、本当にすみません、失礼します!」
「あっ、前橋さん、連絡先だけください!」
乃絵がスマホを突き出した。千代太は頭を下げたまま自分の画面を出し、読み取らせるが早いか、ベニヤ板の隙間を抜けて走っていく。
「……うわ」
忍が呟く。呟きにしては、店の端まで届いた。
「やべえな。社畜じゃん、あの人」
「関内さん」
「いや、社畜でしょ。人類滅亡より数字だってよ。もう外暗いのに仕事って。いやぁ、ああはなりたくないわ」
ジロウは何も言えなかった。社会に出た後のことを考えると憂鬱になりそうだったからだ。
「まあ、あれですよ」
忍が伸びをして立ち上がる。話を畳みにきた立ち方だった。
「敵も引き下がったし、今後のことはまた連絡するってことでよくないですか」
「今日中に来ると言ったはずだ。遠くへは行くな。それと、言いふらすな」
大豚は板を打ちつけた戸口から目を離さずに言った。
「怪人のことなら、もうニュースでやってますけど」
忍が言う。大豚は戸口を見たままだった。
「怪人の話ではなく。デブラメンジャーに変身したのが誰かという話だ。知った者から順に狙われる」
店の奥で、果帆が丼を重ねる手を止めた。
「店のことは記事にするぞ」
ひばりが言った。
「好きにしろ。だが、腕輪のことは書くな」
「そこの金髪の言うとおり、解散することに異論はない」
ひばりが即座に立った。鞄を取って、そのまま出口へ向かう。
「あ、待ってください。連絡先」
乃絵が立ち塞がった。画面を開いて、両手で差し出している。
「いらない」
「いりますよ。今日みたいなことがまた起きたら」
「もう私は行かないから関係ないな」
「はい。それでもいいので」
乃絵は画面を引っ込めなかった。ひばりがその画面をしばらく見て、それから渋々といった様子で自分のスマホを出す。
「これで気が済んだか」
「ありがとうございます!」
こうして連絡先が揃い、乃絵が五人のグループを一つ作った。ひばりは店を出るまで、一度もこちらを振り返らなかった。




