第二杯目 合体!マシマシオー①
地の底に、湯の音がしている。
天井の見えない空洞である。壁は、何か柔らかいもので出来ていた。触れれば指が沈み、離せば元へ戻る。その表面のあちこちから湯気が立ち、滴が落ち、落ちた先で音を立てて跳ねる。
空洞の最奥に玉座があった。座しているのは巨大なる豚の魔物だった。体の表面が幾重にも巻かれている。豚の肉を巻いて縛り、煮て、断ち切ったときの断面。その渦が、そのまま体になっていた。頭部にあたる場所には、焦げ目に似た模様が浮いている。
豚辱帝チャーシュ7世。
その足元に、三つの影が控えていた。
一つは鳥に似ていた。茹でて絞られた菜の色のような、鮮やかな緑の羽毛が全身を覆っている。両の翼は、拡げれば人を包めるほどの大きさで、今は畳まれている。畳んだ翼のあいだに、巻物が一本挟まっていた。鳳煉魔ポパイヤー。
一つは、小さかった。白く乾いていて、大人の握り拳ほどしかない。丸みを帯びた三角形で、正面に目となる小さな黒い点が二つある。床にちょこんと乗っていて、手も足もない。動くたび、ぱらぱらと粒がこぼれた。薄米鬼ライース。
そして最後の一つは、人の姿をしていた。若い女である。長い黒髪を垂らし、白い頬をして、慎ましやかに膝を折っている。この空洞のなかで、その姿だけが場違いだった。乱黄姫オベット。
「今日である」
低い声が、玉座から降りた。
「今日という日が、人の星の終わりの始まりとなる」
そして、天を仰いだ。仰いだ先に、空はない。柔らかい肉の面が、湯気の向こうで低く垂れているだけだった。それでもチャーシュ7世は、そこを見上げた。
「神豚よ。我らを生みし肉よ。御身の御名において申し上げる」
その声は、祈りだった。控えた三体が、同時に身を伏せる。
「あの日、天より肉が落ちた。我らはその肉より生まれた。この地の水を吸い、この地の熱に温められて形を得た。ならば我らこそ、この星の正しき子である」
湯気が、玉座の周りを流れていく。流れた先で壁に触れ、触れたところから吸われて消えた。
「なれど、人がいる」
声が、低くなった。
「人はこの星を汚し、削り、我らを見れば討とうとする。あれは我らの母を石ころだと愚弄する蒙昧なる輩よ」
肘掛けを、二度叩いた。
「愚かなる人を、誅戮せよ。一人残らず、絶やせ。この星から人という穢れを消し去り、我ら神豚の楽土を築くのだ」
「……ねー」
小さな声がした。ライースだった。
「ちゅーりく、って、なに」
ポパイヤーが目を伏せたまま答えた。
「罪ある者を討ち滅ぼす、という意にございます」
「んー。わかんない」
「では、言い換えましょう」
ポパイヤーは辛抱強い声を出した。
「人間を、皆殺しにするのです」
ライースの動きが、止まった。そして、跳ねた。
「それ、たのしそう!」
高く、二度、三度と跳ねた。跳ねるたびに白い粒が床に散り、散った先でまた跳ね返る。
「ぜんぶ? ぜんぶころしていいの? のこさないの?」
「ええ、残しません」
「やったー!」
「ねーねー、じゃあぼく、いっぱいあそべる? いっぱい?」
「陛下の御心のままに」
ポパイヤーが答えた。
オベットが髪をかき上げて笑う。
「はしゃがないでよ、みっともない」
「だってー」
チャーシュ7世はその様子を見下ろしている。咎めなかった。
「報告を」
声がまた玉座から落ちてきた。三体の後ろには、青い小鬼が列をなして控えていた。その列から、頭の窪んだ一体が進み出る。
「アオガッパ」
それは震えながら、声を発した。
「アオガッパ、アオガッパ」
それでも玉座の主には通じたらしく、続きを促さなかった。
「五色の戦士」
チャーシュ7世が、そう呟いた。そして、腕を動かした。
潰れる音が一つした。潰れたのは、報告していた一体ではない。その斜め後ろに控えていた、何も言っていない一体が、床に薄く広がっていた。周囲の小鬼たちが一斉に頭を下げ、報告した一体だけが下げ遅れて、それから慌てて伏せた。
控えていた三体は、動かなかった。ポパイヤーは翼の下で目を伏せている。オベットは口の端だけをわずかに持ち上げる。ライースは床に広がった青い体をじっと見ていた。それから跳ねて、その上に落ちた。ぺたり、と音がする。もう一度跳ねて、また同じ場所に落ちた。
「……ライース」
ポパイヤーが小さく言う。
「なに」
「陛下の御前にございます」
「ふうん」
ライースは跳ねるのをやめたが、下がりはしなかった。チャーシュ7世が、玉座に背を戻す。
「我らを迎え撃つ支度が、できておったということか」
玉座の上で、指を組んだ。
「小賢しい」
その声が、低く、忌々しげに響いた。
「一日で滅ぼしてやるつもりであったものを」
「ポパイヤー」
「はっ」
「五色の件、そなたに預ける。まずは手勢を当て、その力を測れ」
「かしこまりました」
ポパイヤーが翼を畳んだまま深く頭を垂れる。
「ホープケーンに続けさせます。あの者はまだ健在。五色の力がいかほどか、あの者の戦ぶりから見定めまする」
「ならば、こう伝えよ」
チャーシュ7世が身を起こす。
「五色の戦士、必ず潰せ」
「御意」
「よい。下がれ」
三体が退いたあと、玉座には湯の音だけが残った。チャーシュ7世はまた天を仰ぐ。
「その時は近い」
誰にともなく、そう言った。
「この星は、じきに我らのものになる」




