第二杯目 合体!マシマシオー③
駅前へ出ると、鷹志は交番の裏にいた。
「ジロウ!」
こちらを見つけた瞬間、鷹志が走ってくる。息が白い。走ってきた勢いのまま、目の前で止まった。
「お前、どこ行ってたんだよ。電話出ろよ」
「……ごめん」
「ごめんじゃねえよ。あの店の前、ぐちゃぐちゃになってたぞ。俺、お前が中にいたと思って。死んだかと思ったんだぞ」
鷹志の顔が、はっきりと歪んでいた。汗と埃で汚れている。制服の膝が破れて、破れ目から膝の擦り傷が覗いていた。逃げる途中で転んだのだろう。冷えた空気の中に、まだ汗の匂いが残っている。
「あのさ、鷹志。……ちょっと、聞いてほしいことが──」
そこでスマホが鳴った。小岩乃絵からだった。
「ごめん、ちょっと待って」
数歩離れて、電話に出た。指がかじかんでいて、画面を二度こすった。
「もしもし」
『あ、三田くん! 小岩だけど、今平気?』
「はい」
『あのね、私さっきからずっと考えてたんだけどさ、あの怪人、絶対また来ると思うんだよね』
ジロウは駅前の空を見上げた。日はとうに落ちている。冷えた分だけ空気が澄んで、瓦礫の向こうの街灯まで、輪郭がはっきり見えた。何も起きていない空だった。
『でさ、来たときにみんなバラバラだったら、また今日と同じことになるでしょ。だから、せめて誰がどこにいるかくらいは把握しときたいなって』
「そうですね」
『三田くん、今どこ?』
「駅前です」
『じゃあ行くね! すぐ行く!』
通話が切れた。すぐ、と言われた。ジロウは鷹志の方を振り返る。
「……悪い、なんか、すぐ来るらしい」
「誰が?」
「今日会った人」
鷹志が変な顔をする。眉のあいだに皺が寄って、そのまま戻らない。
「……あのココアの人?」
「まあ、その、いろいろあって」
「なんだよいろいろって。いい感じになったわけじゃねえだろうな。ってそんな余裕もないか」
必死で自分を案じてくれた鷹志になら話してもいいと思っていたが、言いふらすなと言われたばかりで、その場にいた一人がこれから来る。言わない方がいい、とジロウは思った。
「まあ、また今度話すわ」
「なんだよそれ」
「長くなるから」
「じゃあ今度な」
鷹志はそれ以上追及しなかった。
「俺、帰るわ。母ちゃんがうるさいから」
「うん」
「明日の稽古、遅れんなよ」
「大丈夫だって。というか、そもそもこの騒ぎで学校あるのかね?」
「さあ?少なくとも朝練はあるだろ。うちの主将のことだぜ」
確かにと笑いながらその背中を見送って、ジロウはもう一度スマホを開いた。
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「関内の居場所、わかった!」
合流するなり、乃絵はそう言った。走ってきたらしく、少し息が上がっている。吐く息が白く散って、街灯の光に一度浮かんだ。
「おお、早いですね」
「名前で検索したら一発。本人が写真まで載せてるからね」
差し出された画面を見て、ジロウは眉を寄せた。
せきうちー、というアカウント名だった。忍の苗字を、そのまま訓で読めばそうなる。
『怪人出た』
『まじで出た 街やばい』
『まあその怪人を華麗に倒したの俺なんだけど』
『信じてくれるわけないか。お前ら俺に感謝して眠れよ』
最後の投稿には、期間限定のハンバーガーの包み紙を写した写真が一枚ついていた。いくら激しい戦いをした後とはいえ、あのラーメンを食べてよく物が入るなと感心する。
「……かんない、さんですよね」
「そうそう。口止めされたばっかなのに、よくもまあ隠す気ないよね」
乃絵は笑いながら画面を送っている。
伸びてはいなかった。反応が十いくつと、返信が三つ。「なんのネタ?」「証拠は?」。怪人騒ぎはともかく、ヒーローの正体については誰にも信じられていないので、軽薄さには呆れるが今のところ困ることはない。
「……あの、小岩さん」
「うん?」
「これ、伸びてたら、どうなってたんですかね」
「あー」
乃絵が指を止める。止めたまま、しばらく画面を見ていた。
「そうなんだよねー。うん、それ、私も思った」
そのまま画面を送り続けた。今日の投稿を見ていたはずが、いつのまにか、ずっと下まで遡っている。アイドルの写真が並んでいる。誰かのライブの感想。物販の列。缶バッジの交換募集。
その合間に、時々攻撃的な引用投稿が挟まっていた。
『これ言ってる人、いかにも友達いないって感じできちー』
『こういうのがいるから界隈が舐められる』
『在宅が言及? しゃしゃんな』
そのどれもが、他の投稿の十倍から百倍の反応を得ていた。
ジロウは思わず口に出した。
「あー、こういう感じの人なんですね」
「みたいね」
乃絵はあっさりと画面を閉じる。
「まあ、行ってみよっか。この写真の背景、駅の東口のハンバーガー屋だよ」
「え、分かるんですか」
「窓の外にコインパーキングの看板が映ってるでしょ。あの黄色、東口のとこだけなんだよね。私、あの辺よく行くから」
「……すごいですね」
「そう? 普通だよ」
乃絵が笑う。歩き出しながら、ふとこちらの手元を見た。
「あ。三田くん、手、もう痛くない?」
「え」
「絆創膏の横。指の付け根、皮が硬くなってるね。竹刀って、そこに当たるんだ」
ジロウは自分の左手を見る。言われてみれば、そうだった。薬指と小指の付け根に、硬くなった部分がある。竹刀の柄頭を握り込む場所だ。毎日握っていれば誰でもそうなる。自分では、もう何とも思わなくなっていた。
「毎日握ってるんで」
「へえ、かっこいいね」
「そうですか」
「そうだよ。……じゃあ、今日は部活のあとだったんだ」
「はい」
「部活に戦いにで、疲れてるとこ呼び出しちゃったね。ごめん」
「いえ、状況が状況ですから。しょうがないです」
そう言われて、ジロウは初めて、自分の足がだるいことに気づいた。意識した途端に、冷えた膝から下が重くなった。
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次に怪人が来たら一緒に戦ってほしい、と乃絵が切り出した。忍はあっさりと承諾した。
「あー、いいよ。やるやる。戦隊やりますねぇ」
包み紙を丸めながら、そう言う。丸めた紙をトレーの端へ弾き、そのまま指を鳴らす。ジロウは思わず聞き返した。
「……いいんですか」
「なにが」
「いや、さっき、なんで俺らなんだって言ってたのに」
「まあ言ったんだけどさ」
忍がストローを咥えた。ずるずると音を立てて、氷だけになったカップを三度吸った。
「よく考えたらこれ、めっちゃ伸びる案件じゃん」
「……はい?」
「だってさ、初めて見たわけよ、あんな怪人。世界中の誰も見たことないでしょ。それを俺は目の前で見てるわけ。しかも当事者。戦ってるんだよ?」
言いながら忍は身を乗り出していた。テーブルの縁に肘が乗り、トレーが押されて数センチ動く。
「今は誰も信じてないけどさ、そのうち絶対、映像とか出るじゃん。ニュースになるじゃん。そしたら大注目なわけよ。それって、めちゃくちゃデカくない?」
ジロウは黙ってその顔を見ていた。
「……いや、それは、よくないんじゃ」
袖を引かれた。見ると、乃絵の指がジロウのブレザーの袖口を軽く摘まんでいる。顔を上げると、乃絵がこちらを見ている。そして、ごく小さく首を横に振る。ジロウは口を閉じた。
「よし、じゃあ行こっか!」
乃絵が明るい声で立ち上がり、話をそこで終わらせた。
「関内、あと二人いるんだけど、手伝ってもらえる?」
「いいよ。俺、暇だし」
忍がトレーを持って立ち上がる。ジロウはその二人の背中を見ながら、少し遅れて歩き出した。
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千代太からは、しばらくして『すみません 今、外回りで』とだけ返ってきて、それきりだった。
「うわ、まだ仕事なんだ」
忍が画面を見て、面白がって言う。
「怪人出てて、しかも夜なのに仕事してるって、意味わかんなくない?」
「関内さん」
「だってさ、断ればいいじゃん。今日は無理ですって。言えばいいのに言わないんでしょ、あの人」
そして、ひばりには、そもそも通知が届いていなかった。
「……あれ」
ジロウがメッセージを送ると、送信済みのまま既読がつかない。もう一度送っても同じだった。忍が横から覗いて、げらげら笑う。
「ブロックされてんじゃん、それ」
「え」
「されてるって。俺のも見て。既読つかねえもん」
「今日連絡先交換したばっかりですよね」
「交換して一時間も経ってないんだけど。すげえな。相当嫌だったんだな」
「全員されてるみたいだね」
乃絵も画面を見せる。三人とも同じだった。
「……徹底してますね」
「やー、さすがだわあの人は」
「どうします、これ」
「歩いて探すしかなくない?」
忍があっさり言った。
「そんな時間経ってないんだから、遠くまで行ってないでしょ」
そのひばりを、三人は三十分後に見つけた。魁星から二本入った通りの、古いカフェだった。
窓際の席に、黒いキャップの女が座っている。ノートパソコンを開き、片手でカップを持ち、画面を睨んでいた。カップからはもう湯気が上がっていない。
「いた」
忍が何も考えずに店に入っていく。ドアベルが鳴るのも気にしていなかった。
「あ、ちょっと」
ジロウは乃絵と一緒に、忍の背中を追ってドアを押した。忍はひばりの席の後ろを、何気ない足取りで通り過ぎかけて、画面を覗いた。
「あ」
足が止まる。
「あんた、麺好法師?」
ひばりが画面を閉じたが、遅かった。
「うわ、マジか。麺好法師じゃん。俺、あんたの記事めっちゃ読んでますよ。この前の、駅前の新しい店のやつ。あれ読んで行きましたもん」
ひばりの目だけが、忍を見上げた。
「あの記事、読んでたら腹減ってきてヤバかったです。麺の茹で加減の話ばっかりしてるのに、なんであんな食いたくなるんですか」
「用件を言え」
ひばりの声は冷たかった。
「怪人がまた来るって話です」
「その話なら店で散々聞いた」
「でも」
「言ったはずだ。私には関係がない」
ひばりがパソコンを鞄にしまい始める。ジロウと乃絵はようやく忍の横に並んだ。
「あの、目黒さん」
「ブロックした相手が三人揃って来るとは思わなかったな」
「すみません」
「謝るくらいなら来るな」
言いながらひばりは鞄を肩にかける。そして、ジロウの方を見て言った。
「あの腕輪とやら、返せないのか」
「……え」
「返却だ。あの店主に押しつければ済む話だろ。ちょうどいい、お前たちが持って行ってくれ」
ジロウは答えられなかった。考えたことがなかったからだ。あの路地で赤い食券を掴んだとき、返すという選択肢は頭のどこにも浮かばなかった。
「……俺は、返したくないです」
言ってから、唐突すぎたと気づいた。ひばりは鞄を掛け直しただけだった。
「そうか。お前の話は聞いていないんだが、返したくないならこれもお前が持っておいてくれよ」
そのとき、窓が激しい音を立てた。




