第七杯目 裏切りのトッピング④
翌日の夕方、魁星の前で乃絵が千代太を呼び止めた。
「前橋さん。昨日のことなんですけど、なんで一人で追ってたんですか。言ってくれれば、私も行ったのに」
「……俺、疑われてるので。目黒さんが、全部うちの会社の物件だって。だから、自分で晴らしたかったんです」
乃絵は瞬きをせずに千代太を見た。
「……そうだったんですね。あれと、何か話しました?」
「……いえ、一言も。すぐ逃げられたので」
「私が見たとき、しばらく向かい合ってましたよね」
「向こうがこっちを見たので。にらみ合いになって、動けなくて」
乃絵は頷いた。
「じゃあ、次からは言ってくださいね。危ないですから」
「……はい」
「行きましょう。みんな待ってます」
店に入って席に着くと、乃絵が四人の方を向いた。
「ちょっと聞いてもらっていいですか。ダルマン、前橋さんの会社のエリアばっかり狙ってるじゃないですか」
「うん」
「あれ、わざとだと思うんです」
「わざと?」
「はい。内通者がいるように見せかけて、私たちを疑わせるのが目的なんじゃないかって」
ひばりが書いていたペンを止めた。
「根拠は」
「まず、露骨すぎます」
乃絵がノートを開く。付箋が何枚も縁からはみ出していた。
「怪人が本当に前橋さんから聞き出してるなら、前橋さんの会社の物件ばっかり狙いますか。私だったら何回かは別の場所に出て、前橋さんが疑われないようにします」
「なるほどな」
「それに、目黒さんのときもそうです。私たち、あれで仲間割れしかけましたよね。向こうの狙いって、それなんじゃないかって」
「……ありえなくはない」
「あと、これ。怪人が出た六か所のことが、いつから広告や看板に出てたかを調べました」
「いつからだ」
「空き店舗の三か所は、目黒さんが集めた広告に、襲われる前から載ってました。取り壊しの二か所は、工事のお知らせの看板が先に出てました。搬入口のところも、搬入の時間が扉に貼ってありました」
千代太が顔を上げた。コップに伸ばした手が止まった。
「前橋さんの会社なら、広告に出す前の空き店舗も知ってるはずですよね。前橋さんが教えてるなら、そういう場所が一回くらい狙われてもおかしくないのに、一回もないんです」
「……つまり」
「怪人は、誰でも見られるものだけで場所を選んでるんだと思います」
「筋は通っている」
ひばりが言った。
「だが、内通がないという証拠にはならない」
「そうですね。でも、前橋さんがやったって証拠も、まだ何もないですよね」
ひばりはキャップのつばを指で押し上げた。
「……そうだな」
乃絵がノートを胸の前に抱えて、立ち上がった。
「怪人が出た場所、私も回ってみます」
乃絵は次の日、一日かけて六か所を回った。近くに住む人や店の人に、怪人が出る前に変な人を見なかったか、見慣れない業者が来なかったかと聞いて回った。四か所で、同じ答えが返ってきた。
「二週間くらい前に、測量みたいな人が来てたよ」
「測量?」
「三脚立ててね。市役所の人かと思ったけど、そういえば腕章してなかったな」
乃絵はそれをノートに書き、その夜、魁星のカウンターに広げた。
「これ、見てください」
「なんだ」
「六か所のうち四か所で、二週間くらい前に、測量みたいな人が来てたんです。腕章もしてなかったって」
ひばりがノートを自分の方へ回して覗き込んだ。
「下見か」
「はい。ダルマン、下見したって言ってましたよね。誰かに教えてもらわなくても、自分たちで調べられるんです」
ひばりがノートを閉じて、乃絵の方へ押し戻した。
「下見をしたやつがいるのは確かだろう。だが、下見をしたうえで、内通者からも聞いていたのかもしれない」
乃絵はノートの角を指で押さえた。
「……そうですね」
「悪くない。だが、まだ足りない。続けろ。私も続ける」
ひばりは広告の束をまとめて、鞄を肩にかけた。
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放課後、ジロウは自転車で南口の商店街へ行った。
千代太は酒屋の前にいて、搬入口の前で店の主人と話していた。手には区画ごとに色を塗り分けた地図を広げている。主人が何か言って笑い、千代太の肩を叩いた。千代太は何度も頭を下げて、地図の端に何か書き足した。ジロウは向かいの自販機の陰から、それを見ていた。
千代太が地図を畳んだ。次の店へ向かう前に、一度だけ後ろを振り返る。歩道の後ろから、ベビーカーを押した女の人が来ていた。千代太は道の脇へ寄って、女の人が通り過ぎるのを待ってから歩き出した。
その夜、ジロウは一人で、怪人が出た六か所を順に回った。最後の一か所から駅へ戻る途中、倉庫の並ぶ一角で、鍋に似た形の怪人と出くわした。
「あれ。レッドの子やん」
倉庫の壁に、四本の腕の影が伸びた。
「マシマシチェンジ!」
レッドが跳んだ。豚斬包丁を横に薙ぐと、刃は胴の縁に当たって弾かれた。
「硬っ」
「乱暴やなあ」
ゴクダクが下がった。胴の汁が揺れて、また静まった。
「あんたか。俺たちのこと、ダルマンに教えてるのは」
「教える? うちは何も教えてへんよ。教えてもろてるだけや」
「っ」
レッドがもう一度薙いだ。刃は胴の汁に沈んだところで、粘りに負けて止まった。
「うちの汁、濃いねん。そう簡単には切れへんで」
四本の腕が同時に来た。レッドが横へ跳んでかわすと、腕はレッドのいた場所を抜けて、後ろの倉庫の壁に突き刺さった。ゴクダクが腕を引き抜くと、壁に四つの穴が並んで残った。
「でもな、うちは君と戦いに来たんちゃうねん」
ゴクダクが下がって、路地の奥へ消えた。
「逃げるな!」
レッドが追って路地へ駆け込んだが、ゴクダクの姿はもうなかった。引き返してくるとき、路地の入口に紙が一枚落ちているのに気づいた。拾い上げると、昼間千代太が酒屋の前で広げていたのと同じ地図のコピーだった。右下の担当者欄に千代太の名前が印字されていた。
ジロウは変身を解いて、紙の右下をもう一度見た。
「三田」
顔を上げると、ひばりが立っていた。ジロウは紙を背中へ回した。
「あ、目黒さん」
「なぜここにいる」
「その、見回りを」
「一人でか」
「はい」
ひばりが近づいてきた。
「何か見つけたのか」
「まだ、何も」
ジロウが目を逸らした。
「お前は嘘が下手だな。背中に何を持っている」
「……何も」
ひばりが一歩詰めて、ジロウの背中の方を覗き込もうとした。
「三田。それを出せ。隠したままだと、誰の疑いも晴れない」
ジロウはしばらく動かなかったが、やがて背中の紙を差し出した。ひばりは受け取って広げ、右下の担当者欄で目を止めた。それから紙を畳んだ。
「目黒さん。前橋さん、何か事情があるのかもしれないです」
「それを本人に聞く。明日、魁星に全員集める」
ひばりは紙を鞄にしまって、歩き出した。
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翌日の夜、魁星に五人が揃うと、ひばりがカウンターに紙を広げた。A3を二つに折った跡がついている。千代太はそれを見たまま動かなかった。
「なんすか、これ」
忍が覗き込んで、紙の縁を指で押さえた。
「地図?」
「前橋の会社の営業マップだ」
ひばりが右下の担当者欄を指した。忍がその指の先を見て、顔を上げた。
「……え」
「あの四本腕の怪人が落としていった。三田が拾った」
「三田くんが?」
「昨日の夜だ。最初は私に隠そうとした」
ジロウは俯いて、膝の上で手を握った。
「すみません」
「お前を責めてはいない」
ひばりはキャップを深く被り直して、千代太を見た。
「前橋。担当は日によって変わる、誰の担当とは言えない、と言ったな。ここに、お前の名前が刷ってある」
千代太は動かなかった。
「このマップは、何部ある」
「……原本が、一部です」
「コピーは」
「……取ってないです」
「なら、これは何だ。原本はお前しか持っていない。そのコピーが、怪人の手から出てきた」
ひばりは忍の方を向いた。
「関内。これで、お前と私の疑いは晴れた」
「……っす」
「待ってください」
「待ってください。まだ、前橋さんがやったって決まったわけじゃ」
乃絵だった。
ひばりが乃絵の方を向いた。
「お前の考えは聞いた。悪くはなかった。だが、こっちには物がある」
乃絵は千代太の方を向いた。
「前橋さん。三日前の夜、倉庫のところで、誰かに紙を渡してましたよね。私、見てました」
千代太が顔を上げた。
「今なら、まだ間に合います。何があったのか、ここで全部話してください」
「相手は」
ひばりが乃絵に聞いた。
「暗くて、よく見えませんでした。でも、人じゃなかったです。腕が、四本ありました」
「なぜ黙っていた」
「前橋さんに聞いたら、怪人を追ってたって言ったので。疑いを晴らしたかったから、って」
「それを信じたのか」
「……はい」
千代太が乃絵を見た。乃絵はひばりの方を向いたままだった。
「そうか」
ひばりは息を吐いた。
「前橋。お前、小岩に嘘をついたな」
千代太は膝の上で手を組んでいた。
「答えろ。黙っているなら、お前が渡したと取る」
「待ってください」
ジロウが掠れた声で言った。
「前橋さん、何か言ってください。何でもいいです。違うなら違うって」
千代太は俯いたままだった。
「前橋さん」
乃絵だった。千代太がそちらを向くと、乃絵はまっすぐ千代太を見ていた。
「謝ってください。今、ここで。みんなに」
「……すみません」
「私にじゃなくて。何をしたのか言って、みんなに謝ってください。それで終わりにできるんです」
「……すみません」
「なんで。なんで、言わないんですか」
忍がカウンターを叩いた。
「ふざけんなよ! お前、俺らのこと売ったんだろ! あの日、目黒さんが疑われてんの見てたよな!? 隣で見てたよな!?」
「……はい」
「なんで言わなかったんだよ!」
千代太は俯いていた。
「なんとか言えよ! 言えって言ってんだよ!」
千代太が鞄を取って立ち上がった。
「前橋」
ひばりがその背中に言った。
「出ていくなら、腕輪は置いていけ」
千代太は引き戸を開けたまま、店を出ていった。
「追わなくていいんですか」
ジロウが言った。
「追わなくていい。あいつが自分で決めたことだ」
忍が丸椅子を蹴った。
「ふざけんな。マジでふざけんな」
丸椅子が転がって、壁に当たった。
「なんであいつ、あのとき何も言わなかったんだよ」
ひばりはカウンターの一点を見ていた。
「一言でいいんだよ。俺です、ってさ。そしたら、まだなんとかなったのに」
忍がカウンターに突っ伏した。痛めている右腕まで乗せていた。
「俺、当分あいつの顔見たくないっすわ」
ジロウが厨房の方を振り返った。
「店長」
「腕輪って、取り返さなくていいんですか」
「神豚の力は使えば減る。食いに来んかぎりいずれ尽きる」
「でも、それまでに使われたら」
「使えばそのぶん早く尽きる」
大豚は厨房の奥へ引っ込んだ。
入れ替わりに、果帆が厨房から顔を出した。
「あの、前橋さん、帰っちゃいました?」
「帰った」
ひばりが答えた。果帆がカウンターを見ると、コップが使ったままの場所に残っていた。
「いつも前橋さんが、帰る前にこっちへ寄せといてくれるんですよ。やらなくていいって言ってるのに」
果帆がコップを重ねて厨房へ運んでいくのを、四人は黙って見ていた。乃絵がカウンターを見ていた。コップのあった場所に、水の輪が残っている。
「私、片付けてもらってたの、知らなかったです」
「私もだ」
ひばりが言った。
「ひと月以上ここに来てるのに。前橋さん、一回も言わなかったですよね。自分がやってるって」
忍が顔を上げた。額に腕の跡がついている。
「……だから何だよ」
忍はまたカウンターに突っ伏した。




