第七杯目 裏切りのトッピング③
その日から二日間、ひばりは魁星に来なかった。一日目の夜、四人はカウンターに並んで、黙って丼に向かった。千代太が箸を置いたのは、いちばん最後だった。
「目黒さんから、返事来ました?」
「来ねえよ。既読もつかない」
ジロウが問うと、忍がため息をつきながら返答した。
「俺のもです」
「私のも」
「全員スルーかよ……」
「前橋さんは?」
千代太は名前を呼ばれてから、少し遅れて顔を上げた。
「……送ってないです。何を送ればいいか、分からなくて」
「そりゃそうか」
忍が起き上がる。髪が片側だけ潰れていた。
「つーか、俺が悪いんだよな。分かってんの。証拠ないのに疑うようなこと言ったし」
忍は天井を見上げた。
「疑われる方がどんだけキツいか、俺がいちばん知ってんのに」
忍が立ち上がった。
「調べてくる」
「あ、あの」
「……前橋さん?」
「あ、いえ。気をつけて、とだけ」
「おう」
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忍が魁星に戻ってきたのは翌日の夜で、ノートパソコンを抱えていた。
「あー、ちょっといい。調べたんだよ、俺」
忍がノートパソコンをカウンターに置いて開くと、地図に赤い点が六つ打ってあった。
「掲示板。地元の。住民が書き込んでるやつ。怪人が出たとき、絶対誰か書き込むんだよ。うるさかったとか、道が塞がってたとか」
忍が点を一つずつ指した。
「それ拾って、全部地図に打った」
ジロウが身を乗り出して画面をのぞき込んだ。
「すごいですね」
「すごくねえよ。どこで出たかが分かっただけで、なんでそこなのかは分かんねえんだよ」
忍がスマホを出して写真を見せた。空きテナントの前や工事の仮囲い、取り壊しの看板が写っている。
「六か所、昨日と今日で全部行ってきた。でも、行っただけじゃ分かんないんだよ。テナントが抜けてるかどうかなんて、外から見ても分かんない。カーテン閉まってるだけかもしれないし。取り壊しも、看板出てないとこが二か所あった。調べないと分かんないんだよ、不動産の情報なんて。目黒さんには無理なんだよ。ブログ全部見たけど、不動産の話なんか一個も出てこなかった」
千代太が音を立ててコップを置いた。
「前橋さん、聞いてる?」
「あ、はい」
乃絵が千代太の顔をのぞき込んだ。
「顔、真っ白ですよ」
「寝てないだけです」
忍はその足で、ひばりに会いに出ていった。二時間後に引き戸が開くと、忍の後ろにひばりがいた。
「目黒さん!」
ジロウが丸椅子から立ち上がった。ひばりはジロウの隣に座って、キャップを深く被り直した。
「関内がうちまで来た。証拠もないのに疑って悪かった、だそうだ」
「それ、言わなくていいって!」
忍がカウンターに突っ伏した。ひばりが忍の目をまっすぐ見る。
「お前は、調べもしないで私を疑った」
「……すみませんでした」
「謝罪はいらない。次からは、調べてから言え」
「はい」
「それで、私も調べた」
ひばりがノートを開いた。挟んであった地図を抜いて、カウンターに広げる。
「六か所は、関内の地図と同じだ。調べたのは、そこを誰が管理しているかだ」
「管理?」
「空き店舗も取り壊しの建物も、どこかの不動産屋が管理している」
千代太がコップから手を離して、両手を膝に置いた。
「どうやって調べたんですか」
「不動産屋の広告を古い号まで集めて、載っている物件を地図に落とした。それと、空き店舗に出ている看板だ。管理している会社の名前が書いてある」
「……ちょっと待って」
忍が身を起こした。
「それ、不動産屋じゃなくても調べられるってことっすよね」
「そうだ」
「俺、それで目黒さんはシロだって思ったんすよ。不動産のことなんか、目黒さんには調べられないって」
「調べられた」
ひばりがペンを置いた。
「調べられるなら、漏らすこともできる。私の疑いは晴れていない」
「……そんなつもりじゃ」
「責めてはいない。私も同じだ。お前が掲示板を持ってきたから、お前を疑うのをやめた。持ってきたからといって、シロになるわけじゃない」
忍はスマホを手の中で裏返した。
「じゃあ、誰の疑いも晴れてないってことっすか」
「晴れていない。私も、お前も、そこの三人もだ」
ひばりが地図に線を引いて、六つの点を囲んだ。
「全部、同じ会社が管理している物件だ」
「同じ会社って」
「不動産屋は、管理している区域を、さらに営業一人ずつに分けて担当させる。同じ区画は、同じ営業が回る。誰がどこの担当かは、外からは分からないがな」
ひばりが千代太を見た。
「前橋。この看板の会社、お前のところだな」
「……はい」
「この区画の担当は、誰だ」
「……分からないです。担当が、何人もいるので」
「分からないはずがないだろう。二年やってるんだろう」
「目黒さん」
ジロウが座ったまま言った。
「その言い方は」
「三田」
ひばりはジロウの方を向いた。
「言い方を選んでいる場合じゃない」
ひばりがキャップの下から千代太をまっすぐ見た。
「前橋。この区画の担当は、誰だ」
千代太は空のコップを両手で持っていた。
「……分からないです」
「分からないはずがない。同じ会社の営業なら、誰がどこを回っているかくらい知っているだろう」
「課の中で、大まかな地区は分けてます。でも、どの店を誰が回るかは日によって変わるんです。この辺りも何人かで回ってるので、担当が誰とは言えなくて」
「割り振りは、誰が決めている」
「課長です。担当表も課長が持ってます」
ひばりは千代太の顔をしばらく見ていた。
「……そうか」
ひばりがノートを閉じた。
「なら、こちらで調べる。ただ、担当者の名前までは外からは分からない。会社の中の担当表でも出てこない限りはな」
ひばりが立ち上がった。
「それまでは、誰の疑いも晴れない。前橋、お前もだ」
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その翌日の夕方、乃絵は千代太の会社の向かいで待った。六時二十分に、千代太が出てきた。
乃絵はそのあとをつけた。千代太は商店街を抜けて、駅とは反対の方へ歩いていく。自転車が来るたびに、先に道の端へ寄った。乃絵は三十メートルあけてついていき、近づきすぎたときは路地に身を隠した。途中で一度、千代太が振り返った。乃絵は自販機の前にしゃがんで、財布を開いた。千代太はまた歩き出し、倉庫の並ぶ一角で足を止めた。街灯は二本しかなく、片方は点いていない。乃絵は五十メートルほど手前の電柱の陰に入った。
千代太の前の暗がりに、人より大きな影が立っていた。上半身が大きく膨らんでいて、腕が四本ある。千代太は腕輪に手もかけずにその影と向き合い、ときどき頷いていた。話し声は電柱の陰までは届かない。十分ほどして、千代太が鞄から紙を出した。四本の腕のうちの一本が、それを受け取った。乃絵が電柱の陰から身を乗り出すと、足元の砂利が鳴った。千代太が振り返った。
「あ」
「誰か来たわ。ほな、うちはこれで」
ゴクダクが倉庫のあいだの路地へ消えた。
「待ってください!」
千代太はそう叫んで路地の方へ三歩走り、止まって振り返った。乃絵が電柱の陰から出てきていた。
「前橋さん」
「……小岩さん」
千代太は肩で息をしていた。
「今の、怪人ですよね」
「あ、あの、追ってました」
「追ってた、って?」
「はい。ダルマンの仲間だと思って」
「……そうなんですね」
乃絵は頷いて、路地の奥をもう一度見た。
「信じますよ、私。前橋さんのこと」
「……ありがとうございます」
「帰りましょうか」
「……はい」
その夜、乃絵が部屋に戻ると、学科のグループが動いていた。
〈来週の飲みどこにする〉
〈いつものとこでよくね〉
〈またかよ笑〉
〈駅前の黑木屋は? 安いし〉
〈どこでもいい〜〉
〈それがいちばん困るやつ〉
乃絵は〈黑木屋取った!八人ね〉と送った。〈はや〉〈仕事できすぎ〉〈乃絵いないと永遠に決まらん〉と続いて、誰かが拝むスタンプを押した。スマホを机の端に置く。それから明け方まで、机に向かっていた。




