第七杯目 裏切りのトッピング①
金曜の夜、喫茶店は閉店の三十分前で、客は千代太と女しか残っていなかった。店員は奥で片付けを始めている。
「急にどうしたんですか。何かありました?」
千代太はコーヒーカップを持ち上げて、口をつけずに受け皿へ戻した。
「……この前の話の、続きなんですけど」
「予備の?」
「はい」
女はカップを置いて、千代太の顔を見た。
「あれから、考えてて。……予備って、俺がいなくても困らないってことですよね」
「誰かに、そう言われたんですか」
「言われては、ないです。でも、俺が着いたときには、もう終わってるんです。いつも」
「みなさん、それで何か言います?」
「……要領が悪いって、言われます」
「あなたをそんなに軽く扱う人たちが、本当の仲間ですか。私はそう思わないんですけど」
女はカップを口へ運び、一口だけ飲んで受け皿へ戻した。
「そういえば、一人ご紹介したい方が」
「え」
「あなたのことを、前から気にしている方がいて。外で待ってもらってるんです」
女が伝票を取って立ち上がった。千代太も鞄を持って、あとに続いた。女は会計を済ませて店を出ると、建物の脇から裏の路地へ入っていった。
店の換気扇の下に立っていたのは、人ではなかった。上半身が鍋に似た形をしている。ずんぐりとした胴の縁が外へ反り返り、中に豚骨スープに似た白く濁った汁が満ちていて、表面が絶えず波打っている。腕が四本あった。顔にあたる場所はただの穴で、その縁から湯気が上がっている。千代太は一歩下がって、腕輪に手をかけた。
「イェケイ」
「待って待って、待ちいな」
怪人が四本の腕を全部上げた。
「戦いに来たんちゃうねん」
「そんなわけ」
「ほな、聞くけど」
四本の腕が同じ速さで、胴の脇まで下りてきた。
「うち、今なんかしたか」
千代太は腕輪に手をかけたままでいた。
「立っとるだけやろ」
千代太が女を見た。女も千代太をまっすぐ見ていた。
「あなた、こいつと」
「ええ」
女はそう言って、コートの襟を直した。
「前橋さん。あの人たち、本当にあなたの味方ですか」
頭の上で、換気扇が回り続けている。
「心から信用できる人たちであれば、今すぐ呼んでくれて構いません。私も、そちらの方も逃げませんので。……呼びます?」
千代太は腕輪から手を離した。
「そうこんとな。ゴクダクいいます。前橋さん、君のことずっと見とったで」
「……見てたって、何をですか」
「うん。あの五人といるとこ。なあ、一つ聞いてええか」
ゴクダクが上の二本の腕を組んだ。下の二本は下げたままだった。
「君、あの中で何しとんの」
千代太の肩がびくりと上がった。
「え」
「見ててんけどな。何もしてへんやん、君。戦いが終わって四人が喋っとるとき、君だけ離れて突っ立っとるやろ。あれ、おる意味あるん」
「……俺、喋るとウザがられるので」
「怒らへんのやな。そこやねん」
ゴクダクが腕を組み替えると、胴の汁が片側へ寄った。
「君、いっつもそれやろ。ウザい言われても言い返さんと、すんませんて謝って、あとで一人でしんどなる。善人ぶってても、誰も助けてくれへんで」
千代太は鞄の持ち手を握った。
「……善人ぶってるつもりはないです」
「ほな、なんで黙っとんの。言い返したらええやん。言い返されへんのを、ええ人やからって、ごまかしとるだけやろ。楽やもんな、黙っとくのは」
千代太は長いあいだ、黙って足元を見ていた。
「なあ、前橋さん。いい人でおるの、しんどないか。うちやったら、とっくにやめとるわ」
ゴクダクが四本の腕を下ろした。
「悪人は楽やで。誰にも気ぃ遣わんでええし。……ほな、一個だけ教えて。あの人ら、なんで、うちらが出たとこがすぐ分かるん」
千代太は女の方を見た。女は小さく頷いた。
「……あなたたち怪人が力を使うと、それに反応する機械があるんです」
「力使たときだけ?」
「……はい」
「そうか。おおきに」
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翌日、駅の南側の雑居ビルの裏手にアオガッパが出た。大豚の告げた場所に五人が着いたとき、通りには何もいなかった。
「いませんね」
「場所は合っているはずだが」
五人はビルの陰で変身した。ブタレッドが先に通りへ出て、角を曲がった。その先の物陰からアオガッパが六体出てきた。
「いた!」
後ろの路地からも、両脇のビルの陰からも、次々に出てくる。
「囲まれてます!」
「後ろにも!」
「待ち伏せてる」
カラメブラックが撃ちながら言った。
「そんなことあります?」
「ある」
ブラックが下がりながら撃つ。弾が二体を貫いて、三体目の胸で止まった。
「一度だけ暴れて、私たちを呼んだ。あとは隠れて待っていた。店主の機械は、力を使ったときしか鳴らない」
三十分かかって全部倒したときには、レッドの装甲に亀裂が入っていた。
「三田くん、装甲割れてる!」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないって。ちょっと見せて」
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その日の夕方にもまたアオガッパが出現した。今度も着いた先で待ち構えていた。
「引くぞ!」
「まだやれます!」
「無理だ。数が違う」
その二日で四回出て、そのうち三回は囲まれていた。ニンニクイエローは右腕を痛めて庇うようになり、ヤサイグリーンは足首を捻った。レッドの装甲の亀裂は出るたびに増えた。
魁星に戻ると、忍がカウンターに左の肘をついた。痛めた右腕は下ろしたままだった。
「おかしいっすよ、これ。店長の機械が力にしか反応しないって、なんで向こうが知ってんすか」
「知っているはずがない」
ひばりが言った。ノートは閉じたまま、カウンターに置いてある。
「じゃあ、何なんすか」
「分からない」
大豚が寸胴の火を落とした。
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翌日の昼、千代太は担当の南口の商店街を回っていた。手には会社の営業マップを持っている。A3の紙に担当の区画が色で塗ってあり、回る順に番号が振ってある。空き店舗には斜線、取り壊しが決まった建物には二重線が引いてあり、裏の搬入口が何時から何時まで開いているかも、千代太が書き足していた。
乾物屋では、二階の空き部屋の借り手がまだ見つからないことを主人に謝った。元クリーニング店では、シャッターに貼った募集の紙を新しいものに替えた。昼を過ぎて雨が降ってきたので、千代太は軒下に入って、マップの端に今日回った店の印をつけた。
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その夜、千代太は帰り道のコインパーキングで、しばらく立ち止まっていた。
「やあ」
精算機の陰から、ゴクダクが出てきた。
「……こんばんは」
「今日も大変やったなあ」
「……はい」
「四回中三回、囲まれとったな」
「見てたんですか」
「見てたで」
ゴクダクが上の二本の腕を組んだ。
「あれ、君のおかげやで。一回だけ力使て鳴らして、あとは隠れて待っとったらええんやもん」
「……そう、ですか」
「なあ、あの人ら、今どないなっとるん」
「え」
「だいぶやられとったやろ。誰が弱っとるん」
「……関内さんが、右腕を痛めてます」
「へえ」
「小岩さんも、足首を捻ってて」
「なるほどなあ」
「三田くんは、装甲が──」
千代太はそこで言葉を切って、湯気の上がる穴を見た。
「ようけ喋るなあ、君。……ええねん、言わんで」
ゴクダクが組んでいた腕をゆっくり下ろした。
「そういうとこ、うちは好きやで」




