第六杯目 アブラはヌキで④
その晩、五人は魁星に集まって対策を練った。
「溜めがある」
ひばりがノートに図を描いた。
「腕を振る前に、必ず胴が沈む。沈んでから腕が落ちるまで、〇・五秒。避けるのは難しくない」
「じゃあなんで負けたんすか」
忍が言った。
「近づけないからだ。近づけば脂の射程に入る」
「じゃあどうすんすか」
「囮を立てろ」
厨房から、大豚の声がした。
「一人が腕を誘って、落ちた直後に横から入る。あれは腕を戻すのに時間がかかる」
「その数秒で、どこを狙う」
「上は塞がる。下から潰せ」
「膝か」
ひばりがノートに五つの丸を描いた。
「囮は関内。足が速い」
「俺!?」
「嫌か」
「いや、やるっすけど」
「射るのは小岩。矢なら、腕の届かないところから膝の関節を狙える」
「はい」
「三田は救援。囮が失敗したときだけ入れ」
「はい」
「私は後方から脂を抑える。吐く口を撃てば射程が縮む」
四つの丸に線が引かれ、五つ目が残った。
「前橋」
「はい」
「お前は後ろに下がってろ。予備だ。私が呼んだら動け」
「……はい。まあ、俺がいない方が回りますよね」
ひばりが、ノートから顔を上げて千代太を見た。
「言っておくが、嫌いだから外すわけじゃない」
「はい」
「卑屈なのが嫌いなんだ」
千代太が顔を上げた。
「今日、怒られて笑っただろう」
「……笑って、ましたか」
「笑っていた。あれをやめろ」
「はい」
「もう一つある。助けに走るのはいい。だが、助けたあともそこに残る。だから固まった」
「はい」
「おかげで今日、私は三回、お前を避けて撃った」
「すみません」
「そうやってすぐ謝るところが……まあいい。分かったなら、そう言え」
「……分かりました」
千代太は、線の引かれていない五つ目の丸を見ていた。
「あの」
乃絵が身を乗り出した。
「四人でやるより──」
そこで止まったのは、忍が脇腹を小突いたからだった。乃絵が忍を見て、忍も乃絵を見た。忍が眉を上げて、顎を千代太の方へ一度振る。それから、口の端を下げた。
言わせるな、あれは使えない。千代太には、二人の目がそう言い交わしたように見えた。乃絵が口をつぐんだ。
「……なんでもないです」
「そうか」
厨房で大豚が寸胴の火を落とし、蓋を閉めた。
「以上だ」
ひばりがノートを閉じた。
「明日、例の怪人が出たら今の形でいく」
「はい」
千代太も返事をした。
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店を出るとき、ジロウが並んで歩いてきた。
「前橋さん」
「はい」
「今日の、その、配置なんですけど」
「はい」
「後ろって、大事だと思います」
千代太はジロウを見た。
「俺、前に出るとき、後ろに誰かいると思うと違うんです。安心して出られるので」
「……そうですか」
「はい。だから、その」
「明日、俺が救援に入ったら、たぶん手が足りないので。そのときは呼びます」
「はい」
「呼ぶので」
「はい」
ジロウはそれだけ言って、先に歩いていった。千代太は駅の方へ歩き出した。
その夜、千代太はメッセージを打った。
『今日、みんなで集まって決めごとがあって、俺だけ後ろに回されました』
送る前に、指が止まった。怪人と戦っていることは、誰にも話していない。消した。
『今日も、ちょっといろいろありまして』
そう打ち直して送ると、三分で返信が来た。
『何かありました?』
『大丈夫ですか』
『会えますか』
自分から、そう打っていた。
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その夜のうちに、駅前の喫茶店で会った。
「怖いんです」
「はい」
「俺が動くと、たいてい誰かが困るんです。今日も、後ろにいろって言われて。それで」
「怖いと思うのは、当たり前ですよ。人を巻き込みたくないんでしょう? 巻き込みたくないから、動けない。それは、優しさだと思いますけど」
「そんなこと、言われたことないです。みんな、逆のことを言います。遅いとか、下がってろとか」
「そうでしょうね」
「あの」
「はい」
「なんで、そう思われるんですか」
「だって前橋さん、扉を押さえるとき、まず後ろを見るでしょう。この前、ここに入るときもそうでした」
「え」
「自分がどうかじゃなくて、自分がどこに立ったら誰が困るかを見てる。違いますか」
「……そう、かもしれないです」
女は笑った。
「あの、明日なんですけど」
「はい」
「一人が引きつけて、そのあいだに別の一人が横から狙うんです。俺は後ろで待ってて、呼ばれたら出る」
言ってしまってから、千代太は口を閉じた。
「それ、不動産のお仕事の話ですか」
「……すみません、それは言えなくて。ご、ごめんなさい。忘れてください」
「じゃあ、忘れますね」
女はそう言って、カップに口をつけた。
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再戦は、翌日だった。西側の商店街である。五人は路地へ入って、食券を腕輪に差し込んだ。
「マシマシチェンジ!」
「あ、また来た。好きだねえ」
イエローが一人で正面に立ち、ほかの三人はそこから十メートル以上離れている。ホワイトは配置につく前に、商店街の裏手を一周していた。シャッターの下りていない店が二軒あったので、声をかけて、裏口から出るように言った。戻ってきたのは、四人が配置についたあとだった。
「前橋、遅い」
「すみません。裏の店に、まだ人が残ってたので」
「そうか」
「あれ? 散らばってる」
「そりゃ散らばるだろ」
イエローが言った。
「こないだ自分でバラしただろ」
「あ、僕が言ったんだっけ。ふはは」
胴が沈み、腕が振り上がる。イエローは、腕が落ちてくるのを待ってから横へ二歩跳んだ。腕は誰もいない路面を叩き、アスファルトが陥没した。
「今!」
グリーンの矢が、離れた位置から膝の関節へ飛んだ。
「あっ、それやめて。それ痛いやつ」
「もう一本!」
二本目の矢が刺さると、腕を戻す動きが途中で止まった。
「あー、これ、まずいやつだ」
ホワイトは、二十メートル後ろからそれを見ていた。イエローが腕を誘い、グリーンが膝を射る。ブラックは脂の吐き出し口を撃ち、レッドは中ほどで構えている。ホワイトの足は、さっきから一歩も動いていなかった。
三本目の矢が入ったとき、イエローが声を上げた。
「っ、やべ」
避けた先に、脂が撒かれていた。イエローの右脚が、そこで止まった。
「引っかかった。ふははは」
「関内さん!」
ホワイトが走り出した。前回は、着いて剥がせた。三歩走ったところで、ブラックが撃つ合間に、片手をこちらへ向けた。開いた掌だった。
「っ」
ホワイトは足を止めた。私が呼んだら動け、と言われている。まだ呼ばれていない。
「関内、そのまま!」
グリーンの声が飛んだ。
「え、そのままって」
「動かないで。動かない方がいい」
「いや、動けねえんだけど!」
「知ってる。だから、そこにいて」
グリーンは弓を引いたまま、イエローの横手へ回りこんだ。
「うわ、これ怖い!」
「三秒、耐えて!」
「三秒!?」
腕が落ちてきて、イエローが両腕のスライサーを頭上で交差させて受けた。体が沈み、固まった足がそれを支える。その真横から、四本目の矢がバンカランの膝の関節に入った。
「あ、抜けた。抜けちゃった」
膝が内側へ折れて、バンカランが片膝を落とす。
「今です! 三田くん!」
「はい!」
レッドが踏み込む直前に、一度だけ後ろを向いた。
「前橋さん!」
ホワイトが顔を上げた。
「はい!」
「来てください!」
ホワイトが走った。そのあいだに、レッドは豚斬包丁を低く構えて、片膝をついたバンカランの懐へ潜り込んでいた。刃の腹を胴の縁に掛けて押し上げる。バンカランが仰向けに倒れた。レッドがその胴の上へ跳ぶ。
「天地返し!」
振り下ろした刃で、胴が縦に割れた。脂が噴き出す。
「あれ? ひっくり返されちゃった」
バンカランの体が、黒い煙になって爆散した。ホワイトは、その手前で足を止めた。息は少しも上がっていなかった。
「すみません、間に合わなくて」
ホワイトが言った。
「いえ、こっちが急に呼んだので」
レッドは面頬の奥で笑っているようだった。
「あの、後ろにいてくれて助かりました」
「え」
「前に出るとき、後ろを気にしないで済んだので」
ホワイトは頷いた。嘘ではないだろう。予備がいると分かっていればこそ前衛は思い切れる。だが気をつかって言いに来たのだろうな、とは思った。
「ありがとうございます」
「いえ」
レッドは、イエローたちの方へ戻っていった。イエローが、まだ足が抜けないと騒いでいる。グリーンが笑って、ブラックが「うるさい」と言った。四人が、そこに集まっていた。
次の瞬間、黒い煙が、地面で渦を巻いた。渦が膨らむ。バンカランが巨大化した。商店街の上に、ビル六階分の胴が立ち上がる。




