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第四杯目 鼻つまみなアカウント④

「推し活層が。新規のくせによ」


階段の上で、忍はまだ大声を出していた。追い出されてから、ずっとそこにいたらしい。ジロウが地上へ出ると、風が冷たかった。


「なんだよ、静かに見るのが当たり前のマナーですみたいな顔しやがって。ここ地下だぞ。巣に帰れ!」


誰も聞いていない。通りかかる人間は、目を合わせずに脇を抜けていく。


「あの、関内さん」


「……お前、なんでここにいんの」


「入って見てました。端の方で」


忍は鼻を鳴らして、駅のほうへ歩き出した。ジロウは後を追った。人の残る通りを、忍が少し先を行く。


「あの」


「なんだよ」


「聞いていいですか」


「あのさぁ、もったいぶるんじゃねえよ」


「アイドル、あんまり詳しくないんですけど」


ジロウは前を見ながら言った。


「ファンの人が大声で騒いでたら、迷惑じゃないんですか。主役はアイドルで、みんなアイドルを見に来てるんだから」


忍は何歩か黙って歩いた。


「はあー。ちげーよ!」


忍の大声に前を歩いていた通行人が振り返る。


「アイドルってのはなァ、ファンが盛り上げるもんなの! ステージだけで完成してねえの! 客が声出して、拍打って、それでやっと一個の現場になんの!」


早口だった。息を継ぐ場所がおかしい。


「お前、さっき見ただろ。俺、あの曲で歌ってる最中に邪魔するように声出したか?」


「……出してないです」


「だろ。まあ曲によるんだけど。あの曲はコール曲ではないから被せねえのが美しいの。イントロと間奏だけ」


「被せる曲もあるんですか」


「あるよ。曲ごとになんとなく決まってるし、全部違う」


「え、全部覚えてるんですか?」


「覚えるだろ、通ってりゃ」


即答だった。


「ラスサビ前、なんで音が薄くなってると思う? 客の声が入る場所として空けてあんだよ。作曲者がそう作ってんの。昔はな、みんなそうだったの。全員でコール打って、後ろの奴も前の奴も一緒に沸かせて、それが当たり前だったの」


「今は違うんですか」


「違うんだよ。最近現場に来たやつらは地蔵が増えたよ。地上なんか大体地蔵」


「地蔵、ですか……?」


「あー。お地蔵様みたいに動かねえの。突っ立って、スマホ構えて、ファンサ棒立ちで待ってんの。もうね、アホかと」


忍はそこで一度息を継いだ。声の勢いも、歩く速さも落ちた。


「……いや、まあ。分かってんだよ、俺も。今そういう時代じゃねえの、分かってんの。実際うるせえと思われてるだろうし、実際さっき出禁になったし。俺も時代に合わせりゃいいんだろうな。あっちから指定されたメンバーコールだけやって、あとはキラキラ飾り立てたうちわでも振ってりゃいいんだろ。それができりゃ、揉めることはねえんだけどよ」


「そうすりゃいいじゃないですか。できないんですか」


「できねえの。客が三人しかいねえ現場で、その三人が全員黙ってたら、あのステージ何なんだよ。誰かが声出さねえと、ただ歌を聞いてるだけじゃん」


忍はそこで黙った。信号を一つ渡ってから、また口を開いた。


「……俺さ、姉ちゃんが、いたんだよ」


ジロウは歩調を落として、黙って続きを待った。


「四つ上でさ。アイドルやってたの。地下の、めちゃくちゃ地下の。対バン出ても前で湧いてる客なんか全然いなくてさ。マジで最初のほうは三人とか、二人とか。そのうち知名度上がったけどそれでも大したことなくてよ」


「見に行ってたんですか」


「行くだろ、姉ちゃんが出てんだから」


忍が少し笑う。笑い方が普段より雑だった。


「で、客席にな、ガキは俺一人なの。その頃中学だからな。それでも俺、めちゃくちゃ声出してた。ほかの客は後ろでドリンク片手にペチャクチャやってっから、俺の声しか聞こえねえわけ。その頃コールとか知らねえんだよ。何やっていいか分かんねえの。だから名前呼んでた。ずっと。ひたちー、ひたちーって」


「お姉さんの名前ですか」


「そ、陽立。陽が立つって書いて、ひたち」


「いい名前ですね」


「だろ」


忍は自慢げに笑う。


「姉ちゃん、三人組の一番端でさ。結局センターとか一回もやったことなかったなー。運営からも推されてないって感じで歌割りも一番少ねえし。終わったあと物販行くじゃん。真ん中の子には列できてんのに、姉ちゃんのとこは、俺と、あと一人二人なの」


忍は前を見たまま言った。


「一生懸命笑ってんだけど、笑顔引きつってんの。ガキでも分かんだよ、あれ。一回さ、聞いたんだよ。なんでそんな辛そうに笑ってんのって」


「何て言ってました?」


「笑うのが仕事だからって。今思うと、聞かないほうがいい質問だよな。でもさ、俺、そのとき思ったんだよ」


忍の歩幅が少し広くなる。


「笑うのが仕事なら、笑わせんのは客の仕事だろって。だから声出してた。三人しかいねえ前方で、ずっとな」


「お姉さん、ちゃんと笑えるようになりました?」


「知らねえよ」


投げるような言い方だった。


「でも姉ちゃん、俺の方見てたんだよ。歌ってる途中で、一回だけこっち見てくれたな」


「いいお姉さんなんですね。今でもアイドルは続けられてるんですか?」


そこで、忍の足が少し遅くなった。


「……三年前にいなくなった」


「え」


「失踪。どっか行った」


「……そんな……探しても、見つからなかったんですか」


「あったりめえだよ、探したに決まってんだろ! 見つかんなかったんだよ」


声が少し荒くなった。


「警察もまともに動かねえし。成人してるし、事件性ないって言われて終わり。持ってったのは通帳と保険証。あとスマホ。それだけ。他は全部姉ちゃんが暮らしてたアパートの部屋の中」


忍はそこで一度言葉を切った。


「俺さ、毎回二枚買って、一枚は姉ちゃんにやってたの。家族の絆?だと思ってたんだけどさ。それも全部置いてった」


「すみません、失礼なことを言いました」


「謝んなくていいよ。ちゃんと探せたのかって、俺自身だってわかんねえんだし」


忍は襟も立てずに歩いている。


「今、姉ちゃんの部屋に住んでる。俺が」


「……そのまま、ですか」


「そう。引き払おうって話になったんだけど、俺が反対して。……帰る場所なくなったら、帰ってこれねえだろ」


ジロウは黙って、歩く速さを忍に合わせた。


「三年、そのまま借り続けてる。最初は親が出してたけど、大学入ってからは俺が払ってる。バイトして」


忍の口の端が、少しだけ上がった。


「家賃も安くねえのにな。大学からは実家のほうが近いのに、馬鹿だろ、俺」


「……そうですか?」


「馬鹿だよ」


「俺、そう思わないです」


「いいんだよそういうの」


「絶対馬鹿なんかじゃないです」


ジロウは忍の顔を見つめた。忍はしばらく歩いてから、ぽつりと言った。


「……お前、面倒くせえな」


「よく言われます」


「なあ」


「はい」


「俺さ、ネットでバズりたかったの。ずっとしょうもない対立煽りとかしてインプレ稼いでさ。今朝の動画、反応が四桁いったんだよ。千とかじゃなくて、もうちょいで万バズ。普段プチ炎上しても三桁がいいとこなのにな」


「四桁ってすごいですね」


「だろ。人生で一番伸びた日だな」


そこまで言って、忍は長く黙った。


「……でもさ。今朝、数字見て一番最初に思ったのが、姉ちゃん見てるかな、だったんだよ。テレビからも連絡来て、それでもまず姉ちゃんのこと思い出したわけ」


忍が両手で顔を擦る。


「俺、色んな奴から見られたかったわけじゃねえのかもな」


声が掠れた。


「姉ちゃんに、見ててほしかったんだ。そんで──」


そこで、一度詰まった。


「姉ちゃんのことも、誰かに見ててほしかったんだよ」


忍が立ち止まって俯いた。ジロウも足を止めたが、忍は再び歩き出す。


「あの、関内さん」


「なんだよ」


ジロウは少し迷ってから、続けた。


「さっき、一組目のアイドルと話したんですけど」


「あ? なんで話してんだよ」


「荷物運んでるとこで、目が合ったので」


「お前、よくそういうとこ話しかけられるな。チェキ買って話せよ」


忍が変な顔をした。


「で、その人が言ってたんですけど」


ジロウは思い出しながら言う。


「関内さん、チェキのとき、必ずいいところを言ってくれるって」


「……は?」


「二曲目の入りが良かったとか、この前より声が出てたとか、あの振りが好きだとか。そういうのを毎回言ってくれるそうです」


「いや、そんな」


「毎回具体的だから、ちゃんと見てくれてるんだって分かるって」


忍は口を開けたまま止まっていた。


「励みになりますって。すごく。……それで、最後にこう言ってました」


ジロウはそこで一度言葉を切る。ここだけは聞いたとおりに伝えたかった。


「いつか、私を推してくれたら嬉しいなって思ってます」


「あいつ、そんなこと言ってたのかよ」


忍はそこで足を止めて、動かなくなった。


---


翌日の夕方、忍はまた駅前へ行った。行っても何もできないことは分かっていた。


列は昨日の倍ほどに伸びて、角を二つ曲がった先まで続いていた。列の両端には黄色いテープが張られ、救急車が二台停まっている。列から人を引き剥がそうとした警官が、腕を振りほどかれて尻餅をついた。テープの際に、昨日の男の子がいた。祖母らしい女に手を引かれても、列のそばを離れようとしない。歩道の脇には、差し入れらしいコンビニの袋が手つかずのまま置いてあった。


列の中ほどに、見覚えのある顔があった。昨日ライブハウスで揉めた男が、前だけを見て動かずに立っている。


「おい」


忍は近づいて、男の肩を掴んだ。男は動かない。


「おい、聞こえてんのか」


「……もうすぐ開くから」


「何言ってんだよ、開かねえよ」


「もうすぐ」


男の顔色は悪かった。唇が乾いて、耳の縁が赤くなっている。ライブのあとから、ずっとここに立っているのだろう。忍は手を離した。肩の鞄を下ろして歩道の植え込みの脇へ置き、その陰へしゃがみこんだ。


「マシマシチェンジ!」

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